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『中華一筋30年のおっさん、キッチンカーごと異世界へ ~仕入れて、作って、腹いっぱい食わせる旅暮らし~』  作者: あちゅ和尚


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第12話 川灯祭、火輪の長い夕方

 川へ向かう人の流れが変わり始めたのは、まだ空に明るさが残っている頃だった。


 朝から荷を運んでいた男たちは着替え、子供たちは花や鳥の形をした灯りを抱えている。店の前を通り過ぎる家族連れから、焼ける餃子を見て足を止める者が増えた。


 誠吾は鉄板の蓋を取り、立ち上がる湯気の向こうへ声をかけた。


「焼き上がるところです。持っていかれるなら、食べやすい入れ物でお渡ししますよ」


 母親に手を引かれていた男の子が、鉄板から目を離さない。父親が品書きと川の方を交互に見てから、販売窓へ近づいた。


「この包んだ料理を、家族で分けたいんですが。川辺で食べるので、2つに分けてもらえると助かります」


「餃子を2つの容器に分けますね。中に熱い肉汁が入っていますから、お子さんには少し冷ましてから渡してください」


 誠吾は焼き面を上にして餃子を詰め、たれを別添えにした。父親が受け取る横で、母親が子供の抱えた灯りを持ち直している。細い木の骨へ薄い紙を張った魚の形だった。


 子供が両手を空けたところへ、誠吾は空の小皿を1枚渡した。


「冷ます分は、これに取り分けるといいですよ」


 母親は礼を言い、家族は人の流れへ戻っていった。少し先で父親が容器を開けると、子供が背伸びをして中を覗いていた。


 川灯祭の初日は、昼よりも夕方の方が早く腹をすかせるらしい。


 隣の出店の女に聞いていたとおりだった。


     ◇


 今朝、ネリオのところでは、昨日より多くの海老を買えた。


 試しの営業を見ていたおかげで、大きさを選ぶ手も迷わない。持ち帰って殻を剥き、昼に使う分と夜の分を別々の盆へ収めた。


 昼には仕事中の客が来て、赤いたれの海老を目当てに戻ってきた者もいた。売り切れ札を下げるとき、冷蔵庫に夜の分があるからと出してしまわず、予定どおり休憩を取った。


 長い営業になる。仕込みが足りていても、自分が先にくたびれては、夜の鍋が雑になる。


 少し横になってから顔を洗い、夕方の営業を始めたのだった。


 今、目の前には昼とは違う客が並んでいる。座って飯を食べる者より、あちこちの店で買ったものを持って歩く者が多かった。


 誠吾は持ち帰り用の容器を手前へ寄せ、椅子を通りから少し引いた。客が立ち止まっても、後ろを歩く人が通れるようにしておく。


「セイゴさん、海老を飯なしで1皿。それと餃子をお願いします。女房を連れてきたので、俺も今日は客のつもりで食わせてもらいます」


 販売窓へ顔を出したネリオの隣に、日焼けした腕の女が立っていた。夫より先に、厨房奥の海老へ目を向けている。


「朝、あれだけ剥いた殻が出たでしょう。家でやると、途中で誰かに代わってほしくなるんですよ。今日は何もせずに食べられると聞いて、楽しみにしてました」


「朝にいいものを分けてもらえましたから。熱いうちに召し上がってください」


 誠吾は海老を油へ入れた。


 表面に火が入ると、身がふっくらと丸まっていく。いったん上げ、香味野菜を炒めた鍋へたれを加える。葱と生姜の香りに甘酸っぱい匂いが重なり、戻した海老をひと混ぜすると、白い身へ赤い艶が回った。


 川柑の果汁は最後に少しだけ落とした。煮詰める前の青い香りを残し、浅い皿へ盛る。


 受け取ったネリオの妻は、海老をひと切れ口へ運んだ。噛んでいる間に夫が餃子の容器を置くと、そちらの蓋を皿の下へ敷き、2人の食べる場所を整えた。


「これなら、もう少し辛くても私は好きだね。あなたは先にそのまま食べてみなよ。海老の甘みがよく分かるから」


 ネリオは妻に渡された匙で身をすくった。食べたあと、皿へ残ったたれを見て、誠吾の方へ顔を上げる。


「昼に飯と合わせていた理由が分かったよ。これが残るなら、飯も頼んでおけばよかった」


「白い飯なら、あとからでもお付けできます。小さめにしましょうか。ほかの店も回るなら、その方がよさそうです」


 妻が夫の腕を軽く叩き、2人は小さな飯を1つ頼んだ。


 仕入れた相手が、自分の店で食べている。海老を見分ける目も、食べ慣れた口も持っている人たちだった。誠吾は2人が次のひと口をすくうところまで見てから、鉄板へ向き直った。


