第8話 祝いの大皿料理
雨の日の出張営業から2日後、藤代誠吾は朝の仕込みを終えたところで、向かいの青玉菜店から手招きされた。
この数日ですっかり顔なじみになった店主は、エルダという名だった。40代半ばで、夫と2人の子供、それに実家の両親まで含めて畑と店を回しているらしい。
もっと早く名前を聞いておくべきだったと誠吾も思ったが、市場では互いに「店主さん」で話が通ってしまうため、そのままになっていた。
「セイゴさん、少し相談したいことがあるのよ。今日の営業が終わってからでも構わないんだけど」
「今なら仕込みも一段落しています。急ぎでなければ、ここで聞きますよ」
エルダは一度、自分の店にいる夫の方を振り返った。
「実は、娘が結婚することになってね。正式な式はまだ先なんだけど、明後日の夜に親戚と近所の人を呼んで、小さな祝いをするの」
「それはおめでとうございます」
「ありがとう。それで料理を何品か頼めないかと思ってるのよ」
誠吾はすぐに金額や料理の話へ入らず、まず人数と場所を聞いた。
「集まる人数は、今のところ何人くらいです?」
「大人が26人、子供が6人。増えても2人くらいだと思う。家の裏庭が広いから、そこで食べるつもりよ」
「30人を少し超えるくらいですね。普段の市場営業と違って、全員が同じ時間に食べ始める形になりますか」
「最初だけは揃うと思う。そのあとは酒を飲んで話す人もいるし、子供は勝手に動き回るでしょうね」
それなら、注文ごとに一皿ずつ作る料理より、大皿を何度かに分けて出す方が向いている。
誠吾の頭の中で、料理と段取りが組み上がり始めた。
「せっかくのお祝いですから、餃子と炒飯だけでは少し寂しいですね。いつもの料理も入れますが、大皿料理を何品か増やしましょう」
「任せても大丈夫?」
「人数と予算が決まれば組めます。ただ、食べ慣れない料理ばかり並べるのも違うので、この町の食材を多めに使いますよ」
エルダが安心したように笑う。
「その方がうちの親も喜ぶわ。セイゴさんの料理は好きだけど、父なんかは見たことのないものばかり並ぶと最初に警戒するから」
「年を取ると、新しいものが嫌なんじゃなくて、何を食わされるか分からない方が気になるんですよ」
「48歳の人が言うと説得力があるわね」
「俺はまだ警戒する側へ完全には入ってませんよ」
そのくらいの冗談なら、付き合いができてきた今では自然だった。
話し合った結果、料理は5品に絞った。
焼き餃子。
卵と燻製肉の炒飯。
牙尾猪と青玉菜の回鍋肉。
灰羽鳥の揚げ物へ、森葱と酸実を使った香味だれをかける料理。
そして祝いの中心には、石鱗魚を丸ごと使った甘酢あんを出す。
「魚は切り身にしないんですか」
「祝いの席なら、姿が残っていた方が見栄えがします。骨はありますから、小さい子には大人が取り分けてもらう必要がありますけどね」
「それは任せて。魚が丸ごと出るなら父も喜びそう」
「酸実を使って、甘酸っぱい餡をかけます。俺の故郷でも似た魚料理があるんですよ」
費用は材料代と手間を含めて決めた。
極端に安くする理由はない。
エルダもそこは商人だった。
「祝いだからまけてくれなんて言わないわよ。こっちも青玉菜を売って暮らしてるんだから、料理人の手間だけ無料にするような真似はしたくないもの」
「そう言ってもらえると助かります」
話がまとまる。
問題は材料だった。
石鱗魚は大きめのものが4尾欲しい。灰羽鳥も最低6羽。牙尾猪はゼクトから買った分がまだ十分残っている。
誠吾は営業が終わったあと、市場を一周した。
魚屋へ石鱗魚を頼むと、祝い用だと聞いた主人が奥から大きめの個体を見せてくれた。
「この辺なら明後日までに4尾揃えられる。なるべく大きさも合わせておくよ」
「助かります。鮮度を見て受け取りますね」
「料理人相手じゃ誤魔化せんな」
「誤魔化す気のない店だと思ってますから頼んでるんですよ」
それで話は済んだ。
