第十六話 出来高
三十一日目の朝、俺は西翼の入口に立っていた。
この城で、まだ一度も数えていない場所だ。九日目の目録は、書物庫、細工物庫、厨房と食料庫、工房区画、居住区の五つで作った。西翼と玉座の間は入っていない。
運び出せないと分かっていたからだ。運べない物は資産じゃない、と俺は自分で決めた。
いま、その決め方を変えなければならなくなっている。
崩れかけた扉の向こうは、二年前のままだ。天井まで届く柱に、幅の広い金具が打ってある。壁には燭台の受けが並び、床には割れた石板が転がっていた。
金具だけで、目方にして相当ある。溶かせば売れる。石板も、削り直せば建材だ。
運び出すには、解体しなければならない。
解体するには、人が要る。
九日目には、その人手がなかった。三十一人しかいなくて、食料は十一日ぶんだった。
いまは五十二人いる。魔石は半年ぶんある。
同じ物が、条件が変わると資産になる。物の値打ちは、物ではなく、こっちの都合で決まるらしい。
「二十人が二十日、ってとこだな」
後ろから声がした。ガルドだ。
「多いか」
「少なくはない。柱を先に落とすなら、支保が要る。支保を組むのに五人、落とすのに十人、運ぶのに五人だ」
俺は数を書いた。延べにして、四百人日。
問題は、その四百人日をどこから出すかだった。
◇
城の割り当ては、四日前から週四日になっている。
五十二人が四日ずつ働く。その四日で、給水の当番、食料の仕込み、居住区の補修、乾燥肉の生産を回している。どれも止められない。
残る三日は、本人の時間だ。
三十日目の夜、俺はその三日を勘定に入れかけて、線を引いて消した。六行目を作ったのは俺自身だ。日当の出ない日に本人が作った物は本人のもので、時間も同じだと決めた。
だから、あの三日には手を出せない。
「四日のほうから回すしかないな」
ガルドが言った。
「回すと、何が止まる」
「食料の仕込みだ。二十人抜けば、乾燥肉が半分になる」
「半分になると、来週の入りが四十枚だ」
「じゃあ駄目だな」
二人でしばらく黙っていた。
四日は動かせない。三日は使えない。
人はいる。時間もある。だが、どちらも今の仕組みでは解体に回らない。
仕組みのほうが悪い。
三日を使えない理由は、六行目にある。あれは本人の時間で、城が使うなら買い取らなければならない。
――買い取ればいい。
そこまで考えて、立ち止まった。買い取るのは、日当を出すのと同じだ。その金がないから、ここで詰まっている。
金がないのに、どうやって時間を買うか。
答えは一つしかなかった。まだ手元にない金で買う。
「三つ目を作る」
俺は言った。
「三つ目って」
「いま、この城には払い方が二つしかない。日当と、自分の時間だ。日当は四日で埋まってる。自分の時間には手を出せない」
「だから三つ目か」
「解体は、毎日やらなくていい仕事だ。決まった時間に決まった場所へ行く必要もない。落とせた分だけ進む」
俺は西翼の柱を見上げた。
「そういう仕事は、日で払うより、量で払うほうが合う」
「量って、目方でか」
「売れた額でだ。運び出して、売れて、金になった分を分ける」
ガルドはしばらく考えていた。
「……俺の親父の工房は、そうだったな。打った数で払う」
「鍛冶か」
「注文が来たら朝から晩まで打つ。来なけりゃ何もしない。日で払われたら、あの商売は成り立たん」
俺は帳面に書いた。ガルド、三十一日目、出来高払いの前例。
「また書くのか」
「初めて聞いた話は、必ず書く」
二年半、それで覚えてきた。
◇
その日の夕方、東翼の広い部屋にケインを運んだ。
足はまだ固定したままだ。歩くなと言われて八日目になる。彼は座ったまま、俺が描いた西翼の図を膝に載せた。
「柱は五本だな」
「五本だ」
「南の二本から落とす。北は上に石が乗ってるから、先に落とすと屋根が来る」
彼は炭で図に丸を打っていった。手だけが動いている。
「支保はここと、ここ。ガルドに組ませろ。あいつは力の向きが分かる」
「あんたは行けないだろう」
「行かん。だが、順番なら座って作れる」
俺は帳面を開いた。ケイン、三十一日目、西翼解体の工程設計。
「日当は」
「出る。これは城の仕事だ」
「座って線を引いただけだぞ」
「その線がなければ、二十人が屋根の下敷きになる」
ケインは何か言おうとして、やめた。
最近、みんなよくやめる。
◇
夜、全員に諮った。
「西翼と玉座の間を解体する。金具と石材を売る。売れれば、来週の給金の足しになる」
「誰がやるんだ」
「やりたい人だ」
俺は壁に、三つ目の払い方を書いた。
――出来高。解体して運び出せた分の売却代金から、決めた割合で払う。
「割合って、いくらだ」
ニコが真っ先に聞いた。
「売れた額の四割だ」
部屋がざわついた。
「四割? 多すぎねえか」
「多い。だが、危ない仕事だ。柱が落ちる下に入る。城に残るのは六割で、そこから返済も食料も出す」
「二割じゃ駄目なのか」
「二割だと、誰も出ない」
俺は正直に言った。
「日当なら四日で四枚だ。危ない仕事に、それ以下しか出ないなら、誰も選ばない。選ばれない仕組みは、作っても意味がない」
「じゃあ、四割を二十一人で割るのか」
「割らない」
俺は木札の束を卓に置いた。給金札と同じ、番号を彫った札だ。
