41.
八宝斎が来たのは、昼の診察が終わった頃だった。
両手に箱を抱えている。いつものエプロンではなく、外出着だ。表情が、いつもよりすこし真剣だった。
「トーコちゃん、いる?」
「いますよ。どうしたんですか」
「文句を言いに来ました」
トーコが、少し目を動かした。
「……文句ですか」
「そう。でも先にこれ」
八宝斎が、箱をテーブルに置いた。
「お土産。緋色の妖精っていう洋菓子屋さんのケーキ」
「洋菓子屋さんがあったんですか、この辺境に」
「最近できたの。あたしのおばあちゃんの髪色からとった名前なんだってさー。緋色のおばあちゃんがいたらしくて、その人の話を聞いて店名にしたって言ってた」
「へえ」
「なんか縁を感じてうれしくって、常連になってる。ケーキ美味しいよ、食べながら話しましょ」
ミリアが「食べていいですか!」と飛んできた。
「もちろん。みんなの分あるから」
「やったあ……!」
◇
ケーキを一口食べたところで、八宝斎が切り出した。
「トーコちゃん、活版印刷の技術特許、全部あたしにしたでしょ」
「はい」
「なんでそんなもったいないことを」
「もったいない?」
「そう。特許は作った人が持つべきじゃん。あたしじゃなくてトーコちゃんが持つべき。なんで全部あたしにしちゃったの」
トーコが、フォークを置いた。
「実現したのは、リフィア、あなたの腕があったからじゃないですか」
「それはそうだけど」
「活版印刷の技術を形にしたのは、あなたです。あなたの手柄です」
「違うの」
八宝斎が、トーコをまっすぐ見た。
「あのさ、トーコちゃん。あたしも転生者でしょ。活版印刷のこと、知ってはいたよ。教科書でちょっとだけ。ああそういうものがあるんだなって、知ってはいた」
「はい」
「でも興味はあっても、実際どういうものなのか、具体的にはわからなかった。どんな素材で、どう作って、どう使うか。そこまでは知らなかった」
「……」
「トーコちゃんは、全部教えてくれた。アイディアだけじゃなく、作り方まで、具体的に指示してくれた。あたしはそれを形にしただけ」
「あなたが形にしなければ、存在しないものです」
「トーコちゃんの知識がなければ、始まらなかったものでもある」
部屋が静かになった。
ミリアが、ケーキを食べながら二人を交互に見ていた。
「つまり」
八宝斎が続けた。
「トーコちゃんの知識と、あたしの技術。その二つが揃ってはじめてできたもの。だから、半分ずつが正しいんです」
「私は要りません」
「なんで」
「権利なんて。医者として最低限やっていられれば、それで十分です」
「もう、また言う」
八宝斎が、ため息をついた。
「トーコちゃんさ、お金があれば、もっとたくさんのことができるとは思わないの」
「思いますが」
「今以上の設備が整えられたら、もっと多くの人を救えない?」
「……それは」
「でしょ。だから持っておいた方がいいの。あたしが全部持っても、使い道に困るし」
トーコが、少し考えた。
「しかし」
「しかしじゃないの」
八宝斎が、テーブルに肘をついた。
「じゃあ、こうしよ」
「こう、とは」
「特許はあたしが持つ。その代わり、今後トーコちゃんが新しい手術道具や器具を作りたいときは、無料で作ってあげる。材料費も込みで、タダ。それでどう?」
トーコが、八宝斎を見た。
「……それは、願ってもないことですが」
「いいの?」
「あなたが生み出す道具は、たくさんの人を救えます。それを無償で作ってもらえるなら……でも、いいんですか。活版の収益があるとしても、材料費は」
「活版が生み出すお金がそれだけある、ってことでしょ。それに」
八宝斎が、にっこりした。
「友達だからね」
「……それは、言いすぎです」
「全然言いすぎじゃない」
八宝斎が、ケーキをもう一口食べた。
「ねえ、トーコちゃん」
「なんですか」
「今回のことで、トーコちゃんのこと、もっともっと好きになっちゃった」
「そうですか」
「そう。無欲に、ただ人のため。それだけで動いてる人って、なかなかいないよ」
「無欲ではないですよ。患者が治ったときは、嬉しいですから」
「それが無欲なんだって」
八宝斎が、少し遠い目をした。
「あたしのおばあちゃんがさ、そういう人だったの」
「八宝斎の、おばあちゃんが」
「うん。前世の。職人でね。すごく腕がよくて、でも全然お金にこだわらなくて。作ったものを、必要な人にただで渡したりして。稼げるのに稼がない人だったから、周りにいつも心配されてたけど、本人は全然平気で」
八宝斎の声が、少し柔らかくなった。
「そのおばあちゃんのこと、大好きだったんだよね。だから……トーコちゃんを見てると、思い出すんだ。同じ匂いがするから」
「買いかぶりすぎです」
「ぜんぜん買いかぶってない」
八宝斎が、トーコを見た。
「だから……もうっ、好きすきっ」
そのまま、テーブル越しにトーコの手を両手で包んだ。
「友達で良かった。本当に」
トーコが、少し間を置いた。
「……私も、良かったと思っています」
「それ聞けただけで今日来た甲斐があった」
「ケーキのお土産のことでは」
「そっちもあったけど」
ミリアが「いい話だ……」と目元を押さえていた。
シルフィが、八宝斎の頭にちょこんと乗った。
「きゅ」
「わあ、シルフィ久しぶり。相変わらずかわいい」
「きゅー」
八宝斎が嬉しそうにシルフィを両手で包んだ。
ガルドが調合室から顔を出して「何の騒ぎだ」と言った。
「ケーキがありますよ」
「……そうか」
ガルドが、そそくさとテーブルの方に来た。
病院の午後が、甘い匂いの中で続いていた。