 餃子の焼け具合が、ちょうどよかった。


     ◇


 通りへ灯りが入るにつれ、注文の出方が変わった。


 餃子を1人前だけ買いに来た若い2人連れが、出来上がりを待つ間に海老も頼む。大きな容器へ炒飯を詰めてほしいという家族は、取り分ける匙をいくつか欲しがった。


 誠吾は注文を短く書き留め、同じ料理を頼んだ客へ、まとめて作ることを伝えた。


 鍋へ入れる飯は、普段より少し多い。それでも欲張って詰め込みすぎなかった。火が入らず、蒸れた飯を何皿も出すより、鍋を2度振る方が早い。


 卵の縁が膨れたところへ飯を加え、お玉の背でほぐす。燻製肉から出た脂が鍋肌を滑り、斑羽鳥の卵の黄色が細かく広がった。仕上げに散らした葱が、熱で一気に香る。


 炒飯を盛り、餃子を起こし、次の鍋で海老を仕上げる。


 販売窓の外で誰かが話し始めても、誠吾は火から目を離さずに返事をした。代金を受け取ったら手を洗い、すぐに調理へ戻る。置き場所を決めてあるものには、視線を向けずとも手が届いた。


 注文の紙が増えたところで、誠吾は並んでいる客へ顔を向けた。


「ここからだと、料理をお渡しするまで少しお待たせします。川の灯りに間に合わせたい方は、先に時間を見てください」


 列の後ろで男が連れと相談し、川を見てから戻ると言って離れた。残った客には、どの料理が先に出るかを伝えておく。


 急いでいる人を、黙って待たせるわけにはいかなかった。


 そのとき、見覚えのある声がした。


「川の方も、まだ人を入れているところだよ。そう慌てなくても大丈夫だ。俺は待てるから、先の客から作ってくれ」


 列の端に、バセルが立っていた。


 肩へかけた鞄も、荷物を持つときの少し傾いた姿勢も、街道で出会ったときと変わらない。誠吾は鍋を置かずに頷いた。


「教えてもらったおかげで、いい町へ来られました。餃子と炒飯でよければ、いま作っている分から出せますよ」


「それを頼むよ。海老も気になるが、まずは最初に食べたものを、もう一度食べたくてね」


 バセルは空いていた椅子へ腰を下ろし、火輪の販売窓を眺めた。


 誠吾は炒飯を盛って渡した。続けて焼き上がった餃子を皿へ起こすと、バセルは鞄を足元へ置き直し、食事に取りかかった。


 落ち着いて食べる人が目の届くところにいると、忙しい厨房でも気持ちが急がずに済んだ。


 海老の最後の注文を受けたあと、誠吾は品書きへ札を下げた。餃子も残りが見えている。米はあったが、今から新たに炊けば、川灯を流す頃まで営業を続けることになるだろう。


 誠吾は受けている注文の数を見直し、その後ろへ来た客に声をかけた。


「すみません。今日は、いまお並びの方までで終わりにします。明日もここで開けますので、よかったら寄ってください」


 言ってから、自分でも少し意外だった。


 以前の厨房なら、客がいる限り、もうひと鍋作ろうとしたかもしれない。商売を始めたばかりの店で、自分から窓を閉める判断には、わずかなためらいが残った。


 それでも、川辺からは祭りの音が聞こえている。


 この町へ来た理由は、飯を売ることだけではなかった。


     ◇


 最後の皿を出し、誠吾が火を落とした頃、バセルは食べ終えた食器を返しに来た。


「ごちそうさま。レドニアを出たと聞いていたから、祭りのどこかで会えると思っていたよ。店を片付けたら、川へ行くんだろう。よければ一緒に歩こう」


「ぜひお願いします。鍋と生ものだけ先にしまいますから、少し待ってもらえますか」


 誠吾は冷蔵庫を確かめ、洗い終えた道具の水を切った。販売窓を閉じ、戻ってから洗う食器は蓋付きの箱へ収める。営業を終える紙を表へ貼ると、隣の女が気づいて手を上げた。


「川へ行くなら、向こうの石段は混んでるよ。この通りの端から下りた方が、広いところへ出られるからね」


 礼を言って、誠吾はバセルと歩き出した。


 店から離れて初めて、周囲の匂いがはっきり分かった。焼いた魚、香辛料を揉み込んだ肉、甘く煮た果物。昼からずっと自分の鍋の匂いの中にいた鼻が、次々に違うものを拾った。


