第3話 120個でも足りなかった
レドニアへ来て3日目の朝、藤代誠吾は市場が本格的に動き始めるより早く、火輪の厨房へ立っていた。
前日に残った餃子12個は、営業を終えたあと冷凍庫へ回してある。保存に問題はないが、今日の店頭へ並べるつもりはなかった。自分で食べるなり、味を比べるために使うなりすればいい。
今日売る分は、すべて新しく包む。
昨日の閉店前に青玉菜の店へ追加を頼み、豚に似た家畜の肩肉も肉屋から確保しておいた。青玉菜は水分が多いため、昨夜のうちに外葉を落として状態を揃え、肉も余分な筋だけ取って冷蔵庫へ入れてある。
予定は120個。
初日の90個から、30個増やした。
朝一番から包み始めても間に合う数ではあるが、1人で営業する以上、開店してから仕込みに追われるのは避けたい。誠吾は夜のうちに生地まで作り、冷蔵庫でゆっくり休ませていた。
生地を取り出し、状態を確かめる。
日本の小麦粉と、この町で買った粉を半分ずつ使った皮だ。前日より少し水を増やしたことで、伸ばしたときの戻りが穏やかになっている。
「こっちの方が包みやすいな」
独り言を漏らしながら、誠吾は生地を棒状へ整え、同じ重さになるよう切り分けていった。
麺棒を転がし、中央だけ少し厚みを残して円形へ伸ばす。左手へ皮を載せ、餡を置き、右手の指でひだを寄せる。
青玉菜は、昨日より塩を当てる時間を短くした。水分を抜きすぎないためだ。肩肉も細かくしすぎず、噛んだときに肉の存在が分かる程度に粒を残している。
同じ料理を作っても、その日の材料を見て少しずつ変える。
30年間、そうしてきた。
昨日の客が喜んだからと、昨日とまったく同じことを繰り返すだけでは腕は止まる。
120個目を盆へ並べ終えた頃には、販売窓の外から店を開く音が聞こえ始めていた。木箱を下ろす音、野菜を並べる店主の声、魚を入れた桶へ水を足す音が、市場の朝の空気へ重なっている。
誠吾は手を洗い、朝の茶を一口飲んだ。
炒飯用の米も炊き上がっている。
斑羽鳥の卵は昨日より多めに仕入れ、燻製肉も十分ある。鶏の清湯は昨夜作り直した。
品書きは昨日と同じ。
焼き餃子6個が銅貨4枚。
燻製肉と卵の炒飯が銅貨5枚。
餃子、炒飯、スープの組み合わせが銅貨8枚。
ただし、販売台の脇には小さな紙束と炭筆を置いた。
昨日、客が重なったときに注文の順番を頭だけで管理しそうになったためだ。覚えられないわけではない。しかし、できることと、やるべきことは別だった。
忙しくなってから間違えないようにするより、忙しくなる前に間違えにくい形へしておく。
大きな店の厨房を任されていた頃から、その考えは変わらない。
販売窓を開け、日除けを広げる。
昨日とは違い、最初の客を待つ時間はほとんどなかった。
「おはようございます、セイゴさん」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
ダリオがいた。
その後ろには、同じような仕事着をした男が6人並んでいる。年齢は20代後半から40代くらいまで。全員が腰へ太い革帯を巻き、肩には荷物を担ぐための布を掛けていた。
朝一番からすでに働いていたらしく、腕や首筋に薄く汗が浮いている。
「おはようございます。ずいぶん大勢ですね」
「昨日、炒飯と餃子の話をしたら、俺だけ食ったのはずるいと言われまして」
ダリオが少し困ったように笑う。
後ろにいた40代くらいの男が頭を下げた。
「朝から押しかけてすみません。ダリオが珍しく飯の話を何度もするものですから、皆で気になってしまって」
「店を開けているんですから、客が来てくれるのはありがたいですよ」
誠吾は品書きを指した。
「昨日と同じ3種類です。量が足りなければ相談してください」
「俺は昨日と同じ組み合わせでお願いします」
ダリオが銅貨8枚を出す。
それを見て、同行した男たちも品書きと相談し始めた。
結局、7人のうち6人が餃子と炒飯の組み合わせ、1人が炒飯を頼んだ。
いきなり餃子36個。
