第20話 旅の土産は、次のひと皿
魚屋の主人は、洗い終えた台へ桶を伏せているところだった。
誠吾に気づくと手を止め、火輪のほうへ目を向ける。向かいではエルダが青玉菜の空き籠を重ねており、その間を仕事帰りの荷運び人たちが通っていた。
「戻ってきたんだな。川の町の魚は、ずいぶん面白かったらしいじゃないか」
「ええ、漁師の舟にも乗せてもらいました。石鱗魚も買いましたよ。ここのものと同じ魚なのに、身のつき方が少し違っていて面白かったです」
「流れも餌も違うからな。明日の朝なら、こちらもいいのが入る予定だ。見比べるつもりなら寄ってくれ」
誠吾は礼を言い、仕入れの時刻を確かめた。魚を買うだけなら《遠隔仕入れ》でも手に入るが、目の前に、その日の川を知っている売り手がいる。話を聞き、状態を見て選べることがありがたかった。
火輪へ戻る途中で肉屋にも声をかけると、主人は明日の燻製肉を取り分けておくと言ってくれた。
それから、赤鍋亭まで足を延ばした。
夕食の客が入る時刻で、戸の向こうからは器の触れ合う音が聞こえる。顔だけ見せるつもりで覗くと、皿を運んでいたミレナが先に気づいた。
「おかえりなさい。店の前に車がなかったから、まだ川のほうかと思っていたわ」
「夕方に戻りました。土産を持ってきたんですが、今は忙しそうなので、明日にでも改めて伺います」
声を聞いたローデルが、厨房から顔を上げた。
「土産なら、食えるものだろう。明日の夕方、客の入る前に持ってこないか。どうせなら、どこで買ってきたのかも聞きたい」
「では、少し早めに。煮込みも食べたいので、そのつもりで来ますよ」
「そっちはちゃんと用意しておく。旅の間に、うちの味を忘れていなければいいがな」
誠吾は笑って手を上げ、長居をせずに戸を閉めた。
市場へ戻る道には、肉を焼く匂いと、パンを温める匂いが混じっている。出発前と同じ通りだったが、今はその先で食べてもらいたいものを、自分の店に積んでいた。
◇
翌朝の青玉菜は、外葉に朝露を残していた。
エルダが取り置いてくれたものを受け取り、香り葱、斑羽鳥の卵、燻製肉を順に買う。魚屋では届いた石鱗魚を見せてもらい、身の張った1尾を選んだ。
腹へ指を当てると、川の舟で買ったものより締まった感触がある。今日は自分で食べる分にして、まず塩焼きで確かめようと思った。
「帰ってきたばかりなのに、もう魚を買うのね」
籠の中を見たエルダに、誠吾は魚の包みを少し持ち上げて見せた。
「向こうで蒸して食べたので、こっちの魚も、もう一度食べたくなりましてね。今日は比べるつもりです」
「うちの青玉菜も、向こうの野菜と比べられるわけね」
「これはまず、いつもの餃子に使います。帰ってきたら包みたくなったんですよ」
エルダは少し口元を緩め、空いた台へ葱の束を並べた。
誠吾も仕込みへ戻った。
青玉菜を刻み、水分を見ながら塩を合わせる。旅先で使った葉物より、刃を入れたときの音が軽い。肉と合わせる前にひと欠片を噛むと、覚えていた甘味があった。
餡へ含ませる清湯の量を決め、よく混ぜてから包む。今日は150個。トルナで冷凍してきた分もあるので、昼の売れ方を見て追加できる。
米を炊き、炒飯に使う分を冷ます。燻製肉を刻むと、棚に収めた熟れ豆の壺が目に入った。
あの豆で肉を炒めた飯も作れるだろう。乳酪を使った餃子も、ここで食べてもらいたい。ただ、全部を一度に品書きへ並べる気にはならなかった。
今日は、いつもの料理を待っている客もいる。
誠吾は壺をそのままにして、刻んだ燻製肉を冷蔵庫へ収めた。
◇
販売窓を開けて間もなく、ダリオが荷運び仲間を1人連れてきた。
朝の仕事を終えてきたらしく、首に掛けた布で汗を拭っている。品書きへ目をやると、確かめるように頷いた。
「セイゴさん、おかえりなさい。昨日、戻ってきたと聞いたので寄りました。炒飯を大盛りで、餃子もお願いします」
「ありがとうございます。向こうの市でも鍋を振ってきましたが、ここでその注文を聞くと、戻ってきた気がしますね」