灰羽鳥も市場の鶏屋で確保できた。
森葱と酸実はゼクトへ相談すると、翌日の夕方には必要量を火輪まで持ってきてくれた。
「今度は祝い料理に使うのか」
「ええ。森葱は灰羽鳥のたれへ、酸実は魚へ使うつもりです」
「料理を売り始めて何日も経ってないのに、もう祝いの飯まで頼まれるとはな」
「市場じゃ毎日顔を合わせますからね。日本で店をやるより、知り合うのは早いかもしれません」
ゼクトは森葱の束を販売台へ置いた。
「なら、いい仕事をしてこい。祝いの飯は、うまいだけじゃ足りんこともあるからな」
「分かっています」
誠吾も、そのくらいは30年の経験で知っていた。
祝いの席では、一人前だけ完璧に作っても意味がない。
最初の客が食べ終わる頃に最後の客の料理が出るようでは、場がまとまらない。
味だけでなく、出す順番と速度まで料理のうちだった。
◇
祝い当日の午後、誠吾は火輪をエルダの家へ移動させた。
市場からそれほど遠くない住宅街にあり、裏庭には荷馬車2台を並べても余裕があるほどの空間があった。
火輪を庭の端へ止め、販売窓が宴席へ向くよう車体を調整する。
長机が6台並び、家族や近所の者たちが椅子と食器を運んでいた。
誠吾は最初に全員を厨房へ近づけないよう頼んだ。
祝いの準備を手伝おうとしてくれる気持ちはありがたいが、人が多いほど火や油の周囲は危なくなる。
「料理を運んでもらう人だけ2人お願いできますか。厨房の中へは入らず、ここから皿を受け取ってもらえれば十分です」
「うちの息子と姪を付けるわ」
「それなら、大皿を置く場所だけ先に覚えてもらいます」
誰に何をさせるかを最初に決める。
大型店で宴会を担当していた頃から、それだけで現場の混乱はかなり減った。
火輪の厨房では、すでに下ごしらえの大半を済ませている。
餃子は180個。
いつもの営業より多いが、今日は注文を取りながら焼く必要がない。
炒飯用の米も十分に冷ましてある。
灰羽鳥は食べやすい大きさへ切り、下味を付けておいた。牙尾猪と青玉菜も、鍋へ入れる順番ごとに分けてある。
石鱗魚だけは、直前まで冷蔵庫へ入れておく。
宴席が始まる少し前、誠吾はまず餃子を焼き始めた。
一度に36個。
それを5回。
全部を完全に同時へ仕上げるのではなく、最初の3回分は焼き上がったところで保温し、残りは客が席へ着く時間に合わせる。
焼きたてが一番だ。
だが、30人以上へ料理を出す以上、全員の皿へ同じ秒数で焼き上がった餃子を載せることはできない。
何をどこまで先に作り、何を最後まで待つか。
宴会料理は、その見極めだった。
客が集まり始める。
今日の主役であるエルダの娘と婚約者が庭へ入ると、拍手が起きた。
誠吾は販売窓から一度だけ様子を確認した。
若い2人が祝いの中心に座り、その左右に両家の親族。市場で見知った顔も何人かいる。
ダリオまで来ていた。
こちらへ気づくと手を上げたが、誠吾も軽く返すだけにして鍋へ戻った。
今日は話をしに来たのではない。
食わせに来た。
最初に餃子を大皿で出す。
底には均一な焼き色が付き、上側の皮は柔らかさを残している。
「これがセイゴさんのギョーザか」
初めて見る親族もいたが、すでに食べたことのある市場の者が取り分け方を教えている。
料理の説明を、店主である誠吾が一卓ずつ回ってしなくてもよくなっていた。
それも少し嬉しかった。
続いて灰羽鳥の揚げ物へ入る。
下味を付けた肉へ薄く粉をまとわせ、高温の油へ入れる。
油の表面が一気に泡立った。
最初から大量に入れすぎない。
温度を落とせば衣が油を吸う。
肉の量を分けながら揚げ、最後に火を強めて表面を軽く締める。
揚げた灰羽鳥を大皿へ山のように盛った。
その上から、刻んだ森葱、酸実の果汁、醤油、少量の砂糖と酢を合わせた香味だれを回しかける。
熱い衣へたれが触れ、森葱の香りが立ち上がった。
「この鳥料理は、故郷では油淋鶏と呼ぶ料理を元にしています。揚げた鳥へ香味だれをかけたものです」
