第11話 川海老を剥く朝、鍋を振る昼
夜明けの川岸には、濡れた縄と魚の匂いが漂っていた。
誠吾が籠を抱えて荷揚げ場へ着くと、船から下ろされた木箱が次々に運ばれていた。水を切るために傾けられた箱の底から、石畳へ細い流れができている。昨日は蓋をして積まれていた籠も、今は口が開き、中で海老の触角が動いていた。
「昨日の店主さんだな。大きいのはこっちへ分けてあるよ。焼いて食うにはいいが、料理に使うなら、その隣も見ていってくれ」
声をかけた男は、船から最後の籠を受け取ったところだった。
誠吾は邪魔にならない場所でしゃがみ、教えられた籠を覗いた。大きさは揃っていないが、殻に傷のないものが多い。《食材眼》にも鮮度のよさが示され、持ち上げた1尾は手の中で力強く尾を曲げた。
「身を剥いて炒めるつもりなので、大きすぎない方が使いやすそうです。このくらいのものを揃えて買わせてください」
「それなら選んでいきな。殻の柔らかいのが混じってたら、そっちの浅い籠へ入れてくれ。柔らかいのを欲しがる店もあるから、別にして売ってるんだ」
男は実物を取って、背と尾の境を指で押してみせた。脱皮したばかりのものは、同じ大きさでも殻の手応えが違う。
誠吾も触れて違いを確かめた。食べられることと、買いたい状態であることは別だった。昨日食べた焼き海老の歯応えを思い出しながら、必要な分を選んでいく。
「私は火輪のセイゴといいます。川灯祭の間、あそこの出店区画で料理を売ります。明日からも、朝に見せてもらえると助かります」
「俺はネリオ。川のものを揚げる仕事は長いが、車で料理を売る人は初めてだよ。明日もこの場所にいるから、気に入ったら寄ってくれ」
量を確かめてもらって代金を払い、誠吾は海老を冷やして持ち帰った。
帰りには昨日の焼き海老の露店へ寄った。まだ炭を起こしている最中だったが、主人はたれの材料を尋ねる誠吾へ、小ぶりな黄色い実を見せてくれた。
「川柑だよ。皮を入れすぎると苦くなるから、うちでは果汁だけ使う。向こうの青物の店にもあるはずだ」
切った実をひとかけら分けてもらうと、酸味の奥に青い香りがあった。酸実より果汁が多く、口に残る重さも違う。誠吾は礼を言い、教わった店で数個買ってから火輪へ戻った。
今日はまだ祭りの前日だが、出店を組み立てる人も、港で荷を運ぶ人も働いている。昼飯を売りながら、こちらの客の食べ方を見ておきたかった。
◇
作業台へ海老を広げ、まずは大きさごとに分けた。
剥き身で試す分は、頭と殻を外して尾まで剥き、背を開いてわたを除く。身を洗って十分に水気を取り、小皿へ移した。指先へ伝わる弾力は、見た目の近い日本の海老より少し強い。
もう片方は殻を残したまま背へ切れ目を入れた。どちらも試してから決めるつもりだった。
温めた鍋へ油を回し、殻付きの方を入れると、途端に香ばしい匂いが立った。赤褐色だった殻は熱を受けて鮮やかになり、鍋肌へ当たる脚が細く鳴る。火を通して取り出し、指で殻を割って食べてみた。
味はいい。ただ、殻は思ったより硬かった。身からは離れるものの、たれを絡めて出せば、食べるたびに指を使わせることになる。
座ってゆっくり食べるなら、それも楽しみのうちだろう。だが、荷役の合間に来る客や、祭りを見ながら食べる客には、剥いた身の方がよさそうだった。
もう一方には塩と少量の酒を揉み込み、薄く片栗粉をまとわせた。油の中で短く火を入れ、いったん上げる。
次に刻んだ生姜とにんにくを炒め、葱を加えた。甘みと酸味のある赤いたれを煮立て、辛味は控えめにする。日本で使っていた調味料を土台にして、仕上げに川柑の果汁を少し落とした。
海老を戻してたれを絡めると、白かった身が赤い艶に包まれた。火を止め、ひと切れ食べてみる。
表面はなめらかで、噛むと厚い身が押し返してくる。甘辛いたれのあとから海老の甘みが出て、最後に川柑の香りが抜けた。