「留守の間は別の店でも食べていましたけど、仕事の合間にこれが食いたくなるんですよ。今日も昼には、ほかの連中が来ると思います」
誠吾は米と卵の入った容器を手前へ寄せ、鉄板へ餃子を並べた。
蓋をしたところで鍋を火にかける。十分に熱した鍋へ油をなじませ、刻んだ燻製肉を入れると、脂と一緒に木の煙を思わせる香りが出てきた。
旅先で使った焼き豚とは違う匂いだった。
そこへ斑羽鳥の卵を流し込み、米を合わせる。濃い黄身が米粒へ絡み、返すたびに黄色が広がっていく。香り葱を加え、最後に鍋肌へ醤油を落とした。
ダリオは、窓の向こうでその音を聞いていた。
皿を渡すと、話の続きをするより先に匙を取る。ひと口食べ、隣の仲間が座る場所を空けながら、もうひと口すくった。
「祭りでは、川海老を使った料理がよく出ましたよ」
誠吾がそう話すと、ダリオは口の中のものを飲み込んでから顔を上げた。
「海老は川の町で食べたことがあります。殻を剥くのに手が汚れるから、荷の仕事がある日は避けていましたけど」
「向こうでも同じことを言われました。飯に載せる分は、先に剥いて出しましたよ。殻ごと食べられる柔らかいものは、揚げ物にしました」
ダリオは頷き、焼き上がった餃子を皿へ移す誠吾の手を見た。
「それなら、こちらでも出す日に食べたいですね。今日はまず、これを食べてから働いてきます」
餃子を半分に割り、湯気を逃がす。その手つきも、初めて火輪へ来た頃より慣れていた。
誠吾は次の注文を受けながら、2人の空になっていく皿を横目で見た。
旅の話を聞きに来た客でも、腹が減っていれば、まず飯だった。
◇
昼の営業がひと区切りついた頃、荷場からガルムが来た。
以前、雨の日に出張営業をした倉庫の責任者だ。窓の前で足を止めると、混み具合を見てから注文の話を切り出した。
「戻ったところへ早速で悪いが、明後日の昼、20人分を頼めるだろうか。大きな荷が入るので、まとめて飯を出したい」
「お受けできます。炒飯と餃子、スープの組み合わせでよければ、荷場へ火輪を持っていきますよ」
「それで頼みたい。冷たい飯を交代で食うより、熱いものが同じ頃に出るほうが助かる」
時刻と人数を確かめれば、話は済んだ。
誠吾が注文を書き留めると、ガルムは今日の昼飯も頼んだ。椅子へ座る前に市場を一度見回し、荷場からこちらへ向かっていた男へ手を上げる。
連れてきたわけではないらしいが、席へ着く頃には隣が埋まった。
餃子を焼き足し、鍋を熱する。
戻ってきたことを知らせて歩き回らなくても、仕事のある場所から飯の注文が来る。そのありがたさを感じながら、誠吾は大盛りの皿へ米を盛った。
午後の客が途切れたところで、自分も遅い昼食を取る。朝に買った石鱗魚を焼くと、皮の下から脂がにじみ、塩だけで十分な味になった。
骨のそばの身を外しながら、誠吾は魚屋へ伝える言葉を考えた。川の町で買った魚との違いも、食べてからなら具体的に話せそうだった。
◇
赤鍋亭へ持っていく品は、昼の片づけが済んでから揃えた。
ベルテから買った熟れ豆。トルナの乳酪。川海老は、持ち帰るために冷凍しておいた柔らかい殻のものを、少量だけ冷蔵庫へ移して解凍してある。
包みを見直してから火輪を閉め、約束の時刻に赤鍋亭を訪ねた。
店では、ミレナが卓上の器を拭いていた。ローデルは仕込み台で灰羽鳥を扱っており、誠吾の籠を見ると手を洗った。
「ずいぶん違うものを集めてきたな。川の祭りへ行くと言っていたはずだが、乳酪はもっと上のものだろう」
「川から少し上がりました。乳を揚げた菓子を売ったり、乳酪を餃子へ入れたりもしましたよ」
「食べて回るだけじゃ済まなかったらしいな。そっちの壺から見せてもらっていいか」
熟れ豆の蓋を開けると、塩気と酸味を含んだ匂いが立った。ローデルは清潔な匙で少し取り、粒を潰しながら味を見る。
誠吾は、川上の村で作っていたことと、若いものと寝かせたものを食べ比べたことを話した。
「これは寝かせたほうです。油で軽く炒めると、匂いが変わります。俺は細かくした肉と合わせて、柔らかい豆の固まりを煮る料理に使いました」