昨日なら少し身構えたかもしれないが、今日は120個用意している。
「先に代金をいただきます。料理は注文順に出しますから、席で待っていてください」
金を受け取りながら、紙へ簡単に注文を書いて番号を振る。
誠吾は厨房へ戻ると、餃子を鉄板へ並べ始めた。
36個なら一度に焼ける。
ただし、詰め込めばいいわけではない。鉄板の外側と中央ではわずかに熱の入り方が違うため、一定の間隔を取りながら並べていく。
油を引き、底へ最初の熱を入れる。
皮の触れた場所から細かな音が立ち始めたところで、誠吾は隣の中華レンジへ鍋を載せた。
炒飯は7人前を一度には作らない。
最初に3人前。次に2人前を2回。
無理に量を増やせば鍋の温度が下がり、米が重くなる。客を数分待たせないために、料理そのものを悪くする気はなかった。
十分に熱した中華鍋へ、細かく刻んだ燻製肉を入れる。
肉から脂が滲み出し、燻した木の香りが立った。
そこへ斑羽鳥の卵を流し込む。
濃い黄色が鍋の底へ広がり、縁がふくらんだ瞬間に冷ました米を加えた。玉杓子で米をほぐしながら鍋肌へ広げ、強火で余分な水分を飛ばしていく。
香り葱を加え、塩と白胡椒で整える。
最後に醤油を鍋肌へ落とした瞬間、香ばしい匂いが販売窓から市場へ抜けた。
外で待っていた男たちの会話が、一瞬だけ途切れる。
「昨日も思いましたけど、あの匂いは腹に悪いですね」
ダリオの声が聞こえた。
「昼まで我慢すればよかったんじゃないですか」
鍋を振りながら誠吾が返す。
「その頃には仕事で市場の反対側ですよ」
「なら、朝に来て正解でしたね」
「ええ。今日は最初からそのつもりでした」
互いに笑ったが、会話はそれ以上引っ張らなかった。
誠吾は餃子の鉄板へ水を回し、すぐ蓋をした。
熱せられた鉄板へ触れた水が一気に蒸気へ変わり、蓋の隙間から白い湯気が立つ。肉と青玉菜、生姜、ごま油の匂いが混ざり、炒飯とは別の香りを市場へ広げていった。
最初の3皿を仕上げる。
次の鍋へ移る前に一度鍋肌をきれいにし、また油をなじませる。
忙しいときほど、必要な手間を抜かない。
2回目の炒飯を作り始めたところで、火輪の前に新しい客が立った。
昨日、餃子だけを買った青玉菜の店主だった。
「セイゴさん、おはよう。朝からずいぶん賑やかね」
「おかげさまで。今日も餃子ですか?」
「そのつもりだったけど、あの人たちが食べてる米も気になるわ。今日は組み合わせを一つお願い」
「ありがとうございます。少しお待たせします」
紙へ注文を追加する。
その後ろには、すでにもう1人いた。
魚屋の男だった。
「俺も同じものを頼めますか」
「もちろんです」
昨日と違う。
店を知らない人間ばかりだった初日とは、客の寄り方が明らかに変わっていた。
すでに食べた者が戻ってくる。
その様子を見て、初めての客も立ち止まる。
人が人を呼ぶというのは、日本でもこの町でも変わらないらしい。
餃子の蓋を取る。
水分を十分に飛ばしたところで、ごま油を細く回す。皮の底がもう一段香ばしくなり、鉄板から自然に離れた。
皿へ移して客へ出す。
「餃子は中が熱いので、最初の一口だけ気をつけてください」
昨日も食べたダリオは、もう扱いを覚えている。
餃子の端を少し開き、湯気を逃がしてから口へ運んだ。
「昨日より中が柔らかいですね」
その言葉に、誠吾は少し目を細めた。
「よく分かりましたね」
「気のせいじゃなかったんですか」
「昨日より青玉菜の水分を少し残しています。餡も練りすぎないようにしました」
ダリオはもう一つ食べた。
「俺は今日の方が好きです」
「それなら直した甲斐がありました」
隣にいた仲間が、呆れたようにダリオを見る。
「お前、昨日一回食っただけなのに、もう常連みたいだな」
「うまい飯の話をして何が悪い」
「悪いとは言ってない。俺も明日また来るかもしれん」
その言葉を聞きながら、誠吾は次の炒飯を仕上げた。
戻ってくると言われる。
料理屋をしていて、それよりありがたい評価はあまりない。
しばらくして、最初の7人の皿が半分ほど空いた頃だった。
