35.
数日が経った。
シュバルツは、毎朝包帯を替えてもらうたびに、傷の状態を確認した。
火傷の傷が、きれいに回復していた。
これが、信じられなかった。
天導協会で長年働いてきた。火傷の治療は、協会が最も苦手とするものの一つだ。治癒魔法をかければ、組織は再生する。しかしその後、化膿することが多い。表面が治っても、深部に残った熱や細菌が悪さをする。ひどい場合は壊死が広がる。後遺症が残る。それが当たり前だった。
しかしここでは、化膿していない。
熱感が引いている。傷の周囲が、きれいな色をしている。
「なぜ、こうなるのですか」
朝の処置のとき、シュバルツが聞いた。
「何がですか」
「化膿していない。後遺症が出ていない。協会で火傷の患者を診るたびに、いつも後から問題が出た。なぜここでは出ない」
トーコが包帯を替えながら、答えた。
「いくつか理由があります」
「聞かせてほしい」
「まず、処置の際に感染を防ぐ環境を作りました。シルフィの結界で、処置中に外から菌が入らないようにしています」
「菌、というのは」
「目に見えない小さな生き物です。傷口や体内に入ると、化膿や感染症を引き起こします。治癒魔法は組織を再生させますが、菌そのものを取り除く力はない。だから治癒魔法だけで火傷を治すと、後から化膿することがある」
シュバルツが、黙って聞いていた。
「次に、抗菌薬を飲んでいただいています。この薬が、体の中の菌の増殖を抑えています」
「それは……協会でも薬草を使うが」
「ガルドさんと私で調合した薬です。効果が確認できているものを、適切な量で使っています」
「そして」
「処置の後、セラさんに浄化を使っていただきました」
シュバルツが、少し目を動かした。
「浄化……治癒ではなく」
「はい。治癒魔法は組織を再生させる力です。浄化魔法は、体内の不純物や異物を取り除く力です。別のものです」
「知っている。しかし浄化は、一般的に傷の治療には使わない」
「なぜだと思いますか」
シュバルツが、少し間を置いた。
「……組み合わせが、思いつかなかったからか」
「傷の治療に治癒魔法を使うのは当然のことで、それ以外の可能性を考えなかった。でも、感染を防ぐために浄化を使い、組織の再生に治癒を使う。そちらの方が、効果が高い場合があります」
シュバルツが、天井を見た。
「そんなことを……考えたことがなかった」
「魔力がないので、私は魔法を使えません。だから聖女の方々に何をお願いすれば効果的か、外から考えます。使う本人には、見えにくい部分かもしれません」
「外から……か」
シュバルツが、しばらく黙っていた。
「つまり、あなたは聖女の力を、聖女自身より効果的に使えるということか」
「そういうわけではありません。セラさんたちが優秀だから、指示に応えてもらえます」
「しかし発想は、あなたから来ている」
「前世の知識があるからです。同じ立場の人間が考えたことではありません」
シュバルツが、目を閉じた。
「……それでも、私たちが知らなかったことだ」
◇
翌日、セラが処置の補助に入ったとき、シュバルツが言った。
「セラ」
「はい」
「ここは、どうだ」
セラが少し、シュバルツを見た。
「どう、とは」
「お前たちは協会を出た。安定した立場を捨てた。後悔はないか」
セラが、少し考えた。
「ありません」
「なぜ」
「ここでは、なぜそうするかを教えてもらえます。協会では、術式を覚えることが全てでした。なぜ効くのか、なぜ使うのか、誰も教えてくれなかった。ここでは全部教えてもらえます」
「それだけか」
「それだけではありません」
セラが続けた。
「患者さんが、よくなります。後遺症が出ません。理由がわかって治るから、患者さんも納得して帰ります。それが嬉しいんです」
シュバルツが、返事をしなかった。
「部長は……ここに来てみて、どうでしたか」
「……敗北感がある」
「敗北感」
「私たちが長年やってきたことを、あの者は全部ひっくり返している。しかも、私たちの聖女を使って、私たちより良い治療をしている」
セラが、静かに言った。
「先生は、協会に勝とうとしているわけではないと思います」
「わかっている」
「敵だと思っていないんだと思います。本当に」
「……それが、一番腹が立つ」
シュバルツが、低く言った。
「あれだけのことをされて、あの者は一度も私たちを責めなかった。マウントを取ってこない。ただ、治す。それだけだ」
「そうですね」
「人間として……格が違う。私には、そうはできない」
セラが、しばらくシュバルツを見た。
「部長」
「なんだ」
「部長が、そう気づいたことが大事なんだと思います」
シュバルツが、天井を見た。
「……優しいことを言う」
「先生に習いました」
◇
一週間が経った頃、シュバルツは自分で起き上がれるようになった。
包帯を外すと、皮膚が新しく再生していた。跡は残るが、機能には問題がない。
トーコが最後の確認をしながら言った。
「あと数日で退院できます。動かす練習を始めてください」
「わかった」
シュバルツが、腕を動かした。
「……動く」
「皮膚移植が定着しています」
「あの処置が、これほどの効果を出すとは」
「魔法との組み合わせが効きました。セラさんの協力がなければ、ここまでにはなりませんでした」
シュバルツが、トーコを見た。
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「協会と、和解する気はあるか」
トーコが少し、間を置いた。
「協会を敵だと思っていません。だから和解という言葉が当てはまるかどうか」
「しかし、協会はお前を敵として扱ってきた」
「それは一部の方の判断です」
「私もその一部だ」
「そうですね」
「……謝る。本当に、申し訳なかった」
シュバルツが、頭を下げた。
トーコは少し、シュバルツを見た。
「受け取ります」
「それだけか」
「怒りを持ち続けていても、患者は増えません」
シュバルツが、低く笑った。
「……やはり、格が違う」
「そういうわけではありません。ただ、時間の使い方の問題です」
「同じことだ」
シュバルツが立ち上がり、窓の外を見た。
「退院したら、協会に戻る。しかし……戻って何かできることがあれば、したい。お前たちの邪魔ではなく」
「それは、シュバルツさんが決めることです」
「……そうだな」
シュバルツが、窓の外のセルシウスを見た。
「あの魔物は、本当にここの守り神なのか」
「そうだと思います」
「魔物に守られ、魔法なしで治療し、協会の聖女を従え……本当に、何者なんだお前は」
「デッドエンドの医師です」
「それだけか」
「それだけです」
シュバルツが、ため息をついた。
外からセルシウスの「ぐるる」という声が聞こえた。
シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
トーコは次のカルテを手に取った。




