33.
セラとミラ、そして十名の聖女が協会を去ってから、二週間が経った。
天導協会デッドエンド支部の待合室は、いつも通りの朝を迎えていた。
はずだった。
「おい、誰か来ないのか」
支部の受付係が、奥に向かって声をかけた。
返事がなかった。
聖女の部屋を覗くと、がらんとしていた。荷物が片付けられている。昨日まで確かにいたはずの聖女が、もういない。
受付係が、もう一つの部屋を覗いた。
こちらも空だった。
支部に残っているのは、エリナ一人だった。金紋の聖女だが、一人では手が回らない。
「シュバルツ部長……昨日また二人が」
「知っている」
シュバルツが、椅子に深く座ったまま言った。
「わかっている」
◇
翌週、支部の扉を叩く者が来た。
中年の男だった。右腕を押さえている。顔が青白い。
「すみません、腕が……落石で打ちまして」
「少々お待ちください」
受付係が奥に声をかけた。
しばらくして、エリナが出てきた。すでに午前中だけで六人の患者を診ていた。疲労が顔に出ている。
「今日は……もう少し時間がかかります。二刻ほど待っていただけますか」
「二刻……」
男が、痛みをこらえながら言った。
「それは、辛くて……少し、急いでいただけないですか」
「申し訳ありません。今日は私一人で、他の患者の方も」
「一人……? 以前は何人もいたのでは」
「事情がありまして……」
男が、待合室の椅子に腰を下ろした。
隣に座っていた老婆が、小声で言った。
「あんた、デッドエンドに行ったことはあるかい」
「いえ、ないですが」
「そっちに行った方が早いかもしれないよ。立派な病院ができたって聞いてるし、先生が丁寧に診てくれるって評判でね」
「デッドエンドですか……辺境の」
「遠いけど、ここで何時間も待つよりはね」
男が、腕を押さえたまましばらく考えた。
「……そうしてみます」
男が立ち上がった。
受付係が「あの、少し待っていただければ」と言ったが、男はもう扉に向かっていた。
老婆も立ち上がった。
「わしも行ってみようかね。ここで待つのも大変だし」
「お客様……」
老婆が、ゆっくりと出て行った。
待合室が、静かになった。
◇
シュバルツが報告を聞いたのは、昼過ぎだった。
「……患者が、デッドエンドに流れているということか」
「はい。今週だけで、途中で帰ってしまった患者が十数名います。デッドエンドに行くと言った方が半数以上で」
「なぜだ。こちらは協会の正規支部だ。向こうは免許もない者が運営している施設だ」
「それは……聖女の数が減ったことで、待ち時間が大幅に増えてしまっていて」
「エリナはどうした」
「エリナ様は今日だけで十二人を診ていて、魔力の消耗が……」
「他の支部から人を回せないのか」
「王都支部も今は手が足りず……実は、王都でも同じような状況が出ていまして。辞めた聖女の何人かが王都出身で、そちらの空きも埋まっていない状況です」
シュバルツが、額に手を当てた。
「つまり、こちらの人手不足を、デッドエンドが吸収しているということか」
「……そのような形になっています」
◇
三日後、シュバルツが自ら動いた。
馬車でデッドエンドへ向かった。
現地を見なければならないと思った。噂で聞くより、自分の目で確認したかった。
デッドエンドに着いて、馬車から降りた瞬間、目に入ったのは長い列だった。
新しい病院の前に、患者が並んでいる。王都から来たのか、馬車が何台も止まっている。辺境の住民だけでなく、明らかに遠方から来た者も混じっていた。
建物は、シュバルツが想像していたものより、ずっと大きかった。
石造りの、しっかりとした建物だ。窓が多く、光が入りやすい設計になっている。入口に看板が出ていて、診察時間と受付の案内が書いてある。
中に入ると、待合室が整然としていた。
椅子が並んでいる。記録をつけている係の者がいる。薬草の匂いがする。清潔だ。
受付に立っていた若い女性が、シュバルツを見た。
「診察ですか。今日の受付は、あと三十分ほどで締め切りになりますが」
「いや、私は」
「見学でしょうか」
「……そういうことになるかもしれない」
「ご案内しましょうか。先生に確認してきます」
シュバルツが待っていると、しばらくして白衣の女性が出てきた。
トーコだった。
シュバルツを見て、少し目を細めた。
「来られましたか」
「……見にきた」
「どうぞ。隠すものは何もありません」
トーコが、施設の中を案内した。
検査室。手術室。入院室。薬の調合室。どの部屋も整頓されていて、器具が丁寧に並んでいた。
「ここまでの施設が……辺境に」
「必要だったので、作りました」
「資金はどこから」
「商業ギルドと辺境伯から。患者が集まれば、維持できます」
シュバルツが、手術室を覗いた。
「……使われているのか、ここは」
「毎日使っています」
「手術が、毎日」
「必要な患者がいれば」
シュバルツが、窓の外を見た。
中庭に、大きな白い獣が寝ていた。
「あれは……フェンリルか」
「セルシウスといいます。怪我人が出ると、知らせに来てくれます」
「魔物が……」
「患者を運ぶ手伝いをしてくれています」
シュバルツが、しばらく黙っていた。
「あなたのところの聖女たちは、こちらで何をしている」
「診察の補助と、入院患者のケアを。治癒魔法で術後の回復を助けてもらっています」
「協会の聖女が、あなたの下で補助をしているということか」
「対等な関係です。私が外科的な処置をして、聖女の方々が治癒魔法で回復を補助する。それぞれの得意なことを、それぞれがやっています」
シュバルツが、トーコを見た。
「……あなたは、協会を敵だと思っているか」
「思っていません」
「なぜ」
「治癒魔法は必要です。私にはできないことが、聖女の方々にはできる。敵である理由がありません」
「しかしあなたは協会に何度も」
「妨害されました。でもそれは一部の方の行動です。治癒師や聖女の方々が悪いわけではない」
シュバルツが、目を細めた。
「……なぜそう言える」
「セラさんたちが来てくれたからです。あの方々は協会で育った聖女です。その方々が、ここで誰より丁寧に患者に向き合っています。それが答えです」
廊下の向こうで、セラが患者に何かを説明している声が聞こえた。
丁寧な声だった。
シュバルツが、廊下をしばらく見ていた。
「……見せてもらった」
「お役に立てたなら」
「役には、立った」
シュバルツが、出口に向かった。
扉の前で、立ち止まった。
「一つ聞く」
「どうぞ」
「グレーヴの骨折を治したのは、本当にあなたか」
「そうです」
「あの男は、あなたの施設の建設を止めに来た」
「はい」
「それでも治したのか」
「怪我をしていました」
シュバルツが、トーコを見た。
「……ちくしょう」
低く言って、扉を開けた。
外の光が、廊下に差し込んだ。
◇
シュバルツが去った後、ミリアが出てきた。
「先生、さっきの人……協会の偉い方ですよね」
「そうです」
「何しに来たんですか」
「見に来たんだと思います」
「見て、どう思ったんですかね」
「さあ」
トーコが、次のカルテを手に取った。
「ちくしょうと言って帰りました」
「……それ、どっちの気持ちですかね」
「どちらもあるんじゃないですか」
ミリアが「そうですね」と言って、笑った。
病院の一日が、静かに続いていた。




