第十二話 乾いた肉
二十二日目の朝、俺は大広間の壁に三つの数字を書いた。
備蓄、十九日ぶん。
手元の銀貨、二百十一枚。
次の精算日まで、あと五日。
その下に、もう一つ書いた。
五日後に必要な額、三百五十枚。
「足りねえな」
ガルドが数字を見上げて言った。
「足りない。百三十九枚足りない」
「売る物は」
「五日で換金できる物は、ない」
書庫は空だ。細工物も出した。厨房什器と工房の道具は、売れば城が回らなくなる。魔石は左の欄に書いた。
城にまだ物がないわけではない。西翼はまだ手をつけていないし、玉座の間の柱には金具が打ってある。ただ、どれも解体しないと運び出せない。人手と日数が要る。
五日では、間に合わない。
五十四人が、その壁を見ていた。
「じゃあどうすんだ」
「作る」
俺はミラを呼んだ。
「ヴェルデで写した相場表を出してくれ」
彼女は懐から紙を三枚出した。麦、塩、油、布、釘、蝋。値段がびっしり並んでいる。
俺はその一行を指した。
「乾燥肉、一袋で銀貨五枚。王都の倍近い」
「戦争が終わったからだろ」
ガルドが十二日目の夜に言ったのと同じことを言った。
「行軍用の乾物を作ってたとこが、みんな畳んだ。作れる奴がいなくなった」
「作れる奴なら、ここにいる」
俺は帳面の左右二列を開いた。三日目の朝、一人ずつ聞いて書いた欄だ。
パン屋、窯の火。錬金術師、保存処理。船乗り、乾いた気候の読み。織物、布。厨房、四十人分。
全部、この城にある。
「肉は」
「ラーデン村が近い。害獣の駆除で獲れた分を、村は捨ててる。皮しか使わないからだ」
「捨ててるのか」
「保存できないからな。冬でもないと、三日で腐る」
ガルドが腕を組んだ。
「保存できるようになったら、それは肉じゃなくて食い物だ」
「その通りだ」
俺は書いた。ガルド、二十二日目、原料調達先の指摘。
「また書くのか」
「書く」
◇
その日のうちに、俺はミラとヨルをラーデン村へやった。城から半日の距離だ。
夕方には戻ってきた。村長は「持っていけ」と言ったそうだ。ただし、条件が一つ。
「うちの若いのを二人、そっちで使ってくれって」
ミラが言った。
「畑が痩せてて、食わせきれないんだって」
連れてこられたのは若い兄弟だった。兄がトゥーレ、弟がロッド。二人とも冒険者ではない。剣も持っていない。
俺は帳面を開いた。人口五十六人。働き手五十二人。
書いてから、少し手が止まった。
城の外から人が来るのは、これが初めてだった。
「言っておくが、金はない」
俺は正直に言った。
「日当は一日一枚だ。ただ、今週それを全員に払えるかどうか、まだ分からん」
「分からんのか」
「分からん。分かったら、その日のうちに全員に言う」
兄のトゥーレが弟を見た。弟のほうが先に言った。
「村にいても、飯はなかった」
俺は二人を厨房へ回した。マレンが四十人分を一人で回していた腕で、二人に包丁を持たせた。
害獣の肉は、夕方までに荷車一台ぶん届いた。角の折れた大鹿が三頭と、猪が二頭。村の若い連中が、罠にかかったまま放置していたものらしい。
「臭うな」
ガルドが顔をしかめた。
「三日たってる」
「食えるのか」
「食えない」
マレンが即答した。
「表面を削れば中は使えます。でも、これを乾かしても売り物にはならない。次からは、その日のうちに持ってきてもらってください」
「村まで半日だ」
「なら、獲れた日に走ってもらうしかないですね」
俺は帳面に書いた。原料は鮮度が命。獲れた日のうちに搬入。ミラが横から覗いて、鼻を鳴らした。
「それ、あたしが走るってことよね」
「あんたが一番速い」
「褒めても走る距離は変わらないから」
そう言いながら、彼女は翌朝から走った。
◇
最初の試作は、失敗した。
トビーが火を近づけすぎて、肉の外側だけが焦げた。中は生のままだ。二日で腐った。
「すみません」
「何が起きたか、言ってくれ」
「……表面が先に固まって、中の水が出られなくなりました。薪を乾かすのと同じつもりでやったんですけど、肉は薪より水が多いです」
「じゃあ、どうする」
「火を弱くして、時間をかけるしかないです。でも、それだと俺が半日つきっきりになります」
セロが横から口を挟んだ。
「炉の余熱を使えませんか」
「余熱」
「魔石炉は、水を汲み上げたあとに熱が余ります。いまは煙道から捨ててます。あれを別の部屋に引き込めば、弱い熱がずっと出続けます」