料理を受け取りに来たエルダの息子へ簡単に説明する。
「名前はそのまま伝えた方がいいですか」
「料理の説明を先にしてください。名前は聞かれたら油淋鶏だと教えてもらえれば十分です」
「分かりました」
知らない言葉を覚えてもらうことが目的ではない。
まず料理を食べてもらえばいい。
皿が出てしばらくすると、庭から賑やかな声が聞こえた。
それでも誠吾は覗きに行かない。
次は回鍋肉だった。
中華鍋へ牙尾猪を入れ、脂を出す。
豆板醤と甜麺醤を加え、生姜を効かせる。青玉菜を大量に使うが、一度に全部は入れない。
大皿一枚分ずつ。
鍋を振れる量へ抑えて仕上げる。
家庭で30人分を作るなら、大鍋へすべて入れてしまう方法もある。
だが、それでは青玉菜から水が出る。
誠吾は鍋を4回振った。
出来上がったものから大皿へ合わせれば、量は十分になる。
「セイゴさん、料理がなくなるのが早いです」
皿を運んでいたエルダの姪が戻ってきた。
「どれが一番減っています?」
「鳥の揚げた料理です。子供たちが何度も取っています」
「それなら、予備に取ってある分も揚げます。ただし、他の料理もまだ出ますから、全部追加しなくていいでしょう」
「分かりました」
足りなくなるからと、目の前の料理だけ追加し続ければ、後半の料理が余る。
宴会では食欲の配分も見る。
誠吾は灰羽鳥の追加を予定の半分だけ揚げた。
次が炒飯だ。
ここが一番忙しい。
一度に大量には作れない料理だからこそ、鍋を止めずに回す。
3人前、3人前、また3人前。
出来上がった炒飯を保温した大皿へ合わせ、ある程度の量になったところで客席へ出す。
卵の黄色。
燻製肉の赤茶。
香り葱の緑。
大皿へ山にしても、米粒が潰れて固まらないよう、盛り付ける者へも押さえないよう伝えた。
中華レンジの強火が途切れない。
額から汗が落ちそうになり、誠吾は腕で拭う代わりに、肩へ掛けた清潔な布で素早く押さえた。
忙しい。
だが、嫌な忙しさではなかった。
注文がばらばらに飛んでくる大型店の夜とは違う。
今日は出す料理も順番も自分で決めている。
必要な量を読み、前もって仕込み、時間に合わせて火を入れる。
料理人として積み上げてきたものを、そのまま使える仕事だった。
そして最後に、石鱗魚を出す。
4尾。
鱗と内臓は下処理済みで、身へ細かな切れ目を入れてある。
水気を徹底的に拭き、表面へ薄く粉をまぶす。
大きな中華鍋へ多めの油を張った。
1尾ずつ揚げる。
油へ入れた瞬間、尾まで大きく反り、表面が細かな泡に包まれた。
身の厚い部分へ油をかけながら火を通し、表面をしっかり固める。
揚がった魚を大皿へ移すと、誠吾は別鍋で餡を作った。
酸実の果汁。
砂糖。
酢。
少量の醤油。
清湯。
味を見ながら酸味と甘みを整え、水溶きの澱粉でとろみを付ける。
刻んだ香り葱と、細切りにした橙色の根菜も加えた。
赤みを帯びた甘酢餡を、揚げた石鱗魚へ一気にかける。
熱い魚へ餡が触れ、甘酸っぱい湯気が上がった。
4尾を大皿へ載せると、それまでの料理とは明らかに見栄えが違った。
「これは主役の2人の前へお願いします。切り分ける前に、一度そのまま見てもらってください」
エルダの息子が慎重に皿を持ち上げた。
「ずいぶん豪華ですね」
「祝い事ですから。最後くらいは、見た瞬間に少し驚く料理があってもいいでしょう」
料理が庭へ運ばれる。
数秒後、今までより大きな声が上がった。
誠吾はそこでようやく販売窓から外を見た。
大皿を囲み、主役の2人だけでなく親族まで魚を覗き込んでいる。
エルダの父らしい年配の男が、揚げた石鱗魚を見ながら何か話していた。
しばらくして、エルダが厨房までやって来る。
「セイゴさん、父が呼んでるわ。手が空いたら少しだけ来てもらえる?」
「料理は全部出ましたから、今なら大丈夫です」
誠吾は火元を確認し、手を洗ってから庭へ出た。
拍手された。