誠吾は小皿に残ったたれを飯へつけ、もうひと口食べた。酸味を強くしすぎなければ、海老の味も飯を食べる楽しさも残せる。
隣の出店では、昨日から皿を並べていた女が、棚へ布をかけていた。誠吾は朝の挨拶を交わした際に名前を伝えていたので、販売窓から声をかけた。
「昼に出そうと思っている料理なんですが、ひと口見てもらえませんか。辛味は少し入っています。苦手でなければで構いません」
女は手を洗ってから、小皿を受け取りに来た。
「海老なら、うちでもよく食べるよ。焼くか煮るかが多いけど、これはずいぶん色がきれいだね」
「海老を油で炒めて、甘辛いたれを絡めています。身は剥いてありますから、そのまま食べられます」
女は木の匙で身を割り、半分を口へ運んだ。少し噛んでから、残りも食べる。空いた小皿を返す前に、縁に残ったたれを匙ですくった。
「辛くて口が痛くなるほどじゃないね。これ、下にパンを敷いたら汁まで食べられそうだ」
「うちでは飯と一緒に出すつもりです。たれが残らないよう、そちらも少し盛りますよ」
「それなら昼に1つ頼むよ。今日は店を離れられないから、ここで食べられるのはありがたい」
誠吾は礼を言い、品書きへ『川海老の甘辛炒め飯』と書き加えた。
試作分を除けば、昼に出せるのは20食ほどだった。値段はいつもの炒飯より高くなる。海老の仕入れ代に、殻を剥く手間まで考えれば、安くしすぎるわけにはいかなかった。
米を炊き、餃子を包み終えた頃には、川岸の声がひときわ賑やかになっていた。
◇
昼の最初の客は、昨日、火輪を覚えていて声をかけてくれた荷運びの男だった。
仲間を2人連れて、日除けの下から品書きを見上げている。誠吾は鍋を置き、注文を待った。
「昨日話した飯は、この炒飯というやつですね。俺はそれを頼みます。こっちの2人には、包んで焼いた料理も食べてもらいたくて」
「炒飯は、卵や燻製肉と一緒に米を炒めたものです。包み料理の方は餃子といいます。どちらも用意していますよ」
男が仲間へ説明している間に、誠吾は餃子を鉄板へ並べた。3人のうち、肩へ厚い布をかけた男が新しい品書きへ目を止めた。
「海老の方を飯付きでお願いします。手を汚さずに食えるなら、昼にはそっちが助かるんで。仕事に戻ってから縄を握るものでね」
「殻は外してあります。少し辛味がありますが、強くはしていません。水もそこにありますから、足りなければ声をかけてください」
朝の試作で殻を剥く方に決めておいてよかった。
誠吾は2人分の炒飯を先に作り、皿へ盛ってから鍋を洗った。海老を油へ入れる間に餃子の蒸し上がりを見て、蓋を外す。底の水分を飛ばしているあいだに、海老のたれへ火を入れた。
作る順を誤れば、どれかが冷める。鍋を振る時間だけでなく、客が席で待つ時間も揃えたかった。
青玉菜をさっと炒めて飯の脇へ添え、その上から海老とたれを盛る。油を薄く引いた鉄板から餃子を起こすと、焼き面がきつね色に揃っていた。
3人の前へ皿が並ぶ頃には、隣の出店の女も代金を用意して待っていた。
海老を頼んだ男は、まず身だけを食べた。続けて飯をすくい、今度はたれのついた青玉菜も一緒に口へ入れる。そのまましばらく話さずに食べていたが、隣の仲間が皿を覗くと、海老をひと切れ渡した。
「焼いたのと違って、身が硬くならないんだな。祭りの晩に来たら、飯をつけずに頼めますか。酒と一緒に食べたくなったんで」
「海老だけでも出せますよ。晩に出す分も仕込んでおきます。ただ、売り切れたらその日は終わりですから、早めに寄ってもらえると確かです」
男は頷き、皿へ残ったたれを飯で寄せた。食べ終えて立つときにも指を拭く必要はなく、肩の布を直して仕事へ戻っていった。
そのあとも、注文は海老ばかりにはならなかった。
値段を見て炒飯を選ぶ者もいれば、初めて見る米料理を避けて餃子だけ頼む者もいる。隣の女が食べている皿を見て来た客は、辛味が苦手だと先に伝えてくれた。