「今日から、解体に出た日は作業札を一枚渡す。金具を一つ外したら、もう一枚。石板を運び出したら、もう一枚」
「札の数で分けるってことか」
「そうだ。三日出た人間と、十日出た人間が同じ額なのは、おかしい」
ニコが腕を組んだ。
「一つ言っておく。取り分も、分け方も、先に決めろ。始めてから『思ったより売れなかった』とか『あいつのほうが働いた』とか言うな」
何人かがうなずいていた。
俺は少し考えて、書いた。
――七、出来高の仕事は、始める前に取り分と分け方を決めて書く。あとから変えない。
「変えたくなったらどうする」
「変えない」
「売れなかったら」
「四割は四割だ。売れた額が少なければ、城の取り分も少ない」
ニコが鼻を鳴らした。
「そりゃそうか」
手を挙げたのは二十一人だった。一人多い。
「二十人でいいんだが」
「俺、片手しか使えねえけど、縄なら引ける」
二十日目に来た男だった。左肩が上がらない。討伐のときにやったという。
俺は数え直して、二十一人と書いた。
名前を書きながら、一つ確かめた。
「言っておくが、解体は輪番の外だ。城の割り当ては、これまでどおり週四日ある。それを削って解体に出ることはできない」
「じゃあ、休みの日に働くのか」
「そうなる」
「全員が毎日出たら」
「出ない。二十一人が三日ずつ交代で入れば、毎日八人か九人だ」
俺は指を折って数えた。
週にして六十三人日。柱五本と玉座の間で、四百人日ぶんの仕事がある。
「第一便は、金具だけでいい。柱二本ぶんだ。百二十人日で足りる。十三日ほどで出せる」
「全部は」
「四十五日かかる。終わるのは七十五日目あたりだ」
「返済は九十日目だろ」
「ぎりぎりだ」
ガルドが顔をしかめた。
「雨が降ったら」
「降ったら、その日は落とせない。だから、第一便を早めに出す」
「疲れて落ちる奴が出るぞ」
「一日に八刻を超えたら、その日は上がってくれ」
「そりゃ命令か」
「頼みだ。守らなかったら、帳面に書く」
ニコが笑った。
「あんた、それしか脅し文句がねえのか」
「ない」
実際、それしかなかった。
◇
三十二日目、解体が始まった。
南の柱二本に、ガルドが支保を組んだ。丸太を斜めに噛ませ、根元に石を積む。ケインが描いた図のとおりの位置だった。
「落とすぞ」
合図で、十人が縄を引いた。柱が傾いて、床に落ちる。石板が割れて、埃が天井まで上がった。
金具は柱の中ほどに三つ、根元に二つ。焼き付いていて、外すのに半日かかった。
一本目で、金具が五つ。
五本落として二十五。玉座の間まで入れれば、六十を超えるはずだ。
俺はその数を書いてから、売値の欄を空けておいた。
値は、買う奴が決める。俺たちが決めるんじゃない。十一日目に自分で言ったことだ。
◇
三十三日目、ヴェルデの食料商へ最初の納めをした。
二十袋。八十枚。そこから前渡しの三十枚を引いて、手取りが五十枚。
俺は数え直して、袋に入れた。手元の三十三枚と合わせて、八十三枚になる。
「入ったんですね」
トビーが荷車の脇で言った。
「入った」
「これで、来週は」
彼が最後まで言わないうちに、俺は答えていた。
「足りない」
トビーの顔が固まった。
俺は帳面を開いて、計算をもう一度見せた。
明日、三十四日目が精算日だ。五十二人に四日ぶんの四枚と、繰り越しの一日を乗せて五枚。二百六十枚。
食料と薪と塩で、四十枚。
合わせて、三百枚。
手元は、八十三枚。
「二百十七枚、足りません」
トビーが読み上げた。
「足りない」
「乾燥肉、もっと作れませんか。俺、夜も焚けます」
「棚が足りない。それに、あんたが倒れる」
「倒れませんよ」
「倒れる。二十二日目に、あんたは五列乾かした。四列って言ったのに」
トビーが口を閉じた。
「あれは書いた。上等だと言った。それは今も変える気はない。ただ、上等な働き方は、続けられない働き方でもある」
俺は袋の口を縛った。
「解体は」
「始めたばかりだ。金具が運び出せるのは、早くて四十五日目。そこから売って金になるまで、さらに数日かかる」
「じゃあ、明日は」
俺は答えなかった。
答えは一つしかない。ヴェルデ商会へ行って、前渡しを頼む。
あの町で大口を捌けるのは、あそこだけだ。食料商もそう言っていた。
頭を下げに行くこと自体は、どうということはない。補給係は二年半、頭を下げるのが仕事だった。
ただ、あの窓際の椅子を思い出すと、腹の底が少し冷たくなった。
名乗らなかった老人。目録を覗き込んだ男。
――その帳面、物だけじゃないのか。
その夜、俺は明日の道順を決めて、馬を借りる手配をした。朝いちばんで発てば、昼過ぎには着く。
寝る前に、リゼの診療所に灯りがついていた。覗くと、彼女は薬草を干していた。
「明日、ヴェルデへ行くの」
「行きます」
「金の話ね」
「そうです」
彼女は薬草の束を吊るし直した。
「借りるの?」
「たぶん」
「返せるの」
「西翼の金具が売れれば」
「売れなかったら」
俺は答えなかった。
リゼは笑わなかった。ただ、束を一つ、こちらへ寄越した。
「持っていきなさい。これ、噛むと少し眠くなるの。馬の上で寝ないでよ」
結局、その手配は要らなかった。
翌朝、城門の前に、商会の使いが立っていたからだ。




