第十四話 輪番
二十四日目の朝、俺は大広間の壁に帳面を開いて置いた。
卓ではなく、壁だ。誰でも近づいて読めるように、二冊とも見開きで留めた。
五十六人が集まってから、俺は言った。
「二十七日目に、一人七枚払う約束だった。それが払えない」
声は上がらなかった。壁の数字を、みんな二日前から見ている。
「いくら足りない」
ガルドが聞いた。
「百三十九枚だ。乾燥肉の金が入るのは、早くて二十九日目。二十七日には間に合わない」
「じゃあ、遅らせるのか」
「遅らせない」
俺は言った。ここが今日の本題だった。
「遅らせても、来週また同じことになる。だから、払い方のほうを変える」
壁の空いた場所に、大きく書いた。
――今週の支払いは四日ぶん。次の週から、仕事も週四日。
部屋がざわついた。
「四日?」
「一人が日当をもらえるのは、週に四日までだ。一日一枚は変えない。働いた日は必ず一枚出る。ただし、七日ぶんは出せない」
「減るじゃねえか」
「減る」
俺は認めた。誤魔化す方法はいくつか思いついたが、どれも使わなかった。
「手元は二百十一枚だ。五十二人で割ると、一人四枚と少しにしかならない。七枚ずつ出すと、来週の食料が買えない。買えなければ飯が止まる」
「飯と給金なら、飯を選ぶってことか」
「そうだ」
ヨルが前に出た。
「じゃあ、今週はどうなる。俺は昨夜の地下番を入れて、もう五日目だぞ」
いちばん大事な質問だった。
「今週は、二十日から二十六日までだ。もう五日働いてる人間がいる。四日で打ち切るなら、一日ぶん消えることになる」
「消すのか」
「消さない」
俺は帳面の右側、仕事のほうを指した。
「働いた日は全部書いてある。五日働いたなら五日と書いてある。今週払うのは四日ぶんだ。残った一日は、来週に繰り越す」
「繰り越すって」
「来週から、一人につき一日ずつ乗せて払う。今週の超過分を返しきるのに三週間かかる」
部屋が静かになった。
「……払いが遅れるだけじゃねえか」
「そうだ」
俺はうなずいた。
「遅れる。だが、なくならない。俺が減らすのは、今週出す額だ。あんたが働いた日数じゃない」
「じゃあ今週は、あと二日も働かせるのか。四日ぶんしか出ないのに」
「働いてもらう」
俺は隠さなかった。
「給水も、食料の仕込みも、地下の整備も、今週の割り当てはもう組んである。止めたら、来週の飯がなくなる」
「都合がいいな」
「都合がいい。だから、今週だけだ」
俺は壁の帳面に、日付を入れて書いた。
――二十四日目より二十六日目まで、今週分は従来どおり作業を割り当てる。全日を勤務として記録し、支払いは四日ぶん。超過分は繰り越し、消却しない。
――二十七日目より、城の仕事の割り当てそのものを週四日に改める。以後、新たな繰越は発生させない。
――既存の繰越は、翌週から一人一日ずつ、三週で返す。
「二十七日目からは、三日空くってことか」
「空く」
ニコが後ろから言った。
「それ、恒久的にか」
「そのつもりだ」
「じゃあ反対だ」
声が上がった。今度は一人ではなかった。
俺は数えた。手を挙げたのは、二十九人だった。
「反対多数だな」
「多数だ」
「なら、やらないのか」
「やる。ただし、二日目に約束したとおり、条件を変えるには全員の同意が要る」
俺は壁の紙を指した。二日目の朝、荷車の前で言ったことだ。
「だから、恒久の決まりにはしない。三週間の試行にする。三週たったら、もう一度諮る。そのとき反対が多ければ、別の方法を考える」
「別の方法なんかあるのか」
「いまはない。三週で作る」
部屋が、少し静かになった。
「……試すだけなら」
ヨルが言った。
「それなら、俺は乗る。三週だぞ」
雇用契約者五十二人全員が同意するまでに、四半刻かかった。最後の一人が名前を書いたとき、日はもう高くなっていた。
俺は帳面に書き足した。
――恒久化には反対二十九名。三週間の試行としては全員同意。
書き終えてから、顔を上げた。
「食事と寝床は、働かない三日も出す。それは日当じゃない。ここにいる人間には出す」
「働かなくても飯は出るのか」
「出る。腹が減った人間は、翌日も使いものにならないからだ」
ヨルが、井戸掘りの現場ではそうじゃなかった、と言いかけて、やめた。
◇
その日の昼、東翼の廊下で殴り合いが起きた。
俺が着いたときには、リオンが二人のあいだに立っていた。腕を広げるでもなく、ただ立っている。それだけで、二人とも手を出せずにいた。
「こいつが俺の毛布を持っていった」
「持ってねえ。あれは俺のだ」
「番号がついてんだよ」
「ついてねえよ、毛布に番号なんか」
そこで俺は理解した。
毛布に番号はついていない。二十日目に二十三人が来たとき、毛布を配り直した。誰にどれを渡したか、俺は書いていない。
物資の配布を書かなかったのは、二年半で初めてだった。人が増えて、手が回らなかった。
「俺の落ち度だ」
二人が同時にこっちを見た。
「配ったときに書かなかった。だから、どっちが正しいか俺には分からん。今日から書く」
「今日はどうすんだ」
「今夜は二人で一枚使ってくれ。明日、一枚買う」
二人は毛布を見て、それから互いを見た。どちらも決まりの悪い顔をしていた。
問題は毛布ではなかった。
