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45/47

45.



 ダーグが病院に来たのは、朝の診察が始まる少し前だった。


 今日は一人ではなく、六人を連れていた。二十代の若者が三人、三十代の女性が二人、そして十歳くらいの子供が一人。全員、鬼族の特徴である角と金色の目を持っていた。


 待合室に案内すると、子供が病院の中をきょろきょろと見回した。


「すごい……でっかい」


「先週から来てる子です。一緒に来たがって」


 ダーグが言った。


「先生に会いたいって言って聞かなくて」


「どうぞ」


 トーコが血液検査の準備をした。


 全員の数値を順番に確認していく。腸の状態を魔力視で見る。


「……良くなっています。全員、数値が戻ってきています」


「本当ですか」


「乳を断ってから、ずっと腹を下さなくなりました。やっと普通に食事が楽しめるようになって」


「良かったです」


「先生のおかげです」


「掟の理由がわかったことで、皆さんが守れるようになったからです」


 子供が、トーコの手元をじっと見ていた。


「なにしてるの?」


「血液検査です。血の中を調べています」


「血を調べると、わかるの?」


「いろいろわかります」


「すごい」


 子供が、目を輝かせた。



    ◇



 検査が終わり、ダーグが少し改まった顔をした。


「先生、一つ相談していいですか」


「どうぞ」


「集落のことなんですが……うちは遊牧民なので、各地を移動しながら生きています。だから、怪我や病気をしても、近くに医師がいないことが多くて」


「そうですね」


「治癒師に頼もうとしても、鬼族だからと断られることも多いし、そもそも遊牧民は一か所に長くいないので、慣れた医師を持つことができない」


「なるほど」


「先生のような方が、移動しながら診てくれれば、と思うんですが……それは無理な話で、ここに来ることもできない時の方が多いし」


 ダーグが、少し頭を下げた。


「どうにもならないんですかね、とただ思っていて。愚痴みたいなものですが」


「愚痴ではありません」


 トーコが言った。


「一つ、提案してもいいですか」



    ◇



「皆さんの中で、医療を学びたい人はいますか」


 ダーグが、目を丸くした。


「……私たちが、ですか」


「そうです。専門の医師でなくてもいい。基本的な処置ができる人間が集落に一人でもいれば、助かる命が増えます」


「鬼族でも、学べますか」


「もちろんです」


「でも……むずかしくないですか。医学は」


「全部は難しい。でも、傷を洗う、止血する、骨折を固定する、薬草を使う。そういうことは、正しく覚えれば誰でもできます」


 ダーグが、一緒に来た者たちを見た。


 三十代の女性の一人が、手を上げた。


「あの……私、やってみたいです。集落でいつも怪我人の世話をしていて、でも正しいやり方がわからなくて困っていたので」


「ちょうどいいです。今日からでも始められます」


「今日から」


「時間があれば、今日教えます。その後は、来られるときに来てもらえれば」


 ダーグが、トーコを見た。


「先生は……本当に、誰にでもそうしてくれるんですね」


「必要な人に必要なことを教えます。それだけです」


 子供が、手を上げた。


「あたしも、覚えていい?」


「どうぞ」


「ほんとに?」


「ほんとにです」


 子供が、嬉しそうに隣の女性の袖を引いた。


「おかあさん、あたしも覚える」


「……先生がいいって言ってるんだから、ちゃんとやるんだよ」


「うん」



    ◇



 その日の昼休み、実技の時間にした。


 ダーグ、女性二人、子供が診察室に集まった。ミリアが補助に入った。


「まず、傷の洗浄から教えます」


 トーコが、消毒液の作り方から説明した。


「傷口を清潔にすることが、感染を防ぐ一番の基本です。水で洗う。異物を取り除く。この二つだけで、化膿する確率が大きく下がります」


「どんな水でもいいんですか」


「煮沸した水が一番いい。川の水は菌が入ることがある。できれば煮た水を使ってください」


「なるほど」


「次、止血です」


 ガーゼを取り出した。


「清潔な布を傷に当てて、押さえる。これだけです。ただし、押さえ続けることが大事です。すぐに離してはいけません」


