36.
退院の前日、シュバルツが言った。
「一つ、聞いてもいいか」
「どうぞ」
「抗菌薬の話だ。火傷の処置のとき、飲ませてもらった薬だ。あの薬が、菌の増殖を抑えたと言っていた」
「はい。といっても、正確に言えば増殖を抑えたのは、注射投与した抗生物質。飲ませたのは整腸剤です。腹を下しやすくなりますからね」
「抗生物質……あれは何から作っているんだ」
トーコが少し、間を置いた。
「ガルドさんを呼んできます」
◇
三人で、薬の調合室に入った。
棚に、様々な薬草と試薬が並んでいる。その一角に、小さな培養器が置かれていた。
ガルドが棚から、一つの容器を取り出した。
中に、青緑色のカビが繁殖していた。
「これが、元になるものです」
シュバルツが眉を寄せた。
「……カビか」
「青カビです」
「カビから、薬を作るのか」
「正確には、青カビが作り出す成分を取り出して、薬にします」
トーコが説明した。
「青カビは、自分の周りにある菌を殺す成分を出します。それが菌に対して効く。その成分だけを取り出せれば、薬になります」
「カビが、菌を殺す……」
「カビも菌も、どちらも目に見えない小さな生き物です。カビの一種が、他の菌に対抗するための物質を出す。それを利用しています」
シュバルツが、容器を見た。
「なぜそんなことを知っている」
「前世の知識です。別の世界では、同じ方法で多くの命が救われました」
「別の世界で……」
シュバルツが、それ以上は聞かなかった。
「しかし、カビから成分を取り出すのは難しいのではないか。どうやって分けるんだ」
「それがガルドさんです」
トーコがガルドを見た。
◇
「薬師の紋章がある」
ガルドが、手の甲を見せた。
銀の紋章が、鈍く光っている。
「薬師紋のスキルで、薬草や素材から薬効成分だけを取り出すことができる。余分なものを除いて、必要なものだけを残す」
「それが、協会でいう薬師スキルか」
「ああ。大抵の薬師はそれで薬草を精製する。俺がやったのは、青カビに同じことをしただけだ」
「薬草ではないものにも使えるのか」
「やったことはなかった。先生に頼まれて、試してみたら使えた」
ガルドが、別の棚から小さな瓶を取り出した。
「これが取り出したものだ。成分が濃縮されている」
透明に近い、わずかに黄みがかった液体だった。
シュバルツが、瓶を見た。
「……こんなに少量で効くのか」
「濃縮されているから、少量でいい。薄めて適切な量にする。多すぎても体に負担がかかる」
「どのくらいの量が適切かも、先生が」
「前世の知識で、だいたいの目安はわかっていました。ただ、この世界では体の反応が違う場合もあるので、少量から始めて様子を見ました」
「慎重なんだな」
「知識があっても、この世界で使うのは初めてです。確認しながら進めています」
シュバルツが、培養器の中の青カビをまた見た。
「つまり……この青カビを育てて、成分を取り出して、薬にする。それをガルド殿のスキルで可能にした」
「そうです」
「ガルド殿のスキルがなければ、できなかったか」
「この世界では、難しかったと思います。前世の世界では別の方法で成分を取り出していましたが、ここではその器具がない。ガルドさんのスキルがあったから、実現できました」
ガルドが、ふんと鼻を鳴らした。
「俺のスキルで、先生の知識が使えるようになった。お互い様だ」
「そうです」
◇
「この薬は……今、広く使えるのか」
シュバルツが聞いた。
「量に限りがあります。青カビの培養に時間がかかる。現状では、重症の患者に優先して使っています」
「増やすことはできないのか」
「培養の規模を大きくすれば、増えます。ただ、適切な環境が必要です。温度、湿度、光の量。管理が難しい」
「管理できれば、増産できる」
「はい。今はガルドさんと二人で管理しています。人手が増えれば、もっと作れます」
シュバルツが、天井を見た。
「……協会にも、薬師がいる。スキルを持つ者も複数いる。もし協力できれば、生産量が増えるかもしれない」
「それは、シュバルツさんが戻ってから考えることです」
「私が、協力するということを前提に話しているのだが」
「わかっています」
「……なぜ、前のめりにならないんだ。こちらが協力すると言っているのに」
「シュバルツさんが自分で決めることだからです。怪我の治療が終わって、協会に戻って、落ち着いてから考えてください。今の判断が正しいとは限らない」
シュバルツが、しばらく沈黙した。
「……なぜそこまで人を信じる」
「信じているわけではありません。急いでも良いことはない、ということです」
「同じことではないか」
「少し違います」
ガルドが横で「似たようなもんだ」と言った。
シュバルツが、低く笑った。
◇
翌日、シュバルツが退院した。
扉の前で、トーコに向かって頭を下げた。
「世話になった」
「お大事にしてください」
「協会に戻ったら……考える。約束はしない。しかし、考える」
「それで十分です」
シュバルツが、歩き始めた。
少し離れたところで、振り返った。
「最後に一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は……何がしたくて、ここにいるんだ。辺境で、こんな施設を作って、患者を診て。王都でもどこでも、もっと大きな場所でできるだろう」
トーコは少し考えた。
「デッドエンドに、私を必要としている患者がいます。それだけです」
「……それだけか」
「それだけです」
シュバルツが、ため息をついた。
「そうか」
それだけ言って、歩いていった。
ミリアが後ろで「また言った……それだけです、って」と言った。
「何か問題がありますか」
「問題はないですけど、先生って本当にそれだけなんですよね。他に何も考えてないんだなって」
「考えていることは色々あります」
「例えば」
「次の患者のことです」
ミリアが、笑った。
シルフィが「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
ガルドが調合室に戻りながら、ぼそりと言った。
「青カビ、また仕込んでおくか」
「お願いします」
「わかった」
病院の朝が、静かに続いていた。




