第五十八話 蒼の静謐
「……アレス!!」
エリスは声の主の名前を呼ぶ。
「…………よく頑張ったな、エリス――」
アレスは瑠璃色の瞳で、エリスとディアナを一瞥し、一歩踏み出した。
――パキンッ!
踏み出すと同時に、凍った蔦が砕ける。
「……わっ」
急に蔦が砕け散り、エリスはバランスを崩す。
すると、カイが両手を広げて、エリスを抱きとめる準備をしていた――。
(クソッ、このままじゃ、カイのところに倒れる――!)
――グイッ。
だが、エリスはカイの胸元に倒れることはなかった。
漆黒の軍服に白銀の髪――。
アレスは、倒れそうになったエリスの身体を後から抱きとめた。
「ア、アレス……」
「……遅くなってすまない。エリス――」
アレスはエリスの耳元で甘く囁いた。
「ゲホッ、ゲホッ! 遅かったじゃないか、アレス」
自力で立ち上がったディアナは、自分の首元に手を当てる。
「……姉上。これでも最速で片付けて来たのだ――」
アレスは目線だけをディアナに向けた。
「まあ、『東の都市』はまだ凍りついたままだがな――」
「龍王――アレスゥゥゥゥ!!」
カイから赤いオーラが放たれる。
「エリスは! エリスは! 俺のだ!
俺のエリスに、気安く触るなぁぁぁぁぁ!!」
「…………誰が、誰のモノだと言った?」
アレスはエリスの腰に後から手を回す。
「――以前、エリスはモノではないと教えたはずだが……。
それがまだ分からぬのか?」
アレスは見せつけるように、エリスの耳を軽く甘噛みした。
「……ッ! アレスっ!」
エリスの顔が一瞬、真っ赤に染まった。
「この女は、俺を選んだ――」
アレスの、エリスを抱きしめる腕に力が入る。
「そして、俺もエリスを選んだ――」
「何を!? その汚い手で、俺のエリスに触るな!!」
カイは激昂し、赤龍教団に命令を下す。
「おい! お前たち、何をしている!!
あの龍王アレスを殺せぇぇぇぇぇ!!!」
「――はっ!」
教団員は赤い宝珠を掲げ、エリスとディアナを捕らえた蔦をアレスに向けて放つ。
「…………フン。こんなもの――」
アレスの瑠璃色の瞳が、深淵のような蒼色へと変色する。
――パリン!
蔦はアレスにたどり着く前に、全て氷漬けにされていった。
「…………この程度で調子に乗っていたのか? 笑わせる」
アレスが鼻で笑うと、氷漬けになった蔦が全て砕け散った。
「…………これが、龍王アレス――!」
教団の一人が後ずさる。
「チィ――!」
カイは舌打ちをした。
「どうやら一筋縄では行かないようだな――!」
カイはアウレウス・コアを高く掲げ、地面から数本の“黒い手”を出現させた。
そして、その“黒い手”は人狼型変異種へと姿を変える。
「これは、どうだ――!!」
「…………そんな子どもだまし、俺には効かん――!」
アレスは変異種たちも蔦と同じように氷漬けにし、そして砕いていった。
「……………………」
エリスはアレスの腕の中で、一部始終を見ていた。
(コイツ……、こんなに強かったのか――?)
(アレスが本気を出せば、今までの変異種だって数秒で片付いてたんじゃないか!?)
