第2話 レドニアの朝市
レドニアの西門へ着いた頃には、城壁の上へ夕日が半分ほど沈んでいた。
門前には町へ戻る荷馬車が数台並び、その脇を籠を背負った人々が行き来している。誠吾は火輪を最後尾につけ、前の車との間を空けながらゆっくり進んだ。
石造りの城壁は近くで見るとかなり高い。門の両側には槍を持った衛兵が立ち、入ってくる荷や人を一組ずつ確かめていた。
火輪が珍しいことは、並んでいるうちから分かった。
荷馬車の御者が振り返り、通行人が足を止める。もっとも、悲鳴を上げたり逃げ出したりする者はいない。バセルが火輪を見て「魔導車」と呼んだことを考えれば、自力で動く乗り物そのものは存在するらしい。
順番が来ると、40代ほどに見える衛兵が運転席の横まで来た。
「見慣れない魔導車ですな。旅の方ですか?」
「ええ。藤代誠吾といいます。料理を売りながら旅をしています」
「料理を?」
「後ろが厨房になっています」
販売窓を指すと、衛兵は納得したように車体を見回した。
「なるほど。移動する料理店ですか」
「そんなところです。それと、西街道で荷馬車を壊した商人から書付を預かっています。バセルさんという方です」
助手席から書付を出す。
衛兵は封の印を見るなり表情を変えた。
「バセル商会の旦那でしたか。怪我人は?」
「いません。車軸を留める金具が割れたそうで、今夜は街道で野営すると言っていました」
「それなら、職人組合へ早めに届けた方がいいでしょう。門を入って右へ、そのまま大通りを進めば看板が出ています」
「助かります。もう一つ、この町で料理を売るなら、どこへ行けばいいでしょう」
「旅商人なら東市場ですな。空いている区画を日ごとに借りられます。火を使う商売なら市場係へその旨を伝えてください」
必要な説明だけで話は済んだ。
荷物をすべて降ろせと言われることもなく、衛兵が厨房を外から確認すると通行を許された。
誠吾は礼を言い、火輪を町の中へ進めた。
石畳へタイヤが乗ると、土の街道とは違う細かな振動が運転席まで伝わってくる。道幅は荷馬車同士が余裕を持ってすれ違えるほどあり、左右には石と木を組み合わせた2階建て、3階建ての建物が並んでいた。
パンを焼く匂いに、炭火で炙った肉の煙。少し進めば革を扱う店の独特な匂いが混じり、開いた酒場の扉からは人の声と食器の音が漏れてくる。
人通りも多かった。
仕事帰りらしい職人、買い物籠を提げた女、樽を転がす男。その中には獣の耳を持つ者や、額に小さな角がある者も自然に混じっている。
火輪へ集まる視線は多いが、誠吾にとっても向こうの景色は同じくらい珍しい。
「見るものが多いな」
運転しながら、思わず口元が緩んだ。
森の中へ放り出されたときはどうなることかと思ったが、こうして町へ入れば少し気持ちも落ち着く。人が働き、物を売り、食事をする場所なら、自分にもやれることがある。
職人組合は、衛兵の説明どおり大通り沿いにあった。
火輪を邪魔にならない場所へ止め、受付でバセルの書付を渡す。眼鏡をかけた中年の職人が内容を読むと、すぐ奥へ声をかけた。
「西街道の古い石標を越えた辺りですか?」
「ええ。荷馬車が2台止まっています。壊れたのは前の1台です」
「分かりました。まだ明るいうちに向かわせます」
ほどなくして、工具箱と交換用の金具を積んだ小型荷車が用意され、職人が2人乗り込んだ。
仕事が早い。
バセルがこの町で信用されているからというのもあるのだろう。
「知らせていただいて助かりました」
「こちらも道を教えてもらいましたから、お互い様です」
預かり物を無事に届け、誠吾は再び町へ出た。
第1の用事は済んだ。
次は腹だった。
街道で餃子と炒飯を作ったものの、自分が口へ入れたのは味を見る程度だった。何より、城門へ近づいたときから、この町の食べ物の匂いが気になっている。
大通りを少し歩くと、店先へ大鍋を出している小さな食事処があった。
鍋の中では、茶色い汁の中で肉と豆、それに大きめに切った根菜が煮えている。隣では平たいパンが籠へ積まれ、仕事帰りの客が立ったまま食べていた。
誠吾は火輪を近くへ止め、店へ向かった。
「一人分、お願いできますか」