「どのくらい押さえるんですか」


「出血が止まるまで。傷の深さによりますが、小さいものなら五分から十分。それでも止まらなければ、病院に来てください」


 女性が、メモを取りながら聞いていた。


「先生、包帯の巻き方は?」


「次はそれです」


 実際に巻いてみせた。きつすぎず、緩すぎず。ダーグが「こんな感じですか」と自分で巻いてみた。


「少し緩いです。もう少し引いて。ただし、指が痺れるほどきつくしてはいけません」


「……これくらい?」


「そうです」


 子供が、ダーグの腕を見ながら言った。


「あたしもやってみる」


「どうぞ。ミリアさん、腕を貸してあげてください」


「はーい。痛くしないでね」


「しない」


 子供が真剣な顔で包帯を巻いた。緊張しているのか、舌先が少し出ていた。


「……どう?」


「上手いです」


「ほんとに?」


「本当に。指が使えますか、ミリアさん」


「ちゃんと動きます」


「合格です」


 子供が、ぱっと顔を輝かせた。



    ◇



 午後、集落の長が馬に乗って来た。


「直接礼を言いたくて参りました」


「どうぞ」


 長が、病院の中に入り、椅子に座った。


「今日、若い者に処置を教えていただいたと聞きました」


「はい」


「……ありがとうございます。我々は長い間、医療から遠ざけられてきた。自分たちで何とかするしかなかった。だから、こういうことを誰かに教わるという機会がなかった」


「それは、理不尽なことです」


「そうですか」


「怪我は、誰にでも起きます。病気も同じです。それを助けることに、種族は関係ない」


 長が、深く頷いた。


「あなたのような人に出会えたのは、運が良かった」


「来てくれたダーグさんのおかげです。勇気を出して頼みに来てくれたから、こちらも動けた」


「あの子は……頑固で困ることもありますが、勇気はある子です」


 長が、少し笑った。


「先生、また困ったことがあれば、来ていいですか」


「いつでも」


「我々にできることがあれば、何でも言ってください。綿だけでなく、遊牧民のできることが何かあれば」


「今のところは、綿で十分に助かっています」


「そうですか。でも、困れば言ってください」


「ありがとうございます」



    ◇



 夕方、集落の人たちが帰り始めた。


 ダーグが「また来ます」と言った。


「いつでも」


「次は、もう少し仲間を連れてきてもいいですか。覚えたいという者が他にもいて」


「どうぞ」


 女性の一人が、メモを胸に抱えながら言った。


「今日のこと、集落のみんなに教えます。うまく伝えられるかわかりませんが」


「わからなければ、また来てください。何度でも教えます」


「……ありがとうございます」


 子供が、帰り際にトーコを振り返った。


「また来るから!」


「待っています」


「絶対来る。医師になりたいから」


 ダーグが「ソラ、そんなことを」と言いかけた。


「いいですよ」


 トーコが言った。


「いつでも来てください。ソラさん」


 子供が、ぱっと笑った。


 集落の人たちが、街の外へ向かっていく。


 馬の背中が遠ざかっていく。子供が何度も振り返りながら手を振っていた。


 ミリアが「先生、どんどん広がりますね」と言った。


「患者が増えるのは、いいことです」


「鬼族の子が医師を目指すなんて、先生が来る前のデッドエンドには考えられなかったと思います」


「そうかもしれませんね」


「先生が変えてるんですよ。この辺境を」


「みんなで変えています」


「先生も入ってください、もう」


 ミリアが笑った。


 シルフィが「きゅ」と鳴いた。

 魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。


 病院の夕暮れが、静かに広がっていた。

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― 新着の感想 ―
他の方も仰ってますが、 「患者が増えるのは、いいことです」 いやダメでしょw
患者増えるのは……… 「処置者が増えたほうが良い」のでは?
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