第9話 次の町の祭り
祝い料理を出した翌朝、藤代誠吾が東市場へ火輪を戻すと、開店前から何人かに声をかけられた。
「昨夜の魚、ずいぶん評判だったそうですね」
最初に来たのは、石鱗魚を仕入れた魚屋の主人だった。
「魚が良かったんですよ。大きさも揃えてもらえたので助かりました」
「エルダさんの父親が朝から市場で話していますよ。石鱗魚へ甘い酸実の餡をかけた料理なんて初めて食べた、と」
「市場は本当に話が早いですね」
「商売人が集まるところですから。うまい飯の話と安い仕入れ先の話は、黙っていても広がります」
主人はそう言って笑い、今日の魚を並べる店へ戻っていった。
続いて青玉菜のエルダがやって来る。
昨夜は遅くまで祝いの席にいたはずだが、朝にはもういつも通り店頭へ立っていた。
「昨日はありがとう。娘も婿も喜んでたわ」
「こちらこそ、まとまった仕事をいただいて助かりました」
「父なんて、朝飯を食べながら昨日の魚の話をしてたくらいよ」
「それはありがたいですが、普段から出すには少し手間がかかりますね。注文をもらった日の料理にするくらいがちょうどよさそうです」
「そういうところが商売人ね」
「料理だけ作って暮らせるなら楽なんですが、店を持った以上はそうもいきません」
誠吾は笑いながら販売窓を開けた。
今日はいつもの餃子と炒飯。
牙尾猪が入った日には回鍋肉飯を出し、石鱗魚の状態がいい日には少量の魚料理を試す。祝い事のようなまとまった注文が入れば、その都度献立を考える。
気づけば、火輪の商売には少しずつ形ができ始めていた。
青玉菜はエルダの店。
肉と燻製肉は市場の肉屋。
山の食材や牙尾猪はゼクト。
魚は向かいの魚屋から買えば、朝のいいものを回してくれる。
雨で仕事場を離れられない日には、ダリオたちの荷場からまとまった注文が入る可能性もできた。
数日前まで、この町で誠吾を知る人間は一人もいなかった。
今は朝市場へ来れば、何人もの顔と名前が分かる。
それが思った以上に心地よかった。
火輪を始めた頃、誠吾は旅をすることばかり考えていた。
各地へ行く。
市場を見る。
料理を売る。
また次の場所へ向かう。
だが、同じ町へ数日留まることでしかできない商売もあるらしい。
昨日より今日の方が、自分が何を作る人間なのか知っている客が増える。
それでも、同じ場所へ根を張って店を構えるつもりはなかった。
この町が居心地いいからこそ、そろそろ次へ動きたいという気持ちも出てきている。
まだ知らない食材は、レドニアの外にもいくらでもあるはずだった。
朝の客が入り始める。
「セイゴさん、今日は回鍋肉はないんですか」
仕事前のダリオが品書きを見て尋ねた。
「牙尾猪が入った日に出す料理です。毎日ある材料じゃありませんからね」
「なら、今日は炒飯を大盛りでお願いします。餃子も付けてください」
「朝からよく食べますね」
「昨日、祝いに呼ばれてる連中から散々料理の話を聞かされたんですよ。こっちは仕事だったので余計に腹が立ちまして」
「俺に文句を言われても困りますよ」
「だから食べて埋め合わせします」
「それなら歓迎します」
誠吾は注文札を置いた。
短い雑談を交わしながらも手は止めない。
鉄板へ餃子を並べ、中華鍋を熱する。
すでに何十回も使った現地の燻製肉は、最初に仕入れた頃から切り方を変えていた。米と一緒に口へ入りやすい大きさへ刻み、脂の少ない部分なら油を少し増やす。
斑羽鳥の卵を鍋へ入れ、縁が固まり始めたところで米を加える。
鍋を返すたび、米が卵をまといながらほどけていく。
最後に香り葱と醤油。
今ではこの匂いだけで、通りから火輪を覗く人間も珍しくなくなった。
ダリオへ料理を出し、次の注文へ移ったところで、販売窓の外に見覚えのある男が立っていることに気づいた。
茶色い髭を短く整えた、50歳前後の商人。
「ご無沙汰しています、セイゴさん」
「バセルさん」
異世界へ来た最初の日、街道で荷馬車を壊していた雑貨商だった。
隣には、あの日餃子を追加注文した若い御者もいる。
「荷馬車は無事直ったようですね」
「おかげさまで。あの夜のうちに職人が来てくれましてね。書付を届けてもらえなければ、もう一晩街道で過ごしていたでしょう」
「俺は渡しただけですよ」
「その『渡しただけ』を引き受けてもらった側としては助かったんです」
バセルは火輪の品書きを眺めた。
「それにしても、ずいぶん馴染んだようですね。西門で衛兵からも、市場の変わった料理屋なら東へ行けと言われましたよ」