「もちろん。パンも付けるかい?」
鍋を見ていた50代くらいの女が答えた。
「お願いします」
出されたのは、豆と肉の煮込みに平たいパンを1枚。それで銅貨4枚だった。
誠吾は空いている外の席へ座る。
まず煮込みの香りを確かめた。
肉の脂と炒めた玉葱、それに知らない香草の匂いが混じっている。派手な香辛料の香りではないが、長く煮込んだ肉の匂いをうまく整えていた。
一口食べる。
肉は少し筋がある部位だが、時間をかけて火を入れているため、噛めば簡単にほぐれた。豆は形を残しながら柔らかく、汁へ自然なとろみをつけている。
根菜は人参に似た甘さがあるものの、後味にはわずかな土の香りがあった。
「うまいですね」
誠吾が素直に言うと、女店主が鍋を混ぜながら笑った。
「旅の人の口に合ったなら良かったよ」
「この香草は何です?」
「乾かした野月草。肉の臭みを取るのさ」
「なるほど」
知らない料理だった。
だが、雑なものではない。
安い部位を柔らかく煮込み、豆で腹持ちを良くし、香草で肉の匂いを整える。毎日働く人間へ出す飯として、きちんと考えられている。
平たいパンを汁へ浸して食べると、麦の香ばしさまで加わった。
異世界の食事だから味が薄いとか、調理が遅れているとか、そんな単純な話ではなさそうだった。
「いい町かもしれんな」
誠吾は小さく呟き、最後に残った汁までパンで拭って食べた。
食後、東市場へ向かった。
店じまいを始めている商人が多かったものの、市場係の窓口はまだ開いていた。翌日から料理を売りたいと伝えると、年配の女性が台帳を確認し、荷馬車2台分ほどの広さがある区画を紹介してくれた。
「魔導車ごと入るなら、この場所が使いやすいでしょう。1日銅貨3枚。水場は市場の東側、ゴミは裏の集積所へ。火を使うなら外へ燃え移らないようにだけ気をつけてください」
「火は車内の設備で使います。外へ焚き火を出すことはありません」
「それなら問題ありません。明け方から農家が入り始めて、朝の鐘が2つ鳴る頃には客も増えます」
「では、明日ここを借ります」
場所代を払い、区画を確保した。
その夜は、借りた場所へ火輪を止め、そのまま居住区で休むことにした。
寝る前に冷蔵庫を開ける。
街道で売った残りの餃子が22個。
安全上は翌日でも問題なく食べられるが、明日の初営業で使うかどうかを少し考えた末、誠吾は別容器へ移して冷凍した。
せっかく市場が目の前にある。
最初から現地の材料を見て、そこで仕入れたものを使ってみたい。
「売るものに困ったら通販もある。なら、急ぐ必要はないな」
便利な手段を持っているからこそ、面白そうな方を選べる。
その日は早めに横になった。
世界が変わった初日とは思えないほど、身体は素直に眠りを求めていた。
◇
翌朝、誠吾が目を覚ましたときには、市場の外からすでに荷車の音が聞こえていた。
顔を洗い、湯を沸かして茶を一杯だけ飲む。
販売窓のカーテンを開けると、東の空はまだ薄く明るくなり始めたばかりだった。
それでも市場は動き出している。
畑から直接来たらしい野菜の荷車が並び、魚を入れた桶から水が跳ねる。鳥を吊るした店、肉の塊を並べる店、香草を山のように積んだ店。昨日の夕方には空いていた通路が、荷を運ぶ人間と買い付けに来た店主たちで埋まり始めていた。
誠吾は財布と買い物籠を持って外へ出た。
これまで何度も市場へ仕入れには行った。
だが、並んでいるものを一つも知らない市場は初めてだ。
自然と歩く速度が遅くなる。
最初に目へ入ったのは、淡い緑色をした大きな葉物だった。見た目はキャベツに近いが、葉が少し薄く、外側へ向かうほど色が濃い。
意識を向ける。
《青玉菜》
《食用可》
《毒性なし》
《鮮度:良好》
《生食可。加熱により甘味が増す》
《水分量やや多》
必要な情報だけが、頭の中へ自然に浮かんだ。
レシピは出ない。
どう料理するのが正解かも教えてくれない。
誠吾にはその方がありがたかった。
料理まで決めてもらうなら、自分が厨房へ立つ意味がなくなる。
「それ、気になりますか?」
店番をしていた40代くらいの女性が声をかけてきた。
「ええ。少し味を見ても?」