40代の男が炒飯を食べながら販売窓へ顔を向けた。
「セイゴさん、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「炒飯、大盛りにはできます?」
誠吾は男の体格を見る。
肩幅が広く、腕も太い。
「今の量では足りませんか」
「味は十分なんです。ただ、朝から荷を担いでると、昼前に腹が減るんですよ」
「なるほど」
客の好みではなく、仕事に必要な量の話だった。
誠吾は頭の中で米と具の原価をざっと計算する。
「3割くらい増やして、銅貨1枚追加ならできます。肉も少し増やします」
「それでお願いします。今からでも追加できますか?」
「まだ食べ始めたところなら、別皿で少し炒めましょうか」
「助かります」
追加分を作る。
男はそれをきれいに平らげ、満足そうに腹を撫でた。
「これなら昼まで持ちます」
「次から最初に大盛りと言ってください」
「分かりました」
誠吾は品書きへ、
《炒飯大盛り 銅貨1枚追加》
と書き足した。
それを見たダリオが、すぐに口を開く。
「俺も明日から大盛りでお願いします」
「明日の分まで今注文しなくて大丈夫ですよ」
「売り切れる前に言っておこうかと」
「来てからで十分です」
笑いが起こる。
昨日までは名前すら知らなかった相手たちだ。
馴れ合うほど親しくはない。それでも、料理を挟めば少しずつ会話が増えていく。
誠吾が欲しかった店は、こういうものだった。
大型店で料理をしていた頃は、客席の顔をほとんど見ない日もあった。厨房で何百皿作っても、それを誰がどう食べたのか知らずに営業が終わることも珍しくない。
火輪なら、客がどんな顔で食べ、何が足りず、何をもう一度食べたいのかが直接分かる。
手間は増える。
だが、その手間を含めて悪くなかった。
気づけば、販売窓の前には5人ほど客が待っていた。
「すみません、餃子と炒飯を一つずつ」
「私は餃子だけお願いします」
「炒飯を大盛りで」
注文を聞き、紙へ書く。
金を受け取った順に並べ、厨房へ戻る。
焼きながら炒め、炒めながら次の皿を用意する。
餃子の焼き上がりを待つ数分でスープを整え、客が食べ終わる頃合いを見て空いた皿を回収する。
1人営業は、料理だけできればいいわけではない。
注文を取り、金を扱い、皿を洗い、次の食材も見なければならない。
だからこそ、仕事の流れを一度決めたら不用意に崩さない。
客が増えても、誠吾の声が大きくなることはなかった。
「次は餃子だけのお客様。その次が炒飯大盛りです。少しお待ちください」
「店主さん、皿はここへ置けばいいですか?」
「ありがとうございます。販売台の左へお願いします」
常連になりつつある青玉菜の店主が、食べ終わった皿を他の客の分まで重ねて持ってきた。
「忙しそうね」
「昨日よりは。ただ、まだ手の内ですよ」
「それなら安心したわ。青玉菜、追加で取っておいた方がいい?」
その言葉に、誠吾は餃子の盆へ視線をやった。
残り54個。
まだ昼の鐘は鳴っていない。
「お願いします。明日も今日と同じくらいは使いそうです」
「分かった。いいものを避けておくわ」
仕入れ先との話まで、その場で一つ進んだ。
誠吾は礼を言って鍋へ戻る。
やがて餃子の残りが30個になった。
客はまだいる。
誠吾は販売窓の脇へ札を出した。
《餃子 残り5皿》
「あと5皿ですか」
並んでいた男が少し慌てて品書きを見た。
「俺、2皿もらっても?」
誠吾は後ろの列へ目を向けた。
「申し訳ないですが、今は1人1皿でお願いします。待っている方にも食べてもらいたいので」
「そういうことなら仕方ない。1皿で」
「明日はもう少し考えます」
もっと作っておけば売れる。
それは分かった。
しかし、客がいるからと際限なく増やす気はなかった。
自分一人で包める量。
営業中に焼き切れる量。
炒飯やスープも含めて、料理の質を落とさず回せる量。
店を長く続けるなら、売れる数より先に、自分の仕事量を見なければならない。