「引き込めるのか」
「導管を一本足すだけです。二日ください」
俺は帳面に書いた。セロ、二十二日目、余熱利用の提案。
ハンナが手を挙げた。
「干す棚は、私に決めさせてください。帆と同じです。風の通り道に、隙間を空けて吊るす。詰めて干すと、真ん中だけ乾きません」
エッダが布を裂きはじめていた。
「肉を包む布、いります。麻がいい。目が粗いほうが乾きます」
マレンは厨房から出てこなかった。かわりに、切った肉を持って現れた。
「厚さを揃えました。ばらつくと、乾く時間が変わります」
ケインは、余熱の部屋になる予定の空き部屋を見に来た。
「壁の目地が抜けてる。ここから熱が逃げる」
「塞げるか」
「塞げる。だが、全部塞ぐと今度は湿気が抜けない」
「じゃあ、どうする」
「上に一列だけ空けとく。熱は上に逃げるが、湿気も一緒に出ていく」
俺は書く手が追いつかなくなった。
六人が、それぞれ別の場所から同じ一つのことを言っている。誰も相談していない。ただ、自分がやってきた仕事の言葉で話しているだけだ。
補給係の仕事は、その言葉を一枚の紙に並べることだった。
◇
夜、地下へ降りた。
二十一日目に開けた区画だ。魔石を運び出したあと、ヨルが土嚢を並べて通路を作り、松明の受けを打ち込んである。人が出入りする場所になりつつあった。
俺が確かめたかったのは、奥の黒い扉だ。
把手のない、高さが俺の三倍ある両開きの扉。掛け金は向こう側にある。床の埃は、あの日と同じ形に薄かった。
俺は持ってきた麻紐を、扉の合わせ目に渡して両側の壁に留めた。ぴんと張って、結び目に蝋を垂らす。誰かが扉を動かせば、紐が切れるか、蝋が割れる。
それから、壁に紙を一枚打ちつけた。
――地下区画に入った者は、名前と日付を書くこと。奥の扉には触れないこと。
「見張りは置かないのか」
ヨルが後ろから聞いた。地下区画の記録係になった男だ。
「置かない。人が余ってない」
「紐だけで足りるか」
「足りない。ただ、紐が切れてれば、切れたことは分かる」
彼は紙の一番上に自分の名前を書いた。二十二日目、ヨル、松明受けの設置。
俺もその下に書いた。二十二日目、アルド、封印紐の設置。
自分の名前を書くのは、なんとなく落ち着かなかった。
「なあ」
階段を上がりながら、ヨルが言った。
「あの扉の向こうに、何がいると思う」
「分からん」
「何かいるとは思ってるんだな」
俺は答えなかった。
二年前、この城には魔族がいた。人間が入ってきて、玉座の間まで通って、魔王を斬った。そのあいだに、この城の誰かが物資を数えていた。魔族の綴じ帳を書いていた誰かだ。
あの綴じ帳の並びは、俺の帳面とよく似ていた。
似ているものを書く人間は、たぶん、似た考え方をする。逃げるときも、残るときも。
「ヨル」
「なんだ」
「明日から、地下の当番を二人にしてくれ。一人にしないでほしい」
「怖いのか」
「怖い」
俺は正直に言った。ヨルは笑わなかった。
「井戸も同じだ。一人で潜るなって、最初に教わる」
「守ってたか」
「守らなかった。だから、教える側になった」
◇
その夜、俺は余熱の部屋の広さを測って、棚の数を数えた。
いまの寸法だと、三日で四袋。一袋五枚なら二十枚だ。
二十枚。
五日後に要るのは、三百五十枚。
俺は数字を三度見直した。三度とも同じだった。
トビーが炉室から出てきて、俺の帳面を覗き込んだ。
「二十枚じゃ、全然足りませんね」
「足りない」
「どうするんですか」
「二つある」
俺は指を折った。
「一つは、精算日を遅らせる。もう一つは、払う額そのものを変える」
「変えるって、減らすってことですか」
「そうだ」
トビーの顔が曇った。
「みんな、怒りますよ」
「怒る」
「じゃあ、遅らせたほうが」
「遅らせても、来週も同じことになる」
俺は帳面を閉じた。
「乾燥肉が回りはじめれば、来週は八十枚入る。だが、その八十枚が入るのは早くても二十九日目だ。二十七日目には間に合わない」
「……はい」
「次に全員が揃う朝に、話す」
言ってから、少し胃が重くなった。
二日目の朝、荷車の前で俺は言った。日当は一人一日、銀貨一枚だと。
あれを、自分から変えることになる。
俺は帳面の最後のページを開いた。整理官の欄は、まだ空白だ。
その下に、十一日目に書いた行がある。
――間違えたときは、書く。
その隣に、もう一行足した。
――約束を変えるときは、変える前に言う。




