↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/20

第13話 最後の一日



時計が十二時を指した。


その瞬間、美咲の胸の奥で、何かがほどけた気がした。


「……十二時」


止まっていた時間が、動いた。


それだけのことなのに。


美咲には、それが新しい一日の始まりのように思えた。



その日は、健一と久しぶりに二人で出かけた。


目的地なんて決めていない。


車に乗ってから、健一が聞いた。


「どこ行く?」


「……どこでもいい」


「それが一番困るんだけど」


健一が笑った。


美咲も笑った。


「じゃあ、海」


「急だな」


「海が見たい」


「了解」


車は走り出した。


しばらく二人とも黙っていた。


以前なら、その沈黙が怖かった。


「子どもができない」


その事実が、二人の間に壁を作っていたからだ。


でも今日は違った。


窓を開ける。


風が入ってくる。


美咲は目を閉じた。


「気持ちいいね」


「うん」


「こういうの、久しぶり」


「……そうだな」


健一がハンドルを握ったまま笑った。



海に着くと、美咲は砂浜を歩いた。


波の音。


潮の匂い。


遠くを飛ぶ鳥。


何も特別なことはない。


それなのに、不思議なくらい穏やかだった。


「美咲」


「ん?」


健一が少し離れたところから呼んだ。


「これ」


手には、小さな青いリボン。


「……!」


美咲の顔から笑顔が消えた。


「どうして、それを?」


「家にあった」


「……」


「君が持ってた箱の中に」


美咲は黙ってリボンを受け取った。


夢の中で見たもの。


あの少女。


そして、湖の向こうにいた男の子。


「健一」


「ん?」


「もし……」


美咲は言葉を選んだ。


「もし、あの子が生きていたら、どんな子になってたと思う?」


健一は海を見つめた。


しばらく答えなかった。


「……分からない」


「うん」


「でも」


健一は少し笑った。


「きっと、君に似てたんじゃないかな」


「私?」


「泣き虫で」


「失礼」


「頑固で」


「もっと失礼」


「でも、優しい」


美咲は笑った。


「……健一に似てるところは?」


「俺?」


「うん」


「ないだろ」


「あるよ」


「どこ?」


「不器用なところ」


「それ、褒めてる?」


「たぶん」


二人で笑った。


その瞬間。


美咲はふと思った。


――これが、ゆきの願いだったのかもしれない。


子どもがいなくても。


こうして二人で笑えること。


それだけでいい。


そう思える自分が、少しだけ不思議だった。



帰宅した夜。


美咲は久しぶりに日記を書いた。


五年前には書けなかったこと。


夢の中でゆきに会ったこと。


言われた言葉。


そして今日、健一と笑ったこと。


最後に一行だけ書く。


『私は、もう自分を責めない』


ペンを置いた。


涙が一滴、紙に落ちた。


そのとき――


時計が鳴った。


十二時。


美咲は顔を上げた。


「……また?」


時計の針は正常に動いている。


カチッ。


カチッ。


もう止まらない。


けれど。


部屋の隅に、白い光が浮かんだ。


「……え?」


光は少しずつ形を変えていく。


少女の姿になる。


「ゆき……?」


少女は微笑んだ。


「ママ」


「まだいたの?」


「うん」


「どうして?」


「最後のお別れをするため」


美咲の胸が締めつけられた。


「……嫌」


「ママ」


「まだ、話したい」


「うん」


「もっと一緒にいたい」


「私も」


少女は美咲の隣に座った。


「でも、もう大丈夫だから」


「何が?」


「ママは、一人でも歩けるようになった」


美咲は黙った。


「前は、私に会わないと前に進めなかった」


「……うん」


「でも今は違う」


少女は美咲の手を握った。


「ママにはパパがいる」


「うん」


「そして――」


少女は窓の外を見る。


夜空。


その向こうに、何かを見つめているようだった。


「これから出会う人もいる」


「……あの男の子?」


少女は答えなかった。


ただ、優しく笑った。


「ママ」


「なに?」


「私のことを、悲しい思い出にしないで」


「約束する」


「それから……」


少女の身体が、少しずつ光に変わっていく。


「もし、いつか男の子に会ったら――」


美咲は息を止めた。


「その子にも、ちゃんと笑ってあげて」


「……分かった」


「私の分まで」


「……うん」


少女が微笑む。


「じゃあね、ママ」


「ゆき……」


「大好き」


美咲の目から涙が溢れた。


「私も……大好き」


少女の姿が消えていく。


最後に残ったのは――


小さな白い花。


そして。


少女が消えた場所から、青い光が一つだけ飛んでいった。


窓の外へ。


美咲はそれを見つめた。


青い光は夜空の向こうへ消えていく。


その直後。


庭のどこかから――


小さな足音が聞こえた。


トン。


トン。


トン。


美咲は窓を開けた。


誰もいない。


けれど、足元には――


見覚えのない、小さな青い靴跡が二つ。


美咲は息を呑んだ。


そして遠くから。


男の子の声がした。


「……まだだよ」


その声は――


昨日より、ずっと近かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。