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『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


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第3話 五年前の記憶



 時計の針が動いた。


 カチッ。


 ほんの少しだけ。


 それだけなのに、美咲は目を離せなかった。


「……今、動いたよね?」


「うん」


 少女は平然としている。


「どうして?」


「時間が進んだから」


「何の時間?」


 少女は答えなかった。


 代わりに、花畑の中を歩き始める。


「ねえ、ママ」


「だから私は――」


「五年前のこと、覚えてる?」


 美咲の足が止まった。


「……五年前?」


「うん」


「何のこと?」


「病院に行った日のこと」


 心臓が跳ねた。


「……病院?」


「白い部屋だった」


 少女が振り返る。


「ママ、ずっと泣いてた」


 美咲は息を呑んだ。


 そんな記憶はない。


 五年前。


 結婚して二年目。


 確か、仕事が忙しかった。


 夫と旅行に行った。


 それから――。


「……何で知ってるの?」


「見てたから」


「どこから?」


「ここから」


 少女は胸を指差した。


 意味が分からない。


「私が泣いてたって……どうして?」


 少女は答えず、近くのベンチに腰掛けた。


「ママは、あの日、ずっと同じことを言ってたよ」


「何を?」


「ごめんねって」


 美咲の頭の奥で、何かが弾けた。


 白い壁。


 消毒液。


 震える手。


 そして――


『ごめんね……』


 誰かに謝っている自分。


「……誰に?」


 少女は美咲を見る。


「私に」


 美咲の身体が凍った。


「……あなたに?」


「うん」


「おかしいよ」


 美咲は首を振った。


「私はあなたを知らない」


「知ってるよ」


「知らない!」


 思わず声を荒げた。


 少女は黙った。


 美咲は自分の言葉に驚いた。


 なぜ、こんなに必死になるのか分からない。


 少女はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で言った。


「じゃあ、思い出させてあげる」


「え?」


「でも、今日はまだ駄目」


「どうして?」


「ママが泣いちゃうから」


 少女が立ち上がる。


「また明日ね」


 その瞬間、鐘が鳴った。


 ――ゴーン。


 世界が白くなる。


「待って!」


 美咲は手を伸ばした。


「あなたの名前だけでも――」


 少女は振り返った。


「……名前?」


 少し考えてから、笑った。


「ママが一度だけ呼んだ名前だよ」


 そして消えた。


     *


 翌朝。


 美咲は目を覚ますと、すぐにスマートフォンを手に取った。


 検索画面を開く。


 何を検索すればいいのか分からない。


 五年前。


 病院。


 ごめんね。


 少女。


 そんな言葉を入力しては消した。


「……私、何を忘れてるの?」


 仕事中も集中できなかった。


 そして帰宅すると、家の奥にある収納棚を開けた。


 古い箱。


 結婚式の写真。


 旅行のパンフレット。


 古い年賀状。


 その下から、一冊の手帳が出てきた。


「……これ」


 五年前の手帳だった。


 ページをめくる。


 仕事の予定。


 夫との予定。


 病院。


 病院。


 病院。


 そして、あるページだけが破られていた。


「……何で?」


 美咲は手帳を握りしめた。


 破られたページの前後を確認する。


 日付は五月。


 そこだけ、何も書かれていない。


 その夜。


 美咲は眠るのが怖かった。


 それでも、眠ってしまった。


     *


 約束の庭。


 少女が待っていた。


「今日はね、ママに見せたいものがあるの」


 少女は美咲の手を引いた。


 花畑を抜ける。


 森の中へ入る。


 やがて、小さな家が見えてきた。


「ここは?」


「私の家」


 少女がドアを開ける。


 中には何もなかった。


 ただ、一枚の写真だけが壁に飾られている。


 美咲が近づく。


 写真には――


 若い頃の自分と、健一が写っていた。


「……どうして?」


 写真の中の美咲は、今よりずっと若い。


 そして。


 写真の端に、小さな文字が書かれていた。


 『家族が三人になる日』


「……三人?」


 美咲の手が震える。


 少女は静かに美咲を見つめていた。


「ママ」


「……何?」


「本当に、忘れちゃったの?」


 美咲は答えられなかった。


 少女の目から、一粒の涙が落ちる。


「私……ずっと待ってたのに」


 その瞬間。


 時計台の針が、大きく動いた。


 カチッ。


 そして美咲の頭の中に――


 五年前の、白い病室の光景が一瞬だけ蘇った。


 ベッドの上で泣いている自分。


 隣で手を握る健一。


 そして医師が告げた言葉。


 ――「妊娠しています」


 美咲は息を呑んだ。


「……え?」


 次の瞬間、世界が真っ暗になった。

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