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『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


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第5話 現実の痛み



目が覚めたとき、頬が濡れていた。


美咲はしばらく、天井を見つめていた。


夢の中で見た少女。


白い花。


そして――自分に似た、あの顔。


「……ゆ……」


口から、知らない言葉がこぼれた。


名前。


少女が言っていた。


――ママが私につけようとした名前。


「ゆ……き……?」


そこまで口にした瞬間、美咲の胸が締めつけられた。


知っている。


その名前を、自分は確かに知っている。


けれど、どうして知っているのかが分からない。



「今回は、少し難しいですね」


診察室で医師が言った。


美咲は膝の上で手を握りしめた。


「……やっぱり、駄目ですか?」


「まだ結果が出たわけではありません。ただ、今回の状態を見る限り、もう少し時間が必要だと思います」


隣に座る健一は、何も言わなかった。


美咲は診察室を出てからも、ずっと俯いていた。


待合室には、妊婦がいた。


大きなお腹を抱えて、夫と笑っている。


その光景から目を逸らした。


見たくなかった。


羨ましい。


悔しい。


悲しい。


そんな感情を持ってしまう自分が嫌だった。


「美咲」


健一が声をかける。


「帰ろう」


「……うん」


それだけだった。


車の中でも、二人はほとんど話さなかった。


やがて信号で車が止まる。


美咲は窓の外を見た。


小さな女の子が、母親の手を握って歩いていた。


女の子が何かを言う。


母親が笑う。


その瞬間。


また、胸の奥が痛くなった。


「……私、最低だね」


「何が?」


「他人が幸せそうにしてるの見て、辛くなる」


健一は少し黙ってから言った。


「最低じゃないよ」


「……でも」


「俺だって同じだ」


美咲は健一を見た。


健一は前を向いたままだった。


「俺も、羨ましいと思うことあるよ」


その言葉だけが、妙に心に残った。



その夜。


美咲は眠るのが怖かった。


眠れば、またあの庭に行く。


少女に会う。


そして――五年前のことを、また思い出してしまう。


忘れていたかった。


そう思っていたはずだった。


なのに。


午前二時。


美咲は目を閉じた。



――白い花が揺れていた。


また、あの庭だった。


けれど今日は、少し違っていた。


前より明るい。


湖の水面が、月明かりを反射している。


そして。


少女が木の家の前に立っていた。


「ママ」


「……ねえ」


美咲は少女に近づいた。


「あなたは、本当に……私の子なの?」


少女は答えなかった。


ただ、悲しそうに笑った。


「ママは、どうしてそんなに苦しそうなの?」


「あなたのせいじゃない」


「ううん」


少女は首を横に振った。


「私のせいでもないよ」


「じゃあ、誰のせいなの?」


少女はしばらく美咲を見つめた。


そして、小さな手で美咲の手を握った。


温かかった。


夢なのに。


まるで、本当に誰かに触れられているようだった。


「ママが、自分を責めてるから」


「……私が?」


「うん」


少女は白い花を一輪、摘み取った。


「ママは、私を守れなかったって思ってる」


美咲の呼吸が止まった。


「……どうして、それを知ってるの?」


少女は花を美咲に渡した。


「だって、ママが毎日思ってることだから」


その瞬間。


頭の奥で、何かが弾けた。


――白い天井。


――冷たい診察室。


――健一の泣きそうな顔。


そして。


自分の声。


『ごめんね……』


『ごめんなさい……』


「……やめて」


美咲は頭を抱えた。


「やめて……!」


少女が驚いたように美咲を見る。


「ママ……」


「思い出したくない!」


声が庭中に響いた。


湖の水面が大きく揺れた。


止まっていた時計塔の針が――


カチッ。


ほんの少しだけ動いた。


少女は時計を見上げた。


「……時間が動いた」


「え?」


「もう、ここに長くはいられないかもしれない」


美咲は少女を見る。


「どういう意味?」


少女は答えなかった。


ただ、少しだけ寂しそうに笑った。


「ママ」


「なに?」


「今度は、私のことをちゃんと覚えていて」


その言葉を聞いた瞬間。


美咲の目の前が、真っ白になった。


そして最後に聞こえたのは――


少女の声だった。


「私がいなくなったあとも……」


「ちゃんと、生きてね」



美咲はベッドの上で飛び起きた。


午前四時。


心臓が激しく鳴っている。


手のひらを見る。


そこには何もない。


白い花なんて、あるはずがない。


――なのに。


枕元から、かすかな花の香りがした。


美咲はゆっくり振り返った。


誰もいない。


窓も閉まっている。


それでも。


部屋の隅に――


白い花びらが一枚だけ落ちていた。

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