「まだ来て何日も経っていませんけどね」
「商売は日数ではありません。覚えてもらえる理由があるかどうかです」
長く商売をしてきた人間らしい言葉だった。
「せっかくですから、食べていってください。あの日と同じ餃子と炒飯があります」
「そのつもりで来ました。ただし、今日は客としてきちんと払いますよ」
「最初の日も払ってもらっています」
「そうでしたな。なら余計な前置きでした」
バセルと御者は、餃子と炒飯の組み合わせを一つずつ頼んだ。
誠吾は鉄板へ12個の餃子を並べる。
最初にバセルたちへ出した餃子とは、もう中身が違う。
日本から持ってきた白菜ではなく、今はレドニアの青玉菜が中心だ。
葱も市場の香り葱。
肉も現地のものを使っている。
鍋を振りながら、そのことを話すと、バセルは興味深そうに頷いた。
「つまり、最初に食べたものをそのまま売っているわけではないんですね」
「この土地の材料がうまいですから。無理に日本から買い続ける必要もありません」
「ニホンというのが、セイゴさんの故郷でしたか」
「ええ」
「ずいぶん遠い土地なのでしょうな」
誠吾は一瞬だけ手を止めそうになった。
遠い。
距離だけの話なら、それで済むのかもしれない。
「簡単には戻れないくらいには遠いですね」
それ以上は説明しなかった。
バセルも商人らしく、相手が話さないところへ無理に踏み込んではこなかった。
焼き上がった餃子と炒飯を運ぶ。
若い御者は餃子を一口食べると、少し驚いた顔をした。
「最初に街道で食べたものより、野菜が甘いですね」
「よく覚えていますね。あのときは故郷から持ってきた白菜を使っていました。今は市場の青玉菜です」
「俺はこちらの方が好きかもしれません。皮の中で肉の汁と合っています」
「そう言ってもらえるなら、変えた甲斐があります」
バセルは炒飯を口へ運び、しばらく噛んだ。
「肉も違いますね」
「市場の燻製肉です」
「なるほど。確かに燻した香りがある」
数日前に一度食べただけの客が、料理の変化へ気づく。
誠吾にはそれが嬉しかった。
「それで、バセルさんは今日は仕入れですか」
注文が一段落したところで、誠吾から尋ねた。
「半分はそうです。もう半分は、東へ向かう前の補給ですね」
「東へ?」
「ここから街道を2日ほど行ったところに、カルフェンという河港の町があります。そこへ向かいます」
聞いたことのない地名だった。
「河港なら、魚もレドニアとは違いそうですね」
思わず料理人の方が先に出た。
バセルは笑う。
「やはり最初にそこへ食いつきますか。大河沿いの町ですから、川魚や甲殻類は豊富ですよ。下流から香辛料や乾物も入ってくる」
「それは面白そうだ」
「ちょうど今から行くなら、もっと面白いでしょう」
バセルは匙を置いた。
「5日後から3日間、《川灯祭》が開かれます」
「川灯祭というのは、どんな祭りなんです?」
聞き慣れない名称をそのまま流さず、誠吾は先を促した。
「元々は大河の増水が収まる時期に、川へ灯りを浮かべて安全を祈る祭りです。今では近隣から商人や旅人が集まる大きな催しになっています。夜には川一面へ灯りが流れますし、昼は通りという通りに食べ物の店が出ます」
「料理屋も多いんですね」
「ええ。地元の店だけでは足りないので、旅商人向けの出店区画も用意されます。その場で場所代を払えば使える区画もありますよ」
面倒な手続きが必要なら考えたかもしれない。
だが、話を聞く限り火輪ならそのまま入れそうだった。
「5日後ですか」
「私たちは明日の朝にレドニアを出ます。荷馬車で2日ですから、祭りの前々日には着く予定です。セイゴさんの魔導車なら、もっと早いでしょうな」
誠吾の頭の中で、街道と日程が組み上がる。
今すぐ出れば早すぎる。
あと2日ほどレドニアで営業し、仕入れ先へ挨拶をしてから向かっても十分に間に合う。
カルフェン。
大河。
魚。
甲殻類。
下流から入る香辛料。
そして3日続く祭り。
行かない理由を探す方が難しかった。
「いい話を聞きました」
「行く顔になっていますな」
「分かりますか」
「市場で食材の話を聞いたときと同じです」
初日にバセルから似たことを言われたのを、誠吾は思い出した。
「30年たっても、そこだけは隠せないらしいですね」
「隠す必要もないでしょう。商人も料理人も、面白い品がある場所へ行くのが仕事みたいなものです」
「違いありません」
バセルは食事を終えると、カルフェンまでの道を簡単に教えてくれた。