「ア、アレス……」
「どうした? エリス……」
「その、そろそろ離してくれないか?」
「…………ならん。俺がお前を離せば、アイツに奪われる――」
「奪わ――いや、お前がいるからもう大丈夫だろ?」
菫色の瞳が、アレスを下から見上げる。
「それにアレス、お前、めちゃくちゃ強いじゃないか!」
「…………当然だ――。伊達に龍王は名乗らん――」
「……ん。そっか……」
エリスはアレスの腕の中で、安心しきった顔をしていた。
そんなエリスの表情に、面白くない人物がいた――。
カイである。
「クソッ! 龍王アレス!!」
カイはアウレウス・コアを左手で掲げた。
すると、黄金と赫色の光がカイの左手を包み込む。
カイの左手がみるみる黒く変色する。
さながら、先程まで地面から出ていた黒い手が、カイの腕と同化したようだった。
アウレウス・コアが、カイの黒い左手に吸収されていく。
「…………少し、厄介だな――」
アレスはエリスから手を離す。
「……アレス?」
「エリス。姉上のところに行け――。
あの黒い手は少し厄介だ――」
「………………ああ」
エリスはアレスに言われるがままにディアナの方へ駆け出す。
「姉上! 【白銀封鎖・聖域結界】でエリスを守れ!」
「はぁ~、姉使いが荒い弟だ――」
ディアナは大袈裟にため息をついた。
「でも、いいよ。エリスはボクの可愛い義妹だからね!」
「……ディアナお義姉様!」
エリスがディアナの元に到着する。
「エリス。少しだけ、閉じ込めさせて貰うよ――」
「……え!」
「【白銀封鎖・聖域結界】!」
ディアナの足元から白い魔法陣が浮かび上がる。
そして、幾重にも重なる白い結界がエリスを優しく包み込んだ。
「お義姉様――!?」
「エリス。どうやらアレスが本気を出すらしい――」
「……え?」
「本気を出したら、アレスの周りにはなにも残らないからね――」
「……………………」
「あ、ボクは平気だよ? なんせ、全ての魔力を無効化出来るからね。アレスの力も例外じゃない――。
ただし、アレスの魔力量がボクの力を上回ったら話は別だけどね」
ディアナは楽しげに笑う。
「…………ディアナ、お義姉様――」
「さぁ! 今日の大一番の始まりだよ」
琥珀色の瞳が、アレスとカイを捉える。
「龍王アレスゥゥゥゥゥ!!」
カイは剣を抜き、アレスに襲いかかっていた。
アレスはカイの剣を軽くあしらう。
数回、剣を打ち合い、アレスがカイを弾き飛ばす。
「くぅっ!」
「……想像以上に弱いな――。こんなに弱いなら姉上に結界を張らせる必要はなかったか――」
アレスは心底つまらなそうに呟く。
「――アウレウス・コアを取り込んだところでこの程度。笑わせる――」
アレスの冷徹な瑠璃色が、カイを蔑む。
「この野郎ぉぉぉぉ!!」
カイは剣を捨て、黒く変色した手でアレスに向かっていく。
――ザシュッ!
アレスがカイの左手を切り飛ばす。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
左手から血が噴き出し、カイがのたうち回る。
だが、次の瞬間には左手は再生し、再びアレスに襲いかかる。
黒い左手とアレスの剣がぶつかり合う。
「――ほう。それがアウレウス・コアの力か――?」
「だったらなんだ! 羨ましいのか!?」
「まさか――。それに、お前はアウレウス・コアの力をまだ引き出してはいないようだな――」
「何を――!?」
「……それに、その厭な匂い――」
アレスから白い魔力が溢れ出す。
「それは、俺がこの世で最も忌み嫌う匂いだ――!」
――ズサァァァ!
アレスの剣が、再びカイを弾き飛ばす。
「……くっ!」
「力の差は歴然だ――。これが分からぬ馬鹿ではあるまい」
アレスの瑠璃色の瞳が、カイを睨みつける。
「……今ここで、アウレウス・コアを置いて逃げるなら、後は追わん」
「は! 随分とお優しい龍王様で!」
カイが唾を吐き捨てる。
「ここまで侮辱されて! はいそうですねって引き下がるわけねぇだろーが!!!」
カイは左手で自分の胸元――心臓がある部分を握りしめる。
「見せてやるよ!! 俺の真の力を――!!」
「――カイ!」
結界の中で、エリスが叫ぶ。
だが、カイにはエリスの声は届かなかった。
「うおぉぉぉぉ!!」
カイの雄叫びが、徐々に人間のモノではなくなる。
それはまるでドラゴンのような咆哮――。
「ぐわぁぁぁぁぁぁ!!!」
その咆哮とともに、カイの左手が、左腕が――黒く染まっていく。
「……腕一本、お前にくれてやるぅぅぅ!!!」
カイは肩まで黒く染まり切った左腕を、地面に叩きつけた。
――ビキッ!
