第15話 豆の壺と、パンで食べる麻婆豆腐
古い渡し場を過ぎ、畑の間へ入ると、火輪の窓から豆を煮る匂いが流れ込んできた。
道端には乾いた莢を積んだ籠が並び、その向こうで女たちが豆を選り分けている。建物の壁には、口を布で覆った壺が日陰を選んで置かれていた。ネリオの妻に教わった村は、思っていたよりも多くの家が豆を扱っているらしい。
誠吾は車をゆっくり進め、共同窯の脇でパンを取り出していた男へ声をかけた。
「カルフェンのネリオさんの家で、こちらの豆の調味料をごちそうになりました。作っている方から買いたいんですが、今から伺っても大丈夫でしょうか」
男は火輪を見上げていたが、ネリオの名を聞くと、持っていた板を棚へ置いた。
「川のネリオなら、うちの豆をよく買ってくれるよ。売るものは隣にある。車は、その空き地へ寄せてくれれば邪魔にならない」
教えられた場所へ止め、誠吾は買い物袋を持って車を降りた。
隣の建物では、50歳を過ぎたくらいの女が、壺から小さな瓶へ中身を移していた。木の匙が持ち上がるたび、潰れた豆の粒がとろりと落ちる。ネリオの家で見たものより、少し色が淡かった。
男が事情を伝えると、女は清潔な小皿へ少量を取った。
「私はベルテ。ここで仕込んで売っているよ。ネリオの家で食べたのは、もっと色が濃かっただろう。あれと同じものもあるけど、まずこっちから食べてごらん」
「セイゴといいます。料理を作って売りながら旅をしています。今日は、使い方も教わりたくて寄りました」
誠吾は小皿を受け取り、匙の先で味を見た。
塩気のあとから酸味が来る。豆の粒には少し歯応えが残り、噛むと茹で豆に近い甘さもあった。
ベルテは、その顔を見てから別の壺を開けた。
「こっちは長く寝かせたもの。私たちは、まとめて熟れ豆と呼んでるけど、できたばかりと古いのじゃ味が違う。ネリオが買っていくのは、こっちだね」
濃い褐色の方は、舌に載せたときの塩気が丸かった。酸味はあるが、あとへ長く残るのは豆の旨味だった。鼻へ抜ける発酵の香りを確かめ、誠吾は小皿を見直した。
「火を通すと、香りが少し変わりますね。煮込みでいただいたときは、もっと穏やかに感じました」
「油で炒めてから使う家もあるよ。うちでは、少しだけそのままパンにつけることもある。つけすぎると、喉が渇くけどね」
ベルテは共同窯から届いたパンを割り、豆を薄く塗って渡した。
まだ温かいパンは、縁が硬く、内側はもっちりしていた。小麦だけではない香ばしさがあり、噛むほど熟れ豆の塩気が馴染んでくる。
誠吾は飲み込んでから、残りも食べた。
魚に合わせようと思って来たが、肉の脂にも合いそうだった。頭の中で豚肉を炒め、香味野菜を加えたところへ、この豆を落としてみる。豆の粒を潰しすぎずに残したら、食べている途中にも味が出るだろう。
小皿を返す手が、少し遅くなった。
◇
ベルテは売り物の瓶を並べながら、誠吾へ村の料理を教えてくれた。
根菜と肉を煮るとき、最後に少し加える。刻んだ香草と合わせて焼き肉へ塗る。水で緩め、硬くなったパンを煮る汁にも使うという。
誠吾も、自分なら何に使うかを話した。
「細かくした肉と一緒に炒めて、柔らかい豆腐を煮てみたいですね。豆腐は、豆を搾った汁を固めた食べ物です。味が穏やかなので、この熟れ豆を使った汁を含ませると、よさそうで」
「搾った汁を固めるなら、豆の粒は入っていないんだね。肉と煮ても、崩れずに残るものなのかい」
「強く混ぜれば崩れます。大きめに切って、鍋を揺するくらいで火を入れます。豆腐そのものを噛むというより、肉や汁と一緒にすくって食べる料理です」
ベルテは手元の匙を置き、隣の窯へ目を向けた。
外では男たちが焼き終えたパンを運び、長い柄の道具を片付けている。日が傾き、豆を選っていた女たちも籠へ布をかけ始めていた。
「それを聞いていたら、味を見たくなったよ。うちはこれから皆で夕飯にするんだけど、その料理を作ってもらえるかい。パンはあるから、おかずとして6人で食べられるくらい。代金は、材料を見て決めてもらっていい」