レドニアから東街道を進み、大きな石橋を越えた先で南東へ分かれる。荷馬車なら途中の宿場で一泊するが、火輪なら無理をしなくても1日で着けるだろうという。
「川灯祭の時期は宿も混みます。セイゴさんの場合、寝泊まりする場所まで持ち歩いているから心配はいらなそうですが」
「そこは火輪のありがたいところです」
「祭りの東広場へ旅商人が集まります。料理を売るなら、まずそこを見ればいいでしょう」
「助かります」
食事代を払い、バセルたちは市場の買い付けへ戻っていった。
誠吾は販売窓の外へ目を向けた。
いつもの東市場。
青玉菜を並べるエルダ。
魚を捌く主人。
肉屋の軒から下がる燻製肉。
荷場から少し遅れてやって来るダリオ。
数日前までは、全部知らない景色だった。
今では何をどこから買えばいいか分かる。
誰へ声をかければいいかも分かる。
財布の中の金も、異世界へ来た初日より確実に増えていた。
遠隔仕入れで米や調味料を補充しても、現地で野菜や肉を買い、場所代を払い、それでも少しずつ貯えが増えている。
食っていける。
その手応えが、ようやく数字ではなく身体へ落ちてきた。
だからこそ、動ける。
この町でうまくいったから、離れられないのではない。
戻って来れば、また店を開ける場所ができたから、安心して次へ行ける。
昼の営業が一段落した頃、誠吾は向かいのエルダの店へ行った。
「エルダさん。2日後に、いったんレドニアを出ようと思っています」
青玉菜を並べていた手が止まった。
「旅に戻るのね」
「ええ。カルフェンの川灯祭というのを教えてもらいました。間に合うなら行ってみようと思います」
「川灯祭なら知ってるわ。若い頃に一度だけ行ったけど、人が多くて賑やかよ。魚もこことは全然違う」
「その話を聞いたら、ますます行くしかなくなりますね」
エルダは笑った。
「このままレドニアで店を出すのかと思ってたけど、最初から旅の料理屋だったものね」
「ここは気に入っています。だから、また戻ってきますよ」
「それなら青玉菜の畑もなくならないようにしておくわ」
「そこは俺がいなくても作ってください」
「冗談よ」
エルダは笑いながら、明日の分として取り置いていた青玉菜を誠吾へ渡した。
「あと2日なら、いいのを出してあげる」
「いつもいいものを買ってますよ」
「そう言ってくれる客は大事にするの」
市場の別の店にも、営業の合間に少しずつ伝えた。
肉屋は「戻ってきたら燻製肉を取っておく」と言い、魚屋はカルフェンへ行くなら向こうの銀腹魚を食べてみろと勧めてきた。
ダリオは昼過ぎに話を聞くと、少し残念そうな顔をした。
「しばらく炒飯が食えなくなるわけですね」
「2日後に出て、祭りが終わったらどうするか決めます。何か月も戻らないつもりではありませんよ」
「それなら安心しました。荷場の連中には、出る前に食べておけと伝えておきます」
「一度に全員連れて来ないでくださいよ」
「時間はずらします。前にお願いしたのを覚えていますから」
こういうやり取りができること自体、数日前には想像していなかった。
夕方、営業を終える。
売上を数え、翌日の仕入れ分を分ける。
日本の米と醤油、ごま油を《遠隔仕入れ》で補充し、残った硬貨を財布へ戻した。
最初にバセルたちから受け取った小銀貨を、大事に取っておこうとは思わなかった。
金は使って、仕入れて、料理に変えて、また戻ってくる。
その流れができていることの方が大切だった。
誠吾は火輪の運転席へ座り、端末を開いた。
地図にカルフェンという地名が自動で出てくるわけではない。
そこでバセルから聞いた道順を、自分で紙へ書いて運転席の脇へ置いた。
東街道。
大きな石橋。
南東への分かれ道。
大河沿いのカルフェン。
5日後から川灯祭。
知らない町へ行く。
また最初から客を探すことになる。
けれど、今度はレドニアへ来た初日とは違う。
火輪の使い方も分かった。
この世界の金の感覚も、少しずつ掴めてきた。
現地の食材を使うことにも慣れている。
何より、自分の料理で食っていけるという感触がある。
誠吾は紙を折り、運転席の収納へ入れた。
「あと2日、きっちり商売してから行くか」
急ぐ必要はない。
帰ってくるつもりなら、なおさら雑に立ち去る理由もない。
明日も餃子を包み、炒飯を作る。
約束している客へ飯を出す。
その先に、まだ見たことのない川と祭りが待っている。
火輪の旅が、ようやく町から町へ動き始めようとしていた。




