34.
天導協会デッドエンド支部の前を通ると、静かだった。
以前は患者が並んでいた場所に、誰もいない。扉が閉まっている。看板は出ているが、通り過ぎる人は誰も立ち止まらない。
鉱夫の男が言った。
「最近、あそこ、ずっとあんな感じだな」
「聖女が減ったからですね」
「先生のとこに来ちゃったもんな。自業自得だよ」
デッドエンドの病院は、今日も朝から患者が並んでいた。
◇
昼過ぎ、支部の中でエリナが一人、患者の対応をしていた。
もう三ヶ月になる。セラたちが去ってから、ずっと一人だった。王都から補充を求めたが、来なかった。魔力の消耗が激しく、昼を過ぎると集中力が落ちた。
そのとき、シュバルツが奥の部屋から出てきた。
「患者はどのくらい来ている」
「今日は……四人です」
「四人か」
シュバルツが、窓の外を見た。通りは静かだ。
「あの病院には、今日何人来ている」
「……朝の時点で、二十人以上は並んでいたかと」
「そうか」
シュバルツが腕を組んだ。
「神は、こちらに味方するだろう。正規の協会が、免許もない者に患者を奪われるなど、あってはならない」
エリナが、何も言わなかった。
「神の裁きが下るだろう。この状況が長続きするはずがない」
シュバルツが、天井を見上げた。
「邪道が栄えるなど、神が許すはずがないのだ」
◇
雷が鳴り始めたのは、夕方のことだった。
夏の夕立だ。空が急に暗くなり、雨が降り始めた。
病院では、入院患者の確認をしていた。ミリアが窓を閉めて回っていた。
そのとき。
轟音がした。
地面が揺れるような音だった。続いて、光が走った。
「……先生」
ミリアが、窓の外を指した。
天導協会の支部から、煙が上がっていた。
落雷だ。
建物の一角が燃えていた。
◇
トーコが飛び出した。
シルフィが飛び立ち、周囲に風の結界を張りながらついてくる。
セラとミラが後を追った。ミリアが道具箱を抱えて走った。
支部の前に着くと、建物の屋根が燃えていた。扉が開いていて、中から煙が出ている。
エリナが外に出て、膝をついていた。腕に火傷を負っている。軽傷だ。
「中に……シュバルツ部長が……!」
「何人いますか」
「二人……受付の者と、部長が……!」
セルシウスが、どこからか走ってきた。
建物の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。
それから、口から冷気を吐いた。
氷の霧が、炎に向かって広がった。炎が、勢いを落とした。完全には消えないが、入れるようになった。
「セルシウス、ありがとう」
「ぐる」
トーコが中に飛び込んだ。
煙が充満していた。魔力視を開くと、奥に二つの人の気配がある。
受付の若い係は、倒れていたが意識があった。ミラが抱えて外に出た。
シュバルツは、奥の部屋にいた。
天井の梁が崩れて、足に当たっていた。動けなくなっている。腕と顔に、深い火傷があった。服が焦げている。
「……っ」
シュバルツが、トーコを見た。
目を、見開いた。
「なぜ……お前が」
「動かないでください。今、外に出します」
「なぜ、来た……」
「建物が燃えています。話は後です」
トーコが、梁を動かそうとした。重い。一人では無理だ。
セルシウスが、入り口から頭を入れてきた。大きな体が、狭い廊下に入りきらないが、鼻先で梁に触れた。
ぐっと押し上げた。
梁が動いた。
トーコがシュバルツの腕を取り、引いた。
◇
外に出ると、雨が強くなっていた。
シュバルツを地面に横たえ、トーコがすぐに状態を確認した。
魔力視を開く。
腕と顔の火傷が深い。皮膚の層が、複数にわたって損傷している。熱が体内に入り込んでいる。このまま放置すれば、感染が広がる。
「重度の火傷です。病院に運びます」
「待て」
シュバルツが、掠れた声で言った。
「なぜ……私を助ける」
「怪我をしています」
「私は……お前の施設の建設を何度も妨害した。患者に嘘の噂を流した。聖女たちを縛ろうとした。それでも」