「どうぞ。芯の近くが甘いですよ」
小さく切ってもらったものを齧る。
歯触りは白菜より少ししっかりしているが、キャベツほど硬くない。青臭さは弱く、噛むほど確かに甘みが出る。
「煮込みに使うことが多いんですか?」
「そうですね。肉と一緒に煮る家が多いです。浅く塩漬けにする人もいますよ」
「なるほど。2玉ください。それから、その細い葉物も」
「香り葱ですね。今朝入ったばかりです」
名前どおり、指先で軽く揉むだけで葱に似た香りが立った。
餃子へ使えそうだ。
値段を聞き、周囲の店の札も見てから買う。
次は卵。
殻に細かな斑模様があるものを割った見本が置かれていた。日本の鶏卵より一回り大きく、黄身の色も濃い。
《斑羽鳥の卵》
《食用可》
《毒性なし》
《鮮度:良好》
《黄身の脂肪分がやや多く、加熱後も風味が強い》
「炒飯に良さそうだな」
10個買った。
肉屋では、豚に似た家畜の肩肉を見つけた。
赤身と脂の入り方を見れば、餃子の餡には使いやすそうだ。食材眼でも毒性はなく、癖の少ない肉だと分かる。
「挽いてもらうことはできますか?」
「できるが、粗めと細かめ、どっちにします?」
「そのままでください。自分で切ります」
肉屋の主人は一瞬だけ誠吾を見た。
「料理人さんか」
「ええ。今日からここで店を出します」
火輪を指すと、主人は納得したらしい。
「あの変わった車か。何を作るんです?」
「まずは餃子と炒飯ですね」
「聞いたことがないな」
「昼までには作ります。よかったら覗いてみてください」
「仕事が空いたら行かせてもらいますよ」
肩肉と一緒に、店先へ吊ってあった燻製肉も買った。
薄く切った試食をもらう。
塩は控えめで、噛むと肉の旨味のあとに燻した木の香りが残る。
これならチャーシューとは違った炒飯が作れる。
さらに小麦粉も買い、必要なものを揃えて火輪へ戻った頃には、市場の人通りがかなり増えていた。
厨房へ入り、白い上着と前掛けを身につける。
まずは餃子だった。
青玉菜を細かく刻み、軽く塩を振る。水分が多いと分かっているため、白菜を扱うときより少し丁寧に状態を見る。しんなりしたところで布へ包み、絞りすぎない程度に水気を抜いた。
肩肉は包丁で刻む。
細かくしすぎず、赤身と脂の粒を少し残す。そこへ醤油、酒、ごま油、生姜を加え、肉に粘りが出るまで混ぜてから青玉菜と香り葱を合わせた。
一口分を小さなフライパンで焼く。
客へ出す前に、餡そのものの味を確かめるためだ。
噛むと肉汁のあとから青玉菜の甘みが出て、香り葱がすっと鼻へ抜けた。
「白菜より少し甘いな。悪くない」
塩をほんのわずかだけ足す。
もう一度焼いて味を見ると、今度は肉と野菜の輪郭がちょうどよくまとまった。
皮は今朝買った小麦粉だけでは性質が分からないため、日本から持ってきた粉と半分ずつ合わせた。水を少しずつ入れながら練ると、いつもよりわずかに弾力が強い。
生地を休ませてから棒状にし、一定の大きさへ切り分ける。
麺棒で円形へ伸ばし、中央だけをわずかに厚く残す。餡を置き、指先でひだを寄せて閉じていった。
30年も続けた仕事だ。
速さを競う必要はないが、手が迷うこともない。
90個を包み終えた頃には、朝の市場は完全に賑わっていた。
次は炒飯の準備を進める。
炊いて冷ましておいた米。斑羽鳥の卵。細かく切った燻製肉。香り葱。鶏の清湯も温め直せば使える。
販売窓の横へ品書きを出した。
焼き餃子6個――銅貨4枚。
燻製肉と卵の炒飯――銅貨5枚。
餃子、炒飯、スープの組み合わせ――銅貨8枚。
昨日バセルから聞いた相場から、大きく外してはいない。
珍しい料理だからと高く売るつもりもないが、最初だからと安売りする気もなかった。材料を買い、手間をかけて作ったものなら、それに見合う金を受け取る。
日本でも異世界でも、商売であることに変わりはない。
日除けを張り、机と椅子を並べ、販売窓を開けた。
最初の10分、客は来なかった。
人は見る。
火輪の前を通りながら振り返る者もいるし、値札を覗いていく者もいる。しかし、見たことのない車から見たことのない料理を買うとなれば、足が止まるのも当然だった。
誠吾は気にせず、中華鍋へ火を入れた。