誠吾は人数を確かめ、車へ目を向けた。
豆腐も豚肉も、《遠隔仕入れ》で買える。熟れ豆を分けてもらえば、今夜のうちに試せそうだった。
「お受けします。私の分も作って、こちらのパンと合わせてみたい。辛味は別に仕上げられますから、苦手な方がいれば先に教えてください」
「1人いるから、その人の分は辛くしないでおくれ。私は、少し利いている方が好きだね」
誠吾は頷き、熟れ豆を量ってもらった。料理に使う分の代金を払い、残りの買い物は食後にすることにした。
ベルテは空の皿と匙を揃え、誠吾は火輪の販売窓を開けた。
◇
端末で注文を済ませると、受取庫へ届いた品を取り出した。
木綿豆腐と豚肉、生姜、にんにく。使うものを作業台へ並べ、肉は包丁で細かく刻む。脂と赤身が混じるように叩き、豆腐は少し大きめに切った。
鍋へ湯を沸かし、豆腐を入れて温めていると、ベルテが窓から顔を出した。
「白くてきれいなものだね。私は、もっと豆の色が残っているかと思っていたよ」
「今日は、少ししっかりしたものを使います。まずは何もつけずに、ひと口どうぞ」
誠吾は温まった豆腐を小皿へ取り分けた。
ベルテは匙で切り、口へ運んだ。噛むというより、舌で確かめるようにゆっくり食べている。
「確かに、これは味をつけて食べたくなるね。豆を煮潰したものとも違う。どんなおかずになるのか、楽しみに待っているよ」
机へ戻るベルテを見送り、誠吾は中華鍋を火へかけた。
油を引き、豚肉を広げる。最初から細かく動かさず、鍋肌に触れたところが焼けるのを待ってからほぐした。白っぽかった肉に焼き色がつき、脂が透き通ってくる。
刻んだ生姜とにんにくを加えると、肉の匂いが香ばしさへ変わった。
そこへ熟れ豆を落とす。
湿った豆が油に触れ、細かな音を立てた。生のまま味を見たときには強かった酸味の香りが和らぎ、炒めた肉と混じって鍋底へまとまっていく。
誠吾はお玉の先で少し取り、味を見た。
予想より塩が利いていた。醤油は足さず、鶏清湯を加えて伸ばす。煮立った汁へ温めた豆腐を移し、鍋を前後に揺すった。
白い角が汁の中を動き、表面へ細かな肉が付いた。
辛味を入れない分は、小鍋へ取り分ける。残りには少量の豆板醤を別に炒めて合わせ、香りと辛味を足した。熟れ豆の酸味があるので、辛味だけを強く出さないよう、途中で汁をすくって確かめる。
豆腐の中心まで温まったところで、刻み葱を加えた。
水で溶いた片栗粉は、一度に入れず、鍋の中を見ながら少しずつ回す。重いあんにはせず、匙ですくったときに肉と汁が豆腐へついてくる程度に留めた。
最後に森椒を細かく砕き、自分の小皿だけへ振ってみた。
舌へ残る豆の味と、森椒の香りが重なる。悪くはないが、今日は熟れ豆の違いを食べてもらいたかった。
誠吾は森椒を別の小鉢へ収め、使いたい人だけ振れるようにした。
◇
机へ鍋を運ぶと、パンを並べていた男が手を止めた。
豆腐は汁の中で熱を保ち、葱の緑の間から肉が見えている。ベルテが深めの器を寄せてくれたので、誠吾は辛味のない分を先に盛った。
「麻婆豆腐という料理です。こちらは辛味を入れていません。熟れ豆と肉の味は、どちらにも同じようにつけてあります」
料理名を聞いた男が、口の中で一度繰り返した。誠吾が、肉入りの汁で豆腐を煮た料理だと添えると、男は自分の器へ匙を入れた。
白い豆腐をすくう途中で角が崩れ、肉と汁が器へ広がる。男はそのまま口へ運び、熱さに少し息を逃がした。
次にはパンを小さくちぎり、汁へ浸した。
「これなら、パンがいくらでも食べられるな。白いところを先に食っても、肉が汁に残るから、最後まで味がある」
ベルテは豆腐と肉を一緒にすくい、ひと口食べてから、自分の器へ少し取り分け直した。今度はパンの上へ載せ、こぼさないよう顔を近づける。
「うちの熟れ豆なのに、煮込みで使うときより豆の香りがはっきりしてる。あの肉の脂で炒めたのが、よかったんだね」