「それでも、患者です」
シュバルツが、目を閉じた。
「……お前には、腹が立たないのか」
「腹を立てている暇があれば、処置します」
シュバルツが、低く言った。
「……なぜそういうことができる」
「できないことの方が多いです。でも目の前で傷ついている人を見捨てることは、私にはできません」
ミリアとセラが、担架を持ってきた。
「運びます」
「……頼む」
◇
病院に運び込まれたシュバルツを、トーコは処置室に入れた。
火傷の処置は、時間が命だ。
壊死した組織を取り除き、感染を防ぐ処置を施す。広範囲に及ぶ火傷には、皮膚移植が必要だった。
「セラさん、治癒魔法で細胞の再生を補助してほしい。ただし、私が指示した部分だけ、加減しながら」
「わかりました」
「ミリアさん、器具を」
「はい」
シルフィが結界を張った。
処置が始まった。
皮膚移植は、精密な作業だ。健康な皮膚を薄く採取し、損傷した部分に貼り付ける。魔力視で血流の状態を確認しながら、セラの治癒魔法と組み合わせて細胞の接着を促す。
前世で何度もやってきた処置だ。しかし、魔法と組み合わせるのは初めてだった。
「セラさん、今の部分、もう少し弱く」
「はい」
「そこはもう少し強く。ゆっくりと」
「……わかりました」
セラが、魔力の加減を調整しながら応えた。
二人の技術が、一つの処置として噛み合っていく。
ミリアが、ずっと器具を渡し続けた。
処置が終わったのは、夜が深くなった頃だった。
◇
翌朝、シュバルツが目を覚ました。
入院室の天井を見た。
腕と顔に、包帯が巻かれている。痛みはある。しかし、昨夜の灼けるような熱は、引いていた。
トーコが入ってきた。
「気がつきましたか。痛みはどのくらいですか」
「……ある。しかし、昨夜よりはるかに楽だ」
「感染の兆候はありません。経過は良好です」
シュバルツが、包帯を巻かれた腕を見た。
「……皮膚移植を、したのか」
「広範囲の火傷だったので」
「そんな処置が、できるのか」
「前世の知識です」
シュバルツが、しばらく天井を見ていた。
「……私は、お前に酷いことをした」
「そうですね」
「それでも助けた」
「患者だったので」
「……格が、違う」
シュバルツが、低く言った。
「私はお前を潰そうとしていた。お前はそれを知っていて、助けた。人間として、格が違う」
「そういうことではありません」
「ではなんだ」
トーコが少し考えた。
「私は医師です。それだけです」
シュバルツが、目を閉じた。
「……ありがとう」
長い間があった。
「礼は受け取ります」
「……うう」
シュバルツが、かすかに声を詰まらせた。
「恥ずかしい……恥ずかしい話だ」
「回復に専念してください。しばらくここにいてもらいます」
「……わかった」
トーコが出ていく前に、シュバルツが言った。
「一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「セラたちは……あの聖女たちは、ここで幸せか」
トーコが、少し間を置いた。
「聞いてみてください。本人たちに」
「……そうだな」
扉が閉まった。
廊下の向こうで、セラが患者に何かを説明している声が聞こえた。
明るい声だった。
◇
ミリアが、廊下でトーコに言った。
「先生、シュバルツさん、泣きそうでしたね」
「そうですか」
「先生は気づかなかったんですか」
「処置の確認をしていました」
「……先生らしいですね」
ミリアが、窓の外を見た。
「セルシウスが、また外にいます」
「そうですか」
「昨夜、火を消してくれましたね。本当に助かりました」
「ぐるる」
外からセルシウスの声がした。
「……聞こえてるんですかね」
「さあ」
シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
病院の朝が、静かに始まった。