「この酸味なら、うちの鳥にも使えそうだ。今夜の煮込みを全部変えるわけにはいかんが、俺たちの分で少し試してもいいな」
ローデルは仕込み台へ戻り、灰羽鳥の肉を取り分けた。
誠吾も前掛けを借り、籠から海老の容器を出す。
「では、海老はこちらで揚げます。殻の柔らかいものを見せてもらって、気に入ったんです。小鍋をひとつ借りてもいいですか」
「そこのものを使ってくれ。油は棚の下だ。盛る皿はミレナにもらってくれればいい」
客として食べに来たはずが、誠吾も厨房へ立つことになった。
ただ、店を任されるわけではない。ローデルが普段どこへ道具を置き、どう火を使っているのか見ながら、空いている場所を借りた。
ローデルは鳥の皮を下にして鍋へ入れ、じっくり焼きつけ始めていた。
◇
鳥から脂が出たところで、ローデルは余分な分だけを小さな器へ移した。
残った脂へ刻んだ香草と熟れ豆を入れる。鍋底で豆が温まると、壺から嗅いだときの強い匂いが丸くなり、焼いた鳥の香りへ混じっていった。
そこで煮汁を加え、蓋をずらして火を弱める。
誠吾は横で海老の水気を拭き、口の硬い部分などを外した。薄く粉をつけて揚げると、殻が色づき、細い脚の先まで乾いた形になる。
油から上げ、しっかり切ってから皿へ移した。
森椒を合わせた塩は別添えにする。初めは海老だけを食べてもらいたかった。
先に1尾を取ったミレナは、殻の感触を確かめるように噛んだ。脚のところが小さく砕け、続いて身へ歯が入る。
「殻を残さなくていいのね。香ばしいところと、柔らかい身が一緒に食べられるわ」
「脱皮したあとの、殻がまだ柔らかいものです。いつでも同じ数が獲れるわけではないそうなので、出せる日に少しずつ売りました」
ローデルも1尾食べ、添えた塩を指先につけて味を確かめた。それから、残り半分へごく少量を振る。
「森椒がここで合うのか。肉に使うことばかり考えていたが、海老の匂いにも負けないんだな」
食べ終えるとすぐ、鳥の鍋へ向き直る。煮汁をひと匙すくい、塩を入れる前にもう一度味を見た。
誠吾が隣から覗くと、鳥の皮へ豆の細かな粒がついていた。煮汁には脂が薄く浮き、灰羽鳥だけの煮込みとは違う、少し深い色が出ている。
「豆に塩気があるから、今日は足さなくてよさそうだ。酸味も、肉と一緒になると落ち着く」
「最初から塩を決めなくてよかったですね。俺も乳酪を使ったとき、それで一度濃くしました」
ローデルは鍋を火から外し、鳥を3つの器へ分けた。
誠吾はひと口食べ、皮の下の柔らかさに目を止めた。表面に焼いた香りがあるのに、中の肉は汁を含んでいる。熟れ豆の酸味は口に残りすぎず、噛んだあとに鳥の味が続いた。
自分ならもっと短い火入れで炒め合わせただろう。こうして煮れば、骨のそばや皮から出た味まで豆の中へ入る。
誠吾はもうひと口食べ、煮汁も確かめた。
「この炊き方、教わって帰りたいですね。豆を買った村でも煮込みは食べましたが、鳥の皮をここまで焼いてから煮るのは、また違います」
「だったら、次に鳥を使う日に見ていけばいい。こっちは乳酪を入れた餃子を食わせてもらおう。その包みは、少し残しておいてくれ」
誠吾は頷き、持ってきた乳酪を手前へ寄せた。
ミレナがパンを切り、煮汁の器の間へ置く。誠吾がちぎったひと欠片を汁へ浸すと、ローデルも同じようにパンへ手を伸ばした。
表の戸が開き、夕食の客が入ってきた。
ミレナが席を立ち、ローデルは自分の器を空けて厨房へ戻る。誠吾も海老を揚げた鍋を洗おうとしたが、流しへ手を伸ばす前に、ローデルから布巾の置き場所を教えられた。
鍋を拭き、元の場所へ戻してから、客席へ座り直す。
「あとで煮込みをもうひと皿お願いします。今度は客として、ゆっくり食べていきますよ」
厨房の奥でローデルが片手を上げた。
誠吾は残ったパンをちぎり、皿の底にある豆と鳥の汁を、最後まで拭って食べた。
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