最後の30個を鉄板へ並べる。
水を回し、蓋をした。
蒸気が立ち上る。
この匂いにも、少しずつ市場の人間が慣れてきたのだろう。昨日のように全員が振り向くわけではない。それでも、通り過ぎながら火輪へ目をやる者は多かった。
蓋を開け、ごま油を回す。
焼けた底面がきれいに色づいた。
最後の皿を受け取ったのは、乾物を売っている年配の女性だった。
「私で最後ですか」
「今日の餃子は、これで終わりです」
「あら、それなら運がよかったわ」
「明日も作りますから、そこまで大げさなものじゃありませんよ」
「売る方はそう言うけど、買う方は食べたい日に食べたいのよ」
女性は笑い、皿を持って席へ向かった。
120個。
すべて出た。
誠吾は空になった盆を一度だけ見てから、すぐ中華鍋へ向き直った。
餃子は売り切れたが、炒飯用の米はまだ少しある。
その後も炒飯だけの注文をいくつか受け、昼の鐘が鳴って間もなく、米も残り1人前になった。
最後の1皿は自分用に残す。
誠吾は品書きを裏返した。
《本日分 終了》
市場へ店を出して2日目。
初めての売り切れだった。
だからといって、客の前で拳を上げるような気分にはならない。
ただ、空になった餃子盆を洗いながら、口元には自然と笑みが浮かんだ。
作ったものを全部売る。
料理屋にとって、分かりやすい結果だった。
洗い物を片づけたあと、残しておいた炒飯を自分の皿へ盛る。
今日は少しだけ燻製肉を小さく切ってある。
昨日、匙ですくったときに米だけが残ることが何度かあったからだ。
食べてみると、肉と米が一緒に口へ入りやすくなっている。香りは十分残っているため、この大きさの方が炒飯には合いそうだった。
「こっちだな」
客へ出した料理を、自分でも食べて確かめる。
忙しくても、それだけは外したくなかった。
食事を終えてから売上を数える。
場所代と今日の食材代を差し引いても、昨日よりはっきり手元の金が増えている。
通販で日本の食材を買えるとしても、それだけでは意味がない。
現地で仕入れ、現地で料理を売り、その金でまた仕入れる。
その流れが回り始めている。
財布の中の硬貨以上に、その事実の方が誠吾には嬉しかった。
ただし、今日の結果には別の課題もある。
120個でも足りなかった。
「150か……」
口にしてから、誠吾は少し考えた。
単純に30個増やすだけならできる。
だが、朝の仕込み時間は確実に伸びるし、客がさらに増えれば、注文と配膳と洗い物も重くなる。
今朝のように一度に7人来た程度なら問題ない。
10人、15人と重なったときに同じように回せるかは別だ。
増やすなら、仕込みの順番も変えた方がいい。
皮の生地は前夜。
肉も筋取りまでは前日。
青玉菜は鮮度を落とさない範囲で、朝すぐ刻める状態へしておく。
営業中の注文札も、もう少し見やすくすればいい。
考えることは増えたが、嫌ではなかった。
売れない店の改善より、売れる店をどう回すか考える方がずっと楽しい。
「セイゴさん」
販売窓の外から声をかけられた。
顔を上げると、ダリオが立っていた。
朝とは違い、肩へ大きな荷物は担いでいない。昼の休憩に入ったらしい。
「もう終わったんですね」
「ええ。おかげさまで餃子も米もなくなりました」
「仲間を連れてきておいて言うのも何ですが、120個で足りなかったんですか」
「そのようです。明日は少し増やします」
「じゃあ、俺は早く来た方がいいですね」
「大盛りを食べたいなら、その方が確実でしょう」
ダリオは笑った。
「今日連れてきた連中も、また来ると言ってました。別の組の連中にも話が行ってるみたいです」
「それはありがたいですが、一度に全員来られると少し困りますね」
「時間をずらすよう言っておきますよ。俺たちも昼休みが全員同じじゃないので」
「助かります」
客の方から店の事情まで考えてくれる。
まだ知り合って2日だが、こういう関係が少しずつ増えていくなら、この町にしばらくいるのも悪くない。
ダリオが仕事へ戻ったあと、誠吾は机と椅子を拭き始めた。