 通りを抜ける手前で、誠吾は昨夜食べた魚の店を指した。


「あそこでは、葉に包んだ魚を炭の端で焼いていました。身がふっくらしていて、葉の香りもよかった。火の当て方がうまい店でしたよ」


「川の魚を食べ慣れた家の料理だね。あの店の親父は、祭りがないときは、下流の船着き場で店を出している」


 誠吾は足を緩め、場所を覚えた。


 祭りが終われば、町から消えてしまう料理ではない。また来たときにも食べられると分かると、その店を少し身近に感じた。


 川へ下りる道では、灯りを持った子供たちが大人の間へ並んでいた。足元の暗い場所では、世話役らしい男が小さな灯りを掲げている。


 広い岸辺へ出たところで、鐘が鳴った。


 ざわめきが少し静まり、上流の方から明るい点が動いてくる。


 川へ浮かべられた灯りだった。水面に近いところを、船の灯りよりゆっくり流れている。近づくにつれ、小さな台へ載せた籠の形が分かった。


 岸では次の灯りを下ろす準備が進んでいた。


 夕方に餃子を買った親子がいた。父親が子供と一緒に魚の灯りを支え、世話役の指示を待っている。子供は水面を覗き込もうとして母親に肩を引かれ、今度は腰を落として待った。


 灯りが水へ離れると、子供は立ち上がって行方を追った。


 誠吾も、その小さな魚を目で追った。流れへ乗るまで少し回り、やがて上流から来た灯りと同じ方へ進んでいく。


 対岸の明かりも水面に伸びていた。昼に見たときは広さばかり感じた川が、今は灯りの間を流れる水の細かな動きまで見せていた。


「セイゴさんの故郷にも、こういう祭りはあるのかい」


 バセルは川を見たまま尋ねた。


「似たように、灯りを水へ流すところはあります。ただ、私が住んでいた辺りでは、こんな大きな川で見る機会はありませんでした」


 答えながら、誠吾は自分が祭りの客として岸辺に立っていることを、ゆっくり実感した。


 鍋の前なら、あと何人に出せるかを考えていたはずだった。今は、流れてくる灯りを、近づいては遠ざかるままに眺めていられる。


 しばらく黙って見ていると、バセルが鞄の位置を直した。


「川海老の料理は、明日も出すんだろう。昼は商いで動くから、夕方に寄らせてもらうよ」


「用意しておきます。殻から取った汁もいい味になったので、そちらも何かに使おうと思っています」


「それは楽しみだ。あんたは材料を見ると、食べる前から別の料理を考えている顔になるからね」


 誠吾は笑い、もう一度川へ目を戻した。


 海老の汁は、火輪の冷蔵庫で待っている。麺を合わせるなら、葱の香りを強くしすぎず、まずは澄んだまま食べてみたい。


 考えかけたところで、目の前を鳥の形の灯りが流れていった。


 誠吾は鍋のことをいったん置いて、その灯りが遠くなるまで見送った。


     ◇


 火輪へ戻る頃には、岸辺へ向かっていた人の一部が、通りへ引き返してきていた。


 閉じた販売窓の前で足を止める客へ、誠吾は明日の営業を伝えた。隣の女はまだ店を開けていて、小さな皿を買う客の包みを作っている。


 誠吾は残していた洗い物を片付け、売上を数えた。仕入れた海老の代金と、米や肉、包材にかかった分を分けても、レドニアでの普段の営業日より多く残っていた。


 そのうえ、川灯を見る時間まで取れた。


 硬貨を袋へ戻す手を止め、誠吾は椅子へ腰を下ろした。肩には鍋を振った重さが残り、掌には熱い柄を握っていた感触があった。疲れてはいるが、明日の朝に荷揚げ場へ行くのは楽しみだった。


 外から、ネリオの声がした。


「セイゴさん、戻ってたか。明日は、少し違う籠も見ていってくれ。今朝、殻の柔らかい海老を分けていただろう。あれを揚げる店の話を、女房が教えてやれと言っていてな」


 誠吾は立ち上がり、戸を開けた。


「それは見せてもらいたいですね。今日は剥いた身を出しましたが、殻のまま食べられるものなら、また違う料理にできます」


「朝に触ってみれば違いが分かるよ。気に入るかどうか、少しだけ持っていって試すといい」


 ネリオは手を上げ、人の間へ戻っていった。


 誠吾は戸口で見送りながら、朝に触れた柔らかい殻を思い出した。薄い衣をつけ、軽く塩を振って出せたら、川を見に行く客にも食べやすそうだった。


 作業台へ戻り、明日の仕入れを書いた紙に、短く書き足す。


 殻の柔らかい海老、試作用。


 紙を朝使う籠へ入れたところで、誠吾の腹が鳴った。忙しさの合間に食べた握り飯だけでは、さすがに足りなかった。


 冷蔵庫から海老の汁を出し、小鍋へ移す。温めている間に端末で買っておいた中華麺を取り出し、葱を細く刻んだ。


 湯気が上がると、昼の赤いたれとは違う、穏やかな海老の香りが厨房へ戻ってきた。



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