40.
毎週一度の勉強会が、病院の待合室で行われるようになって、しばらく経った。
セラとミラを含む聖女たちが、前に並んだ椅子に座っている。トーコが正面に立ち、今日は血液の成分と感染症の関係について話していた。
白板に図を描く。説明する。質問を受ける。答える。
セラが熱心にメモを取っていた。ミラが手を挙げて「先週の話と繋がりますか」と聞いた。「繋がります」と答えると、ミラが「なるほど……」と言いながらまたメモを取った。
勉強会が終わり、聖女たちが帰り始めた頃、ライナルトが来た。
「終わったか」
「今終わりました」
「少し相談がある」
「どうぞ」
ライナルトが椅子に座った。
「最近、街でこういう声が出ているらしい」
「どんな声ですか」
「聖女でもない、普通の者も、先生の勉強会に参加したいという声だ。若い者を中心に、何人か」
トーコが、少し間を置いた。
「……それは」
「来てもらって、構わないか。正規の治癒師でも聖女でもない者が、医学を学ぶことについて、先生はどう思うか」
「素晴らしいと思います」
「そうか」
「遠慮なく来てください、と伝えてください」
ライナルトが、少し目を細めた。
「本当にいいのか。聖女たちへの勉強会とは、また別の話になる」
「構いません」
「治癒師でも聖女でもない者が医学知識を持つことを、協会は良く思わないかもしれない」
「協会が何を思おうと、知識は平等に授けます」
ライナルトが、しばらくトーコを見た。
「知識を独占すれば、それなりに金になるとは思わないか。貴重な技術を持つ者が、それを売れば」
「金ですか」
「そうだ」
「人の命は、金で買えません」
ライナルトが、返事をしなかった。
「知識は蓄積するものです。受け継ぎ、また受け継がれていく。それがないと、次の世代が同じ失敗を繰り返す。私が前世で学んだことも、誰かが積み重ねたものです。それをここで使っています。独占する理由がありません」
「……まったく、凄いな君は」
ライナルトが、低く言った。
「そういう発想が、どこから来るのか」
「前世の記憶だと思います」
「前世の世界は、そういう考え方が普通だったのか」
「普通かどうかはわかりません。でも、そういう人たちがいました。知識を広めようとした人たちが」
ライナルトが頷いた。
「伝えておく。喜ばれるだろう」
「来週から、時間を少し延ばします」
◇
翌週の朝、勉強会の時間に、見慣れない顔が混じっていた。
十代の、若い男女が五人ほど。聖女の法衣を着ていない。街の普通の若者たちだ。
緊張した顔で、端の方に座っていた。
ミリアが「先生、来ましたよ」と小声で言った。
「そうですね」
「大丈夫ですか、普通の子たちも混じって」
「問題ありません」
トーコが前に立つと、若者たちがぴんと背筋を伸ばした。
「今日から参加してくれた方もいます。自己紹介は後でいいので、まず始めましょう」
若者の一人が頷いた。
「あの、先生……これを渡してもらったんですが」
薄い冊子を、持ち上げた。
トーコが「はい、教材です」と言った。
若者が冊子を開いた。
数秒、沈黙があった。
「……なんですか、これ」
「どうしましたか」
「文字が、全部おんなじなんですけど」
聖女のミラが横から覗き込んだ。
「本当だ……すごく綺麗。しかも全部、字の形が同じ。手書きじゃないみたいで」
「手書きではありません」
「どうやって作ったんですか」
「活版印刷を使いました」
「かっ……ぱん?」
トーコが説明した。
「文字の形に切り出した金属の板を並べて、インクをつけて紙に押す技術です。同じ文字を、同じ形で、何枚でも印刷できます」
「そんな技術が……」
「八宝斎さんに活版を作ってもらいました。金属の文字を一つひとつ切り出してもらって、それを並べて印刷しました」
「八宝斎さんが……」
聖女たちが顔を見合わせた。
「なんで先生の周りには、そういう人がいるんですか」
「縁があったので」
若者の一人が、おずおずと手を挙げた。
「あの……これ、私たちが持っていていいんですか。借り物ですか」
「差し上げます」
「え」
「今日参加した方全員に、一冊ずつ持ち帰ってください」
「……ただで、もらえるんですか」
「はい」
若者が、冊子を胸に抱えた。
「あの……正直に言うと、これ、かなり高価な本ですよね。作るのが大変で……払えないかもって、心配してたんですが」
「要りません」
「要らない……」
「知識に対価を求めると、持てる人間と持てない人間が生まれます。それは良くない。全員に渡します」
部屋が、しんと静まった。
別の若者が、目を赤くしていた。
「先生……俺、治癒師になれないんです。紋章も大してなくて、魔力も少なくて。でも怪我した人を助けたくて……ここで学んだら、何かできますか」
トーコが、その若者を見た。
「できます」
「魔力が少なくても?」
「私は魔力ゼロです。それでも患者を治しています」
「……そうか」
若者が、冊子を開いた。
「勉強します」
「よろしくお願いします」
◇
勉強会が終わった後、ライナルトが覗きに来た。
「どうだったか」
「良い顔をしていました」
「若い者は来たか」
「五人来ました。来週はもっと来るかもしれません」
「そうか」
ライナルトが、廊下に並んだ若者たちを遠くから見た。
冊子を開いて何かを確認している者、ミラに質問している者、トーコの真似をして図を描こうとしている者。
「君が来る前は、あの若者たちは医療に関わることができなかった。紋章がなければ、治癒師にはなれない。それが当たり前だった」
「今もそうです。でも、知識は持てます」
「知識があれば、できることが増える」
「そうです」
ライナルトが、静かに言った。
「この街は、変わった」
「少しずつ、変わっています」
「君が来てから、変わった」
「みんながいたから変わりました」
ライナルトが、トーコを見た。
「……頑固だな、そこは」
「そこだけです」
「そこだけ、か」
ライナルトが、少し笑った。
廊下の向こうで、若者が「先生、この図の意味は何ですか」と声を上げた。
「今行きます」
トーコが歩き出した。
シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
教室になった病院の廊下に、朝の光が伸びていた。