地面を覆っていたアレスの氷に赤黒い光の稲妻が走る。
その光と同時に地面に亀裂が入る――。
「……アレスの氷が!!」
「…………エリス。結界から出るんじゃないよ――」
ディアナの顔から、笑顔が消えた。
「…………………………」
稲妻はアレスの真横を通る。
――ピシッ!
その瞬間に、アレスの頬に一筋の赤い線が走った。
アレスは自身の頬を触る。
「…………フン。やはり、そういうことか――」
頬に触れた指には薄く血の跡がついていた。
「――姉上!」
「……分かっているよ。アレス――」
アレスの瑠璃色の瞳が、再び深淵のような蒼色に光る。
「――どうやら、俺が本気を出すに値する相手のようだ――」
「……アレス!」
「……エリス。そこで見ていろ。
四百年前と同じようには、させん――!!」
「……え? 四百年前!?」
エリスの混乱をよそに、今度はアレスからカイに距離を詰める。
カイは赫色に染まった瞳で、ニヤリと嗤う。
「――おお! マルス様がついに!!」
「マルス様のお力をこの目で見られるとは……!!」
赤龍教団がざわめき立つ。
「――フン!」
アレスの剣戟を、カイは左手で防いでいく。
その様子は、まるで先程までとは別人であった――。
「――意識はどれくらい残っているのだ?」
アレスがカイに問いかけた。
「はぁ!? 何をわけの分からないことを言っている!!」
カイの左手がアレスの顔を掠め、白銀の髪を数本宙へ散らした。
「俺は――俺だ!!」
「…………なるほど。では完全に乗り込まれる前に楽にしてやる――」
アレスはカイと数回打ち合うと、距離を取るように離れた。
「…………俺は、お前の全てを『肯定』しよう――」
「はぁ!? 何言ってんだ、お前!?」
その瞬間――。
周囲の温度がさらに落ちる。
砕けた氷片が空中で止まる。
風が止まり、音がなくなった――。
世界から色彩が消え、深い蒼の静寂が支配し始める。
「ッ! ま、まずい!!」
「カイ様! この力はマズイ!!」
「はぁ!? 何を言っている!?
目の前にエリスがいるんだぞ!?」
「それでも! ここは一旦引きましょう!!」
「はぁ!? お前たち! それでも赤龍教団の幹部なのか!?
エリスを目前にして逃げられるか!!」
「エリス様の奪還はまた機会があります!!」
「今は、この場所から離れるのが先決です!」
赤龍教団の男たちは残りの赤い宝珠を全て使い、蒼の世界に、異空間へと通じる通路を構築し始める。
「早くしろ! 龍王のこの力が完成したら、我々の悲願は到底達成出来ない!!」
城が、空が、大地が……。
蒼に呑み込まれた瞬間――
アレスは、世界そのものに命じる。
「【絶対的停止・存在固定】――!!」
それは――蒼の静謐。
世界そのものが、美しい蒼い結晶の中に閉じ込められていく。
――パリンッ。
――パリンッ!
――パリンッ!!