自分の昼飯を少し早めに作ればいい。
鍋を十分に熱し、刻んだ燻製肉を入れる。
脂が溶け出し、昨日まで使っていたチャーシューとは違う、乾いた木の香りが立った。そこへ斑羽鳥の卵を流し込む。
黄身の色が濃い。
熱が入るにつれて鮮やかな黄色になり、その縁が膨らんだところで米を加える。
玉杓子でほぐしながら鍋を返し、燻製肉から出た脂を米粒へ薄くまとわせる。香り葱を散らし、塩と白胡椒で味を整え、最後に醤油を鍋肌へ落とした。
香りが変わった。
焦がし醤油に燻製肉の煙の香りが重なり、販売窓から市場へ流れていく。
少し離れたところを歩いていた大柄な男が、足を止めた。
一度通り過ぎたものの、数歩先から戻ってくる。
年は誠吾より一回りほど若いだろうか。分厚い革帯を腰へ巻き、肩には荷物を担いだ跡が残っていた。
「店主さん。それが、そこの札に書いてある炒飯という料理ですか?」
「ええ。米を卵と肉で炒めています」
男は鍋の中と品書きを見比べた。
「銅貨5枚?」
「普通盛りなら」
「それを一つお願いします」
「ありがとうございます」
異世界の町での、最初の注文だった。
誠吾は自分用に作りかけていた分を客へ回した。
皿へ盛ると、濃い黄色の卵が米粒へ絡み、その間に赤茶色の燻製肉と緑の香り葱が散る。
「熱いうちにどうぞ」
男は机へ座り、匙を入れた。
一口目はゆっくりだった。
二口目は少し早い。
三口目からは、皿を見る時間の方が長くなった。
誠吾は販売窓の内側から黙って様子を見る。
「うまいですね」
男がようやく顔を上げた。
「ありがとうございます」
「この肉、向かいの店の燻製肉ですよね?」
「よく分かりましたね。今朝買ったものです」
「荷運びの仕事で毎日のようにあの店へ出入りしていますから。米と一緒に食うとは思いませんでした」
「俺も今朝食べて、炒飯に合いそうだと思ったんです」
「ここへ来たばかりなんですか?」
「昨日の夕方に着きました」
男は少し驚いたようだった。
「それでもう市場の肉を使ってるんですか」
「せっかくここで店を出すなら、この町のうまいものも使いたいですからね」
その答えに男は笑った。
「俺はダリオです。ここで荷運びをしています」
「藤代誠吾です。セイゴで結構ですよ」
「では、セイゴさん。もう一つのギョーザというのも頼めますか?」
「もちろん。6個で銅貨4枚です」
誠吾は鉄板へ餃子を6個並べた。
油を引いて底へ焼き色を付け、水を回して蓋をする。
立ち上った蒸気に、青玉菜、肉、生姜、ごま油の香りが混ざった。
ダリオの視線が鉄板へ向く。
「小麦の皮で包んであるんですか」
「ええ。今日は市場で買った青玉菜と肩肉を使っています」
「青玉菜を?」
「煮込むと甘くなると聞きましたが、餃子にも合いますよ」
蓋を外し、水分を飛ばしてからごま油を少量回す。底が香ばしく焼けたところで皿へ移し、醤油と酢を合わせたたれを添えた。
「中に熱い汁があります。最初だけ気をつけてください」
ダリオは餃子を半分に割った。
断面から湯気が上がり、肉汁が皮の内側を濡らす。
少し冷まして口へ入れると、今度はすぐに次へ手を伸ばした。
「青玉菜って、こんな味になるんですね。いつも煮たものしか食べないから分からなかった」
「火の入れ方が違えば、食感も変わります。こっちは少し歯触りを残しています」
「なるほど……これは仕事仲間にも食わせたいな」
ダリオがそんな話をしていると、向かいの肉屋の主人がこちらを見ていることに気づいた。
「店主さん、本当にうちの燻製を使ったのか?」
「ええ。炒飯に入れています」
「その荷運びがさっきからうまそうに食うから気になってな。俺にも一皿頼めますか」
「炒飯で?」
「それと餃子も。せっかくだから両方食べてみたい」
「では、スープを付けた組み合わせで銅貨8枚です」
「それをお願いします」
2人目が座る。
その様子を見ていた青玉菜の店主も、昼前になると店番を家族へ任せてやって来た。
「うちの野菜を使った料理があるって聞いたんだけど」
「餃子に入れていますよ」
「煮物じゃない青玉菜か。じゃあ、それを一皿いただこうかしら」
3人目。