「先に炒めると、脂にも香りが移ります。塩気が十分あったので、あとは薄める汁の量を見ながら仕上げました」
誠吾も椅子へ座り、パンを取った。
普段なら白い飯を盛る料理だった。だが、割ったパンの柔らかい部分で汁を受けると、これはこれで手が止まらない。縁の香ばしいところへ豆腐を載せれば、柔らかさと硬さが一緒に口へ入る。
豆腐の穏やかな豆の味に、熟れ豆の酸味と豚肉の脂が重なった。辛味はあとから来て、次のパンを取る頃には、また温かい汁を欲しくなる。
窯の仕事をしていた男が、籠に残ったパンを人数分に分けようとして、数を見直した。
「もう1籠持ってくるよ。今日は売る分を取り分けたあとでも、少し残してあるから」
「全部は出さないでおくれ。明日の朝にも食べるんだから」
ベルテに言われ、男は半分だけ持ってきた。誠吾の前にも新しいひとかけらが置かれる。
1人だけ辛味を抜いた女は、小鍋の汁まで丁寧にすくっていた。周りの器を見比べてから、自分の豆腐を匙で少し割る。
「柔らかいから、急いで食べなくていいのが嬉しいね。肉も細かいし、うちの父にも食べさせやすそうだ」
「熱いうちは中にも熱が残っていますから、小さく分けると食べやすいです。汁は少し冷めても、豆腐へ絡んでくれますよ」
女は頷き、パンの上へ取り分けて冷まし始めた。
同じ鍋を囲んでいても、食べる速さも、パンにつける量も違う。森椒を試した男は、香りが気に入ったらしく、次には指先へ取る量を増やしていた。
誠吾は、その手を見て小鉢を近くへ寄せた。
食事が進むにつれ、窯の仕事や、川灯祭へ運んだ瓶の話が始まった。足りなくなりかけたパンは、誰かが隣へ半分渡した。
誠吾は話を聞きながら、自分の器へ残った汁を拭った。米を炊いておけばよかったとは、もう思っていなかった。
◇
鍋を片付ける頃には、空が暗くなっていた。
ベルテから料理の代金を受け取り、誠吾はあらためて熟れ豆を買った。長く寝かせたものを多めに、若いものは味を比べられる量だけ。中身を取り違えないよう、蓋へ印をつけてもらう。
「若い方は酸味が目立つから、肉に塗って焼くと違いが出るよ。古い方だけ使っていると、そっちは塩辛く感じるかもしれない。最初は少しで試しておくれ」
「ええ。今日の魚もまだあるので、そちらにも合わせてみます。煮たものと、蒸したものでも変わりそうですね」
誠吾は保存の仕方を聞き、瓶を布で包んで袋へ入れた。火輪には冷蔵庫があるので、旅の途中でも状態を見ながら使える。
共同窯の男が戸締まりをし、空き地に火輪を置いたままで構わないと言ってくれた。誠吾は礼を言い、明朝には出ると伝えた。
「次にカルフェンへ戻るときも、ここを通るなら寄っておくれ。豆の味が、少し変わっているはずだから」
ベルテはそう言って、自分の器を建物へ運んだ。
誠吾は厨房へ戻り、買った瓶を冷蔵庫へ収めた。使いやすいところへ置きたくなったが、扉の手前には、いつもの調味料がある。
少し並べ替えて場所を作ると、見慣れた容器の間に、布で蓋を守った現地の瓶が収まった。
洗い物を終えて手を拭いたところへ、窓から声がした。
辛味のない分を食べていた女が、空の器を持って立っていた。
「父に話してみたら、明日の朝に少し食べてみたいと言っていてね。出発を遅らせてまでとは言わないけど、作ってもらえるなら買いに来たいんだ」
「朝食なら作れますよ。私も食べてから出るつもりでしたから。辛味を入れないものを、今夜と同じくらい用意しておきます」
女は器を渡し、父が柔らかいパンを残して待つと言って帰っていった。
誠吾は受け取った器を洗い、乾かす棚へ置いた。
明日は朝から鍋を使う。豆腐と肉を確かめ、必要な分だけ補充してから、居住区へ上がった。
外では共同窯の最後の戸が閉まり、村が静かになっていく。誠吾は寝床へ腰を下ろし、少し張った指をゆっくり開いた。
朝食を作って渡したら、また火輪を走らせればいい。目覚ましを合わせ、まだかすかに豆の香りが残る手を布団へ入れた。




