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『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


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第12話 少女の願い



十一時五十九分。


その数字を見つめたまま、美咲は動けなかった。


「……あと一分」


時計の針は、動かない。


少女――ゆきの姿もない。


ただ、白い花びらだけが宙を舞っている。


「ゆき……」


呼んでも返事はなかった。


美咲は花びらを拾おうと手を伸ばす。


その瞬間――


遠くから、声が聞こえた。


『ママ』


「……!」


振り返る。


誰もいない。


『ママ、こっち』


声のする方向へ走る。


花畑を抜け、湖のほとりまで来ると、白い花が一面に咲いていた。


その中央に――


小さな女の子が立っていた。


「ゆき……!」


美咲は駆け寄った。


けれど、触れることができない。


ゆきの身体は、半透明になっていた。


まるで光でできているようだった。


「……消えちゃったんじゃなかったの?」


「うん」


「じゃあ、どうして?」


「まだ、最後のお話をしてなかったから」


「最後……?」


ゆきは頷いた。


「ママにお願いがあるの」


「何でも聞く」


美咲は即答した。


「本当に?」


「うん」


ゆきは嬉しそうに笑った。


そして――


「私のことを、忘れて」


美咲は固まった。


「……嫌」


「ママ」


「嫌だよ」


「でも……」


「絶対に嫌」


美咲は首を横に振った。


「やっと思い出したのに」


「うん」


「五年前のことも、あなたのことも」


「うん」


「なのに、忘れろなんて無理だよ」


ゆきは悲しそうに微笑んだ。


「全部じゃないよ」


「……え?」


「悲しいことだけを、忘れて」


美咲は黙った。


「ママが毎日、自分を責める理由にするなら」


ゆきは自分の胸に手を当てた。


「私のことを忘れてもいい」


「でも……」


「私がいなくなったことを、ママが自分のせいにするのは嫌」


美咲の目から涙が落ちる。


「私が生きていないことより――」


ゆきは、美咲をまっすぐ見つめた。


「ママが生きることを諦めるほうが、ずっと悲しい」


「……」


「だから約束して」


美咲は唇を噛んだ。


「何を?」


「私がいなくなっても、ご飯を食べて」


「……うん」


「笑って」


「うん」


「パパと喧嘩しても、仲直りして」


「……うん」


「旅行にも行って」


「うん」


「子どもができても、できなくても」


そこで、ゆきは少しだけ笑った。


「幸せになって」


美咲は泣きながら首を横に振った。


「そんなの……」


「できるよ」


「できないよ」


「どうして?」


「あなたがいないから」


ゆきは静かに答えた。


「私は、ママの中にいるから」


その言葉に、美咲は顔を上げた。


「ずっと?」


「うん」


「本当に?」


「だって、ママが思い出してくれたもん」


ゆきが一歩近づく。


そして、美咲の胸にそっと手を当てた。


「ここにいる」


温かかった。


夢なのに。


確かな温もりだった。


「だから、前を向いて」


「……ゆき」


「ママ」


「なに?」


「私ね」


ゆきは、少し照れたように笑った。


「ママに会えてよかった」


美咲の涙が止まらなくなった。


「私も……」


声が震える。


「私も、あなたに会えてよかった」


「ありがとう」


ゆきの身体が、さらに薄くなる。


「待って……」


「大丈夫」


「もう会えないの?」


ゆきは少し考えてから言った。


「今の私とは、会えなくなる」


「……」


「でも――」


ゆきは湖の向こうを見る。


そこには、小さな足跡が続いていた。


「約束の庭には、まだ会うべき人がいるから」


「……あの男の子?」


ゆきは答えなかった。


ただ、笑った。


そして、美咲の手を握る。


「ママ」


「うん」


「次に会うときは――」


「……?」


「私じゃないかもしれない」


その意味を考える間もなく。


ゆきの姿が光になった。


白い花びらが舞い上がる。


「ゆき!」


美咲は手を伸ばした。


最後に。


少女の声が聞こえた。


『ママ――』


『ありがとう』


そして。


少女は消えた。



美咲は目を覚ました。


朝だった。


頬は濡れている。


けれど、昨日までのような苦しさはなかった。


胸の奥に、温かいものが残っている。


美咲は枕元を見る。


白い花びらは、もうなかった。


代わりに――


机の上に、あの青いリボンが置かれていた。


そして、その横には一枚の紙。


昨日まで読めなかった文字が、今度ははっきり見えた。


『男の子なら――』


その下に、一つの名前。


美咲は息を呑んだ。


「……この名前」


なぜか涙が出た。


その名前を見た瞬間。


胸の奥で、誰かが笑った気がした。


けれど。


美咲はまだ、その名前を口にしなかった。


紙をそっと折りたたむ。


そして窓を開けた。


朝の光が部屋に差し込む。


美咲は空を見上げた。


「……ゆき」


もう一度だけ名前を呼ぶ。


返事はない。


それでも――


どこか遠くから、小さな声が聞こえた気がした。


『ママ』


『大丈夫』


その瞬間。


美咲のスマートフォンが鳴った。


健一からのメッセージだった。


『今日は一緒に出かけない?』


美咲は画面を見つめる。


そして、久しぶりに自然に笑った。


『うん。行こう』


送信した直後。


部屋の時計が――


十一時五十九分から、


十二時へ動いた。

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