一度客が座り始めると、通り過ぎる人間の反応が少し変わった。
何を売っているのか尋ねる者が増え、すでに食べている客の皿を見て注文する者も現れる。
誠吾は焦って客を呼び込まなかった。
注文を聞き、金を受け取り、作る。
餃子を鉄板へ並べる間に中華鍋を温め、炒飯を2人前、3人前と無理のない量に分けて作る。スープを注ぐときには味を見て、皿が戻れば洗う。
やることが増えても、順番さえ崩さなければ回る。
大型店では、何十人もの料理人と給仕を動かしながら、宴会と通常営業を同時に回したこともある。1人営業には1人営業の忙しさがあるが、慌てて声を荒らげるほどではなかった。
客が重なったところで、若い女性が販売窓へ来た。
「すみません。先に来た人がどなたか分からなくなってしまって」
「こちらで順番は覚えています。あなたは炒飯だけ、その次の方が組み合わせです。少しお待ちください」
「分かりました」
答えながらも、誠吾は次から紙へ注文を書いて置くことにした。
覚えられるかどうかと、間違えない仕組みを作るかどうかは別だ。
長く厨房に立ってきたからこそ、忙しいときほど記憶力を当てにしすぎない。
昼の鐘が鳴る頃には、最初に用意した米の大半がなくなっていた。
餃子の盆にも、残っているのは12個だけ。
売り切れではない。
それでも初日に用意した90個の大部分が出た。
昨日まで、この町には誠吾の料理を知る人間など1人もいなかったことを考えれば、十分すぎる結果だった。
客足が落ち着いたところで、ようやく自分の炒飯を作る。
燻製肉と斑羽鳥の卵を使った、今日の店と同じものだ。
匙ですくって食べる。
チャーシューを使ったいつもの炒飯より、燻製の香りが前へ出る。それを濃い卵が受け止めているため、思ったほど癖は強くない。
「こっちはこっちで、ちゃんとありだな」
日本の炒飯を再現しただけではない。
この町で買った材料を使ったことで、自分がこれまで作ってきたものとは少し違う味になっている。
それが妙に嬉しかった。
片付けを始めた頃、ダリオが再び火輪の前を通った。
肩には大きな木箱を担いでいる。
「セイゴさん、まだ残ってますか?」
「餃子が12個。炒飯はあと2人前ほどですね」
「なら、明日の朝も出します?」
「そのつもりです」
「仕事仲間に話してもいいですか。あいつら、朝から荷を運ぶから腹にたまる飯には目がないんですよ」
「もちろん。ただ、明日どれだけ作るかは今から考えます」
「なら、早めに来いと言っておきます」
ダリオは仕事中らしく長居せず、そのまま市場の奥へ歩いていった。
誠吾はその背中を見送ってから、売上の硬貨を数えた。
場所代を払い、朝の食材を買ったあとでも、手元の金は朝より増えている。
当然のことのようで、意味は大きかった。
日本から持ってきた食料を配ったのではない。
この町で材料を買い、自分の手で料理へ変え、食べたいと思った人間から金を受け取った。
商売として成り立った。
初日でそれが確かめられただけでも十分だった。
売れ残った12個の餃子を見ながら、誠吾は明日の仕込みを考える。
今日と同じ90個では、おそらく少ない。
かといって、数だけ増やして雑になれば意味がない。
自分一人で仕込み、焼き、鍋を振り、客へ出せる量を見極める必要がある。
「120くらいから試すか」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
その数字なら、まだ手の内だ。
青玉菜の店には追加の仕入れを頼もう。肩肉も必要になる。燻製肉は今日の量で十分だったが、卵はもう少し多く買った方がいい。
考えているうちに、明日の仕事が次々と決まっていく。
知らない世界へ来て2日目。
帰る方法はまだ分からない。
それでも、腹を満たせる料理が作れて、それを買ってくれる客がいる。
誠吾にとっては、まずそこからでよかった。
販売窓の外では、夕方の仕込みを始めた店から別の料理の匂いが漂ってきている。
明日は今日より少し多く作る。
そして仕事が終わったら、今度は自分がこの町の料理を食べ歩けばいい。
そう考えると、もう一日ここで店を開く理由には十分だった。




