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『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


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第14話 さよなら、ゆき



「……まだだよ」


男の子の声が、夜の庭に消えていく。


美咲は窓から身を乗り出した。


「誰なの?」


返事はない。


青い靴跡だけが、庭の向こうへ続いている。


二つ。


小さな足跡。


けれど、その先には何もない。


美咲は裸足のまま外へ出ようとした。


その瞬間――


「美咲?」


背後から健一の声がした。


「……健一」


「何してるんだ?」


「今、子どもの声が……」


健一が窓の外を見る。


「子ども?」


「うん」


「こんな時間に?」


「……」


美咲は答えられなかった。


そこにはもう、靴跡すらなかった。



翌朝。


美咲は、昨夜のことを夢だったのだと思うことにした。


男の子の声も。


青い靴跡も。


全部、自分の心が作り出したもの。


そう考えれば、説明がつく。


けれど。


机の上に置かれていた青いリボンだけは――


消えていなかった。


美咲はそれを手に取った。


「……ゆき」


もう一度、名前を呼ぶ。


胸の奥が、少しだけ温かくなった。


悲しい。


でも、以前のような絶望ではない。


ゆきが最後に言った言葉を思い出す。


――私のことを、悲しい思い出にしないで。


「うん」


美咲はリボンを箱に戻した。


「約束する」



それから一週間。


夢を見なかった。


約束の庭にも行かなかった。


最初のうちは、少し寂しかった。


毎晩、眠る前に期待してしまう。


今日は会えるだろうか。


ゆきは戻ってくるだろうか。


でも、何も起きない。


その代わり。


美咲は現実の生活を少しずつ取り戻していった。


健一と夕食を作る。


休日に買い物へ行く。


近所を散歩する。


以前なら「治療のため」にしか考えなかった予定にも、少しずつ別のものが増えていった。


ある夜。


美咲は日記を開いた。


最初のページには、こう書いてある。


『私は、もう自分を責めない』


その下に、新しく書き加えた。


『ゆき、ありがとう』


そしてペンを置いた。


その瞬間。


部屋の時計が止まった。


「……え?」


秒針が動かない。


電池を確認する。


問題ない。


美咲は時計を見つめた。


すると――


カチッ。


秒針が一つ進んだ。


そして。


部屋の明かりが一瞬だけ消えた。


真っ暗になる。


「健一?」


返事がない。


「健一?」


美咲が立ち上がった。


すると暗闇の中から――


小さな女の子の声がした。


「ママ」


美咲は振り返った。


「……ゆき?」


白い光が、部屋の中央に浮かぶ。


その光の中に――


ゆきがいた。


「久しぶり」


「……!」


美咲は駆け寄ろうとした。


けれど、ゆきは首を横に振った。


「今日は近づかないで」


「どうして?」


「もう、本当に最後だから」


美咲の胸が痛んだ。


「嫌だよ」


「うん」


「またいなくなるの?」


「うん」


「もう会えない?」


ゆきは少しだけ笑った。


「今の私は、もう会えない」


「……」


「でも、ママが私を忘れなければ――」


「忘れない」


「ううん」


ゆきは優しく首を振る。


「忘れてもいいんだよ」


美咲は泣いた。


「そんなこと……」


「ママ」


ゆきが微笑む。


「人はね、ずっと同じ場所に立っていられないの」


「……」


「前に進むときには、思い出を置いていかなきゃいけないこともある」


美咲は首を横に振った。


「置いていけない」


「じゃあ、持っていって」


「……え?」


「私との思い出を、悲しみじゃなくて――」


ゆきの身体が光に包まれる。


「優しさとして持っていって」


美咲は涙を拭った。


「ゆき」


「うん」


「私はあなたを忘れない」


「うん」


「でも、あなたのために泣き続けたりしない」


ゆきは嬉しそうに笑った。


「それでいい」


「ちゃんと生きる」


「うん」


「健一と笑う」


「うん」


「もし、未来に何かが待ってるなら――」


美咲は涙を流しながら笑った。


「怖がらずに進む」


ゆきは頷いた。


「約束だよ」


「約束」


ゆきが手を伸ばす。


美咲も手を伸ばした。


今度は――


触れられた。


ほんの一瞬。


小さな手の温もり。


「……ママ」


「うん」


「大好き」


「私も」


ゆきの姿が、白い花びらへ変わっていく。


「さよなら」


「……さよなら、ゆき」


最後の一枚が、美咲の手のひらに落ちた。


白い花びら。


それを握りしめた瞬間――


時計が動き出した。


カチッ。


カチッ。


カチッ。


もう止まらない。


美咲は時計を見上げた。


そして気づく。


時計の文字盤の下に、今までなかった小さな文字が浮かんでいる。


『約束は、終わらない』


美咲は静かに笑った。


そのとき。


遠くから――


また、足音が聞こえた。


トン。


トン。


今度は、二人分。


一つは美咲の足音。


そしてもう一つは――


まだ見えない、誰かの足音だった。

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