赤龍教団に結晶が迫りくる――。
「くっ! 道が開きました!!」
「早く飛び込め!! カイ様を回収しろ!!」
「――はっ!」
「は!? 俺はまだ! まだやれる!!」
教団員たちはなんとかカイを引きずり、異空間へ続く通路に押し込める。
「エリス――!! エリス――!! 俺は――!!」
カイの叫びと共に空間の穴が閉じ――その直後、通路が存在していた空間そのものが蒼い結晶へと閉じ込められた。
「…………………………」
世界に、静寂が訪れる。
「………………逃げられた…………のか?」
静寂を破ったのはエリスの声。
「…………逃げられた、ではない。逃がした――」
アレスは、異空間の道があった場所を静かに見つめた。
「…………」
そして、静かに瞼を伏せる。
「――世界よ、再び時を刻め」
――パキン。
その言葉とともに、城を覆っていた蒼い結晶に無数の亀裂が走る。
結晶は光の粒となって崩れ――止まっていた風が吹き抜ける。
音が戻る。
色彩が戻る。
世界が、再び動き始めた。
――パリン。
それを見届けたディアナも、エリスを覆っていた白い結界を解く。
「もう大丈夫だよ、エリス」
「……ああ、ありがとう。ディアナお義姉様――」
結界が、白い光の粒となって消えていく――。
完全に消えるより早く、アレスがエリスの元へ歩み寄る。
「エリス……」
「アレス?」
アレスはエリスの頬に手を添え、その身体を上から下まで確かめるように見つめた。
「……怪我はないか?」
「ああ。お前のおかげで、大丈夫だぞ――」
エリスは菫色の瞳を細める。
「そうか――」
アレスは安堵したように息を吐いた。
「――アレス」
「なんだ、姉上」
「…………ボクは?」
「…………は?」
「…………ボクには労いの言葉はないのかい?」
「………………」
アレスはディアナの全身を確認する。
「ボクは首まで絞められたんだ――」
「……そうか。それはご苦労だった――」
「は? それだけ?」
「ああ。姉上は頑丈だからな。首を絞められた程度では死なん」
「…………………………」
「いや、アレス。ディアナお義姉様、かっこよかったぞ?」
「…………………………」
「ふふ、さすがエリスはいい子だね」
「…………姉上はファイにでも慰めてもらえ――」
「アレスはつれないね。
当然ファイには今夜甘えさせて貰うよ――」
しれっと言うディアナに、エリスの顔が赤くなる。
(甘えるって……どういうことだ!?)
「――って、そうじゃなくて!」
エリスの慌てようにアレスとディアナは首を傾げた。
「アレス、お前、カイを逃がしたってどういう意味だよ!?」
「…………」
「それに、さっき言ってたよな?
『四百年前と同じようにはさせない』って――」
エリスは菫色の瞳でアレスの瑠璃色の瞳を真っ直ぐ見上げる。
「“赤龍マルス”って、一体何者なんだ?」
最後まで読んでいただきありがとうございます!
「……遅くなってすまない。エリス――」
絶体絶命のピンチに駆けつけ、エリスを抱き寄せるアレス!
カイへの冷徹な態度とは裏腹に、エリスを渡すまいと耳元を甘噛みするアレスの独占欲と甘すぎる仕草、いかがだったでしょうか……?
そして、アウレウス・コアを取り込んだカイの狂気に対し、アレスが解き放った『絶対的停止・存在固定』の圧巻すぎる威力!
世界から色彩と音が消え去る『蒼の静謐』の迫力はまさに龍王の貫禄ですね……!
【次回予告:第59話「赤龍マルス」】
「――四百年前と同じようには、させん――!!」
激闘の末にカイを逃がしたものの、激しさを増す『赤龍教団』の不気味な暗躍。
そして、激闘の最中にアレスが口にした「四百年前」という言葉と、「赤龍マルス」という謎の存在。
城へと戻った一行は、防音結界の張られた【奥の間】で、これまで伏せられていた四百年前の歴史を語り始める。
それは、黄金龍と赤龍の対決、そして『龍の巫女』を巡る、あまりにも深く凄絶な過去の記憶で――!?
次回、第59話! 明かされる世界の真相と、交錯する宿命。どうぞお楽しみに!
「アレス様の甘々と無双のギャップが最高すぎた!」「四百年前になにがあったのか気になりすぎる!」と思った方は、ぜひページ下部の【ブックマーク】や【☆☆☆☆☆(評価)】をポチッと押して応援していただけるとめちゃくちゃ励みになります!
次回の更新もどうぞお楽しみに!