三十一人のときは、俺が全員の顔と持ち物を覚えていられた。五十六人になった時点で、それが崩れている。
その夜、俺は区画ごとに一人ずつ選んだ。東翼にガルド、大広間にエッダ、新たに開放した地下区画にヨル、厨房にマレン。四人に、それぞれの区画の人と物を書く紙を渡した。
「毎晩、変わったことだけ書いてくれ。誰が寝床を移った、毛布が一枚足りない、樋が漏れた。それだけでいい」
「字が下手だぞ」
「読めればいい」
ガルドは紙を折って、懐に入れた。二日目の朝、給金札を懐に入れたときと同じ手つきだった。
◇
二十五日目の夕方、乾燥肉の二回目の試作ができた。
薄く切って、麻布に包んで、余熱の部屋に三日吊るした肉だ。表面は乾いて、指で押すと硬い。折ると、中まで色が変わっている。
リゼが一切れ齧った。
「悪くないわ。塩が少し強いけど」
「もつか」
「ひと月は保つと思う。それ以上は、やってみないと分からない」
できた量は、四袋だった。
「これ、売りに行くんですか」
トビーが聞いた。
「注文を取りに行く」
「注文って」
「毎週これだけ買う、と言ってもらう。そうなれば、来週も再来週も金が入る。売り切りとは違う」
俺はラーデン村へ人をやって、馬を一頭借りた。荷車なら往復二日半だが、馬なら尾根道を一日で往復できる。四袋なら、鞍の後ろに括れる。
◇
二十六日目、ヴェルデ。
向かったのは商会の館ではなく、広場の食料商だった。乾物と塩と豆を扱っている、小さな店だ。
主人は四袋を開けて、一切れ折った。折れる音を聞いてから、齧った。
「……どこで作った」
「北の城です」
「あんた、魔王城の後始末をしてる役人だろう。噂は聞いてる。これ、いくつ作れる」
「いまの設備で、三日に四袋。棚を増やせば、七日で二十袋まで持っていけます」
「棚を増やす金は」
「ありません」
主人は笑った。
「正直だな」
「嘘をつくと、二回目が来ないので」
彼はしばらく袋を眺めてから、指を三本立てた。
「先に三十枚出す。それで棚を作れ。かわりに、できた分は毎週うちに回してくれ。一袋四枚だ」
「五枚が相場です」
「うちが引き取る手間があるからな。それに、あんたはまだ何も納めてない」
もっともだった。
「三十枚は前金です。初回の納めから差し引く、ということでよろしいですか」
「察しがいいな。そうだ」
俺は帳面に書いた。初回、二十袋で八十枚。うち三十枚は前金に充当。手取り五十枚。二回目以降が八十枚。
主人は控えを見て、少し眉を寄せた。
「……名前が並んでるな」
「作った人間です」
「肉に名前をつける奴は初めて見た」
彼は控えを畳んで、懐に入れた。
「ああ、一つだけ。うちは小さい店だ。二十袋が限度でな。それ以上作れるようになったら、商会を通してくれ。この町で大口を捌けるのは、あそこだけだ」
俺は足を止めた。
「ヴェルデ商会ですか」
「この町で商いをするなら、いずれ必ず通る道だよ」
◇
二十七日目、精算日。
五十二人、四日ぶん。二百八枚。二十六日目に受け取った前金三十枚を足して、手元は二百四十一枚。払って、三十三枚残った。
ニコが札を握ったまま言った。
「四枚だ」
「四枚だ」
「先週は七枚だった」
「減った。働いた日は七日と書いてある。差の三日は、繰越の欄だ」
彼は壁の帳面まで歩いていって、自分の欄を指でなぞった。
「……三日、乗ってるな」
「乗ってる。来週から一日ずつ返す。三週で終わる」
「あんた、賛成って書いといたほうが都合よかっただろ。反対二十九名、なんて」
「いい」
「じゃあ、なんで書いた」
「反対されたことも、この城が決めたことの一部だからだ」
◇
二十七日目から、城の割り当てそのものが週四日になった。
輪番外の三日に、遊んだ者は一人もいなかった。
トビーが厨房の隅に小さな窯を作りはじめた。エッダは大広間の隅に機を組んだ。ケインは足が動かないので、座ったまま石の割り方を若い連中に見せていた。ラーデン村の兄弟は、城壁の外の斜面を掘り返していた。
「何を植える」
「麦は間に合わん。豆なら、いまからでも秋に穫れる」
弟のロッドが、掘り返した土を手のひらに載せて見せた。虫がいた。いい土だという。
俺は書いた。土に虫あり。良、とのこと。出所、ロッド。
書いてから、一つ決めなければならないことに気づいた。
その夜、六行目を諮った。
――日当の出ない日に本人が作った物は、本人のものとする。城が使う場合は、城が買い取る。
「窯もか」
トビーが目を丸くした。
「窯もだ。あんたが自分の三日で積んだ。城が使いたければ、金を出して買う」
「そんな、俺、城の石を使いましたよ」
「石は崩れた回廊のだ。売っても値がつかない」
ガルドが低く言った。
「……それ、書いとけよ。ちゃんと」
「書く」
反対は出なかった。
◇
その夜、俺はヨルとリオンとミラを連れて地下へ降りた。
一人で降りない、と決めていた。分からないものに近づくときに、行き先を知っている人間が城にいない状態を作りたくなかった。
入口の紙に四人分の名前を書いてから、二十七段を降りた。
作業台の並ぶ部屋を横切って、黒い扉の前に立つ。
麻紐が、切れていた。
結び目の蝋は割れて、床に落ちている。
埃の半円は、前より内側まで広がっていた。
そして今度は、こちら側にも足跡があった。
人間の足の形をしていた。裸足だった。




