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『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


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18/20

第18話 もう一度、現実へ



 病院の自動ドアが開いた。


 冷たい空気が、頬に触れる。


 美咲は足を止めた。


 何度も来た場所なのに。


 今日は、まるで初めて来たような気がした。


「美咲?」


 隣にいた健一が、心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫?」


「うん」


 美咲は頷いた。


「今日は……ちゃんと話したい」


「何を?」


「これからのこと」


 健一は少しだけ黙った。


 そして。


「分かった」


 二人は受付へ向かった。


 ◇


 診察室。


 担当医は、これまでの治療記録を確認していた。


「これまで、いくつか治療を続けてきましたが……」


 医師の言葉を聞きながら、美咲は膝の上で手を握った。


 結果。


 数字。


 可能性。


 選択肢。


 どれも大切な話だった。


 けれど、以前の美咲とは少し違っていた。


 以前なら。


 「妊娠できるか」


 その一点だけを考えていた。


 今は違う。


 自分たちが、これからどう生きたいのか。


 それも考えたい。


「……先生」


 美咲が口を開いた。


「治療について、少し考える時間をもらってもいいですか?」


 医師は頷いた。


「もちろんです。焦って決める必要はありません」


 その言葉に、美咲は少しだけ肩の力を抜いた。


 診察室を出る。


 廊下を歩きながら、健一が言った。


「……変わったね」


「私?」


「うん」


 美咲は笑った。


「そうかな」


「前は、結果が出るたびに自分を責めてた」


 美咲は何も言わなかった。


「俺も……どうしたらいいか分からなかった」


「健一……」


「ごめん」


 突然、健一が立ち止まった。


「五年前のこと」


 美咲の胸が痛む。


「俺も、ちゃんと向き合えてなかった」


「……うん」


「美咲が泣いてるのを見て、どう声をかけたらいいのか分からなくて」


 健一は俯いた。


「だから、二人とも忘れたふりをしてた」


「……そうだったね」


「でも」


 健一が顔を上げた。


「もう、忘れなくていいんじゃないかな」


 美咲の目に涙が浮かんだ。


「うん」


 二人は、その場で手を握った。


 五年前。


 失ったものは戻らない。


 けれど。


 その記憶まで消す必要はない。


 それが分かっただけで。


 少しだけ、呼吸が楽になった。


 ◇


 その夜。


 美咲は眠った。


 夢を見るつもりはなかった。


 けれど――


 気づいたとき。


 そこにいた。


 約束の庭。


 今までとは違う。


 白い花畑。


 木造の家。


 湖。


 そして時計塔。


 時計の針は――


 十二時を指していた。


「……十二時」


 美咲が呟く。


 すると。


 湖の向こうから声がした。


「ママ」


 美咲は振り返った。


 そこに――


 男の子が立っていた。


 初めてだった。


 今までなら。


 影だけ。


 足跡だけ。


 声だけ。


 けれど今は。


 小さな身体が、はっきり見える。


 青い服。


 短い髪。


 小さな手。


 ただし――


 顔だけが、白い光に包まれていた。


「……あなた」


 美咲はゆっくり近づく。


「来たよ」


「うん」


「約束したから」


 男の子が笑った。


 その笑顔を見て。


 美咲の胸に、何かが込み上げてきた。


 懐かしい。


 会ったことなんてないはずなのに。


 ずっと昔から知っていたような。


「ねえ」


 美咲は尋ねた。


「あなたは、誰なの?」


 男の子は答えなかった。


 代わりに湖を指差した。


 水面に映っているのは――


 美咲。


 健一。


 そして。


 小さな男の子。


 三人だった。


「……家族?」


 美咲が呟く。


 男の子は首を横に振る。


「まだ分からないよ」


「どうして?」


「未来は、まだ途中だから」


 男の子は湖を見る。


「でもね」


「うん」


「ママが今日、ちゃんと選んだから」


 美咲の目に涙が浮かんだ。


「私が?」


「うん」


「何を選んだの?」


 男の子は答えた。


「生きること」


 その瞬間。


 時計塔の針が動いた。


 ――カチ。


 十二時。


 そこから。


 ほんの少しだけ。


 針が進んだ。


 美咲は息を呑んだ。


「……時計が」


「うん」


 男の子が笑う。


「もう、時間が止まってない」


 白い花が風に揺れる。


 花びらが一枚。


 湖へ落ちた。


 そして。


 男の子の顔を覆っていた光が――


 ほんの少しだけ薄くなった。


「……顔」


 美咲が呟く。


「見える?」


「少しだけ」


「もう少し……」


 美咲が近づく。


 男の子も、一歩近づく。


 あと少し。


 あと一歩。


 その距離まで近づいたとき――


 男の子が小さく笑った。


「ママ」


「なに?」


「次は……」


 男の子の姿が、白い光に包まれる。


「夢じゃなくて――」


 美咲は手を伸ばした。


「待って!」


 男の子の声だけが残る。


「ちゃんと会おう」


 ――目が覚めた。


 美咲はベッドの上で、激しく息をしていた。


「……夢……?」


 隣を見る。


 健一は眠っている。


 いつもの朝。


 いつもの部屋。


 いつもの現実。


 美咲は胸に手を当てた。


 心臓が、まだ激しく鼓動している。


 そして。


 枕元を見る。


 そこには何もなかった。


 青い花も。


 白い花も。


 紙も。


 何もない。


「……そうだよね」


 美咲は小さく笑った。


 今度こそ。


 本当に夢だったのかもしれない。


 けれど。


 カーテンを開けた瞬間――


 庭の隅に。


 小さな青い足跡が二つ。


 土の上に残っていた。


 美咲は言葉を失った。


 そして、その足跡の先には――


 まだ蕾のままの、白い花が一輪だけ咲いていた。

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