誠吾はその分を別に作り、辛味を抜いて仕上げた。香味野菜と川柑の香りが立ち、たれの色も少し淡くなった。
客はひと口食べると、手元の水へ伸ばしかけた手を戻した。その後は急がず、海老を飯の上で小さく切りながら食べていた。
味の好みを聞けるのは、小さな店のいいところだった。ただし、何でも受けて鍋を止めてしまっては、後ろで待つ客に迷惑がかかる。誠吾は注文を受けるたび、作業台と鉄板へ目を配った。
午後に入って、海老の最後の皿が出た。
品書きへ売り切れの札を下げると、ちょうど来た男が残念そうに足を止めた。誠吾が炒飯と餃子ならまだあると伝えると、男は連れと相談してから椅子へ座った。
初めての土地で、新しい料理を売り切った。その嬉しさはあったが、厨房にはまだ焼く餃子が残っている。
誠吾は空いた海老の盆を下げ、いつもの鍋へ卵を落とした。
◇
昼営業を終えると、火輪の流しには使い終えた皿が重なっていた。
隣の女が食器を返しに来て、販売窓の内側を覗いた。誠吾は洗い終えた皿を拭きながら、昼の礼を言った。
「こちらこそ、ごちそうさま。明日はもっと人が来るよ。川灯を流す前に飯を済ませる家が多いから、夕方が忙しくなると思っておいた方がいい」
「それなら、昼と夜で海老の分を分けておきます。昼に全部出してしまうと、今日食べた人にも申し訳ないですから」
女が店へ戻ると、誠吾は売上から仕入れ分を分けた。海老は高くても注文が入ったが、安く腹を満たしたい客も多い。明日の品書きも、炒飯と餃子を軸にするつもりだった。
朝に外した頭と殻は、身とは別に冷やしておいた。客用の仕込みを終えてから取り出し、軽く炒めて湯を加える。赤い殻が沈むにつれて、厨房へ濃い海老の匂いが広がった。
少しずつ味を見ながら煮出し、よさそうなところで漉す。昼に残しておいた自分用の飯へ少量かけると、焼き海老とは違う旨味が染みた。
今は昼飯を売るので手いっぱいだったが、この汁なら麺にも使えそうだ。誠吾は小鍋の残りを冷まし、あとで試せるよう冷蔵庫へ収めた。
日が傾いた頃、空の籠を受け取りにネリオが来た。品書きの売り切れ札を見て、足を止める。
「昼に川岸で食べてた連中が、赤いたれの海老を話してたよ。身を剥いて出したそうだな。うちの女房も、殻を取る手間がなければ喜んで食うだろう」
「明日は少し増やすつもりです。同じくらいの大きさで、今日より多く買いたいんですが、揚がった分を朝に見せてもらえますか」
「籠を分けておくよ。数は川次第だが、今朝と同じ仕掛けを入れてある。俺も飯を食いに寄るから、そのときは1皿頼む」
誠吾は了承し、籠を渡した。料理を食べてもらえれば、欲しい海老の大きさを説明するのも早くなるだろう。
ネリオを見送ってから、足りない油と包材を端末で補充した。届いたものを棚へ収め、翌朝使う盆と包丁を揃える。遠くの町へ来ても、使い慣れた道具まで探し歩かずに済むのは助かった。
そのぶん明日は、荷揚げ場で少し長く魚を見られる。
片付けを終えて外へ出ると、川岸の灯り籠がいくつか点いていた。まだ試しに灯しているだけらしく、男たちが離れた場所から高さを見て、吊るす縄を直している。
昼に火輪へ来た荷運びの男も、その下で竿を支えていた。誠吾に気づくと手を上げ、隣の仲間へ何か話しかけた。仲間の方もこちらを振り向き、会釈をしてから作業へ戻った。
誠吾は火輪の横へ椅子を出し、茶を注いだ。
対岸には、まだ灯りのない籠が長く続いている。明日の夜には、あちらも点くのだろう。船の通る水面へ光が揺れる様子を眺めながら、冷めかけた茶を飲んだ。
しばらくして、空腹を覚えた。海老の汁をかけた飯だけでは、夕食には足りなかったらしい。
通りの奥からは、何かを炭で焼く匂いが流れてくる。誠吾は立ち上がって財布を取り、火輪の戸を閉めた。
明日の仕込みは決まっている。今夜は、まだ開いているこの町の店で、腹いっぱい食べておこうと思った。