一瞬、何事かと思った。
誠吾はこういう場で前へ出ることには慣れていない。料理長として宴会を何度も担当したが、客席へ呼ばれることなどほとんどなかった。
エルダの父が立ち上がる。
70歳前後だろうか。白髪の多い大柄な男だった。
「セイゴさん。娘から、あんたは遠い土地から来た料理人だと聞いている」
「ええ。しばらくこの町で商売をさせてもらっています」
「この魚は昔から祝いの時に食う。ただ、こんな姿で出てきたのは初めてだ」
「口に合いましたか」
「最初は、せっかくの石鱗魚を揚げてしまうのかと思った」
年配の男はそこで笑った。
「食ったら考えが変わった。皮は香ばしいのに、中は柔らかい。酸実の酸っぱさも、甘くするとこうなるんだな」
「元々いい魚ですから。俺は少し違う食べ方にしただけですよ」
「それが料理人の仕事なんだろう」
誠吾は余計に謙遜せず、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
主役の娘も席から声をかけてきた。
「セイゴさん、鳥の料理もすごくおいしかったです。弟たちが食べすぎて、私の分までなくなるところでした」
「それなら追加を揚げておいて正解でしたね」
隣に座った婚約者らしい青年も頭を下げる。
「こんな料理を用意してもらえると思っていませんでした。ありがとうございます」
「祝いの席ですからね。俺も作り甲斐がありました」
そこで長く話すことはしなかった。
今日は誠吾が主役ではない。
祝いの席へ戻る人々を見送り、火輪へ戻る。
残っていたのは、少量の炒飯と回鍋肉。
餃子はきれいになくなり、油淋鶏も追加分までほとんど残っていない。
石鱗魚は骨以外ほぼ空だった。
宴席が続く横で、誠吾はゆっくり片づけを始めた。
使った鍋を洗う。
油を処理する。
残った食材を冷蔵庫へ戻す。
そこへエルダが支払いを持ってきた。
「本当に頼んでよかったわ。娘も喜んでる」
「こちらもいい経験になりました。普段の営業とは料理の出し方が違いますから」
「父なんて、今度自分の誕生日も頼めと言い出してるわよ」
「毎月祝い事を作るのは勘弁してくださいよ」
「そこまではしないわ」
2人で笑った。
エルダは約束していた代金に加え、少し多めの硬貨を置こうとした。
誠吾は金額を見て、そのまま受け取らずに一度数え直す。
「これは多いですね。約束した額だけで十分です」
「追加で鳥も揚げてもらったし、予定より料理も手が込んでいたでしょう」
「追加分も見込んだ値段です。料理を豪華にしたのは俺がそうしたかったからですよ」
エルダは少し考え、余分な硬貨を引っ込めた。
「分かった。じゃあ、次に頼むときもちゃんと商売としてお願いする」
「その方が長く付き合えます」
金額を曖昧にして恩を作るより、決めた対価を受け取る。
その方が誠吾にも気楽だった。
火輪を市場へ戻したのは、夜もかなり更けてからだった。
居住区へ入り、椅子へ腰を下ろす。
さすがに疲れた。
30人を超える料理を1人で仕上げるのは、身体が強くなっていても楽ではない。
それでも、大型店で働いていた頃のような消耗感はなかった。
自分で献立を決め、自分で仕入れ、食べる人間の顔を見て、自分の判断で料理を出した。
同じ大量調理でも、ずいぶん違う。
誠吾は冷蔵庫から冷えた茶を取り出した。
明日になれば、また市場でいつもの餃子と炒飯を売る。
祝いの日には大皿料理を作り、雨の日には荷場へ飯を届ける。
山へ行けば、自分で食材を探すこともできる。
火輪でできる商売は、店先で客を待つだけではないらしい。
「思ってたより、いろんな店になりそうだな」
そんな独り言を残し、誠吾は残しておいた石鱗魚の甘酢あんを一口だけ味見した。
冷めていても悪くない。
ただし、次に出すなら酸実をほんの少し減らしてもよさそうだった。
祝いが無事に終わった夜でも、最後に考えるのはやはり料理のことだった。