その途中で、1人の男が火輪の前に立った。
50歳を少し過ぎたくらいだろうか。
白いシャツの袖を肘までまくり、焦げ茶色の前掛けをしている。前掛けには洗っても完全には落ちなかった油染みがあり、右手の指には細かな火傷の跡が残っていた。
客というより、仕事場からそのまま出てきた格好だ。
男は裏返された品書きを見てから、誠吾へ視線を移した。
「もう営業は終わりですか」
「すみません。今日用意した分は全部出ました」
「そうですか。少し遅かったな」
残念そうにはしたものの、不満を言う様子はない。
それより男の目は、開いた販売窓の向こうへ向いていた。
中華レンジ、鉄板、作業台。
客が珍しい道具を見る目ではなかった。
誠吾にも覚えがある。
厨房へ入った人間が、最初に火元と作業動線を見るときの視線だった。
「料理をされているんですか?」
誠吾が尋ねると、男は少し笑った。
「分かりますか」
「客なら、鍋より先に料理を見ることが多いので」
「なるほど。私はローデルといいます。市場の南通りで《赤鍋亭》という食堂をやっています」
「藤代誠吾です。セイゴで結構です」
「名前はもう聞いています。昨日から、うちへ来る客がこちらの炒めた米や、小麦の皮で肉を包んだ料理の話をしていましてね」
誠吾は苦笑した。
「市場は話が広がるのが早いですね」
「飯の話は特に早いですよ。うちも25年やっていますが、珍しい店が出れば客の方から教えてくれます」
25年。
誠吾より少し短いとはいえ、十分に長い。
話し方からしても、若い料理人を品定めしに来たという雰囲気ではなかった。
同じ仕事を長く続けてきた人間が、気になる店を見に来ただけなのだろう。
「せっかく来ていただいたのに、何も残っていなくて申し訳ない」
「売り切れた店へ遅れて来たのはこちらですから。明日また来ます」
そこでローデルは少し間を置いた。
「ところでセイゴさん、この町へ来て何日です?」
「一昨日の夕方に着いたばかりです」
「それなら、まだレドニアの料理をほとんど食べていないんじゃありませんか」
「昨日、豆と肉の煮込みは食べました。朝市でも少し味見はしましたが、食堂へゆっくり入る時間はまだ取れていません」
「でしたら、今夜うちへ来ませんか」
ローデルは南通りの方角を指した。
「こちらだけあなたの料理を気にしているのも妙な話です。うちの飯も一度食べてもらいたい。口に合うかどうかは、食べてから決めてもらえばいい」
料理人らしい誘い方だった。
自信はある。
しかし、自分の料理が絶対だとは言わない。
誠吾はその言い方が気に入った。
「ぜひ。明日の仕込みがありますから、長居はできませんが」
「それはこちらも同じです。夜の営業中ですから、私も座って話し続ける暇はありません」
「それなら、お互いちょうどいいですね」
ローデルが笑った。
「夕方の鐘が鳴る頃なら店にいます。軒先に赤い鍋を吊ってあるので、すぐ分かりますよ」
「分かりました。伺います」
「では、今夜」
ローデルは軽く頭を下げ、市場の人混みへ戻っていった。
誠吾はその背中を見送る。
120個の餃子が売り切れた。
仕入れ先からは、明日の青玉菜を取り置いてもらえる。
荷運びの客には大盛りという新しい需要が見つかり、戻ってくると言う客も増えた。
さらに今夜は、この町で25年店を続けてきた料理人の飯を食べられる。
店を始めてまだ数日。
それでも、昨日より今日の方が、この町で知っている顔が増えていた。
誠吾は販売窓を閉める前に、向かいの青玉菜の店へ声をかけた。
「明日の分、150個くらい作れる量をお願いできますか」
店主がすぐに頷く。
「取ってあるわよ。今日の売れ方なら、そう言うと思ってた」
「さすがですね」
「こっちも商売だからね」
誠吾は笑い、火輪の厨房へ戻った。
150個。
数を増やすだけではなく、今日より楽に回せるよう仕込みも変える。
その前に、今夜は赤鍋亭だ。
知らない料理を食べられると思うと、自然と次の仕事へ手が動いた。




