第五話 平和の生贄
翌朝、エリスはリミナ王国オルタディア侯爵家の前にいた。
「僕の名前はリコ。リコ・ヴェルダ。よろしくね」
鷲色の髪と栗色の瞳を持つ、人懐っこい笑顔の青年だった。
「本当はアレス様が直々にキミをオルタディア侯爵家に届けたかったみたいだけど、アレス様の白龍じゃ目立ち過ぎるからね」
リコはそう言ってエリスにウィンクしてみせた。
(ルクサリスにもこんな人間らしいやつがいるのか……)
エリスは、アレスに着せられたアンダードレスの上に、ルクサリスの、しかも龍王アレスの軍服を羽織らされている。
軍服からはアレスの――鉄と油の匂いがした。
その奥に、わずかに残る熱。
昨夜、肺の奥まで満たされたそれが――まだ、抜けない。
「……ッ」
無意識に、息を止める。
――これ以上、思い出すな。
自分に言い聞かせるように、エリスは視線を逸らした。
そのまま、促されるままにリコの緑龍に跨がる。
龍の背に触れた瞬間、
アランだった自分と、エリスである自分を同時に思い出した。
「キミの緑龍は本当にキミに懐いてたんだね。アレス様がキミを連れ去ろうとした時に、何が大変だったかって、キミの緑龍をなだめることだったらしいよ」
「あいつ……」
(最後までオレを守ろうとしてくれたのか……)
「でもね……、キミの緑龍はキミの血を飲みすぎた」
リコの栗色の瞳が一瞬だけ曇る。
「エリス様は龍の階級を知ってる?」
「……階級?」
リコは目を細める。
「黄金、最上級の白・青、上級の黒・赤、下級の緑・茶。そして、例外の紫」
「例外……」
「うん。紫龍はとっても珍しいんだ。僕は今まで生きてきて、二体しか見たことがない。……一体は、昔の戦で死んじゃったけどね」
少し含みがある言い方に、エリスは違和感を覚えた。
リコはふっと笑う。
「まあ、大丈夫だよ」
軽い調子で、何でもないことのように続けた。
「キミは――どこにいても、結局戻ってくるから」
「……え?」
一瞬、意味を測りかねる。
だがリコは、ただ穏やかに笑っているだけだった。
「さあ、着いたよ。……門のところがいいかな、一番『よく見える』だろうから」
リコに促され、エリスはオルタディア侯爵家の正門近くの茂みに降り立った。
「キミは今、戦場に行ってる事になってるからお父さんたちビックリしちゃうかな? それとも、もうアレス様の『贈り物』は届いているのかな?」
全く嫌味がなく、むしろ自分を心配してくれるような口ぶりにエリスは戸惑いを覚えた。
「もし、一人で帰るのが不安なら……。アレス様が迎えに来てくださるまで一緒にいようか?」
「…………いや、いい」
リコの提案に、エリスは首を振った。
「そっか、じゃあ頑張ってね、エリス様。
ルクサリスで待ってるね」
リコはそう言い残すと笑顔で飛び去っていった。
リコの緑龍が飛び去ると、エリスの視界はオルタディア侯爵家の門に掲げられたものに釘付けになる。
「なんだ……、あれは……」
深緑色のオルタディアの家紋を覆い隠すように、厚手の黒い布が垂れ下がっている。
そして門の脇には、王宮から遣わされたことを示す白銀の触れ役が立ち、弔問客を捌いていた。
(……葬式? 誰の……?)
答えは聞くまでもなかった。
自分の肩にかかった、アランを殺した男の外套の重みが、すべてを物語っていた。
「……これは、アランの葬式だ――」
自分の葬列を、殺した男の匂いに包まれながら見送る。その滑稽さに、エリスは乾いた笑いが漏れそうになった。
✕✕✕
同じ頃、リミナ王宮の謁見の間は、死のような静寂に包まれていた。
「――条件は、それだけだ」
広間に響いたのは、凛としていながらも、抗いがたい圧力を孕んだ声。
ルクサリス帝国の使者として立つファイ・キュアノエイデスは、紺碧の髪を揺らし、玉座に座る老王を冷ややかに見据えた。
「貴国がどれ程までに野蛮な大罪を犯し続けていたか……。我がルクサリス帝国は全て承知している」
「な、にを……。き、貴殿が何をもって我がリミナが大罪を犯していると断言している! ルクサリスの若造がー!!」
リミナ王国の大臣たちがファイを罵倒する。
「……若造、か」
ファイは浅葱色の瞳を細め、冷笑する。
(本当に人間という生き物は馬鹿げている……)
「……近年、貴国の労働力と軍事力は不自然なほどに従順だ。本来、誇り高い龍が人間にこれほど容易く膝を折るはずがない」
ファイは嘲笑を浮かべたまま、老王を指差す。
「貴殿らは、一人の少女の血を媒介に龍の精神を汚染し、強制的に支配下に置いている……。それを『密猟』、あるいは『虐待』と呼ぶ事はご存知だろうか?
……彼女自身は、自分の血がそこまで広範囲に悪用されているとは露ほども知らないようですがね」
『密猟』という言葉が出た瞬間、リミナ王は怒りに震え立ち上がった。
「な、何を言っている……? そのような事実はな――!」
「隠し通せると本気で思っているのか? 野生のドラゴンを管理しているのは誰だと思っている? ドラゴンはただ、そこに発生するものではない」
リミナ王国の大臣たちがざわめき立つ。
「そんな野蛮で許されざる行為を、ただ一人の『戦利品』さえ差し出せば、今までの蛮行を全て見逃してやる。と我がルクサリス帝国アレス陛下は仰せだ。
――リミナ王国を我がルクサリスの龍騎士団が焦土にするか、アレス陛下の恩赦を乞うか――選んでいただきましょうか」
ファイの尊大な態度にリミナ王国第一王子カイ・リミナが噛み付く。
「ふざけるな! 密猟など冤罪だ! 彼女を奪う口実に過ぎないだろう!
……父上、このような汚い脅しに乗ってはいけません!」
「汚い? 我らが誇り高きドラゴンを家畜に貶し、利用してきた貴殿らがその言葉を使う資格があるとお思いか?」
「なにを……!」
「では、王子。貴方が彼女の代わりに死んで我々に詫びるか? 貴国には我々ルクサリスに刃向かえる英雄は、もういまい。貴方の命で、この国の罪を雪げるとでも本気で思っているのか!?」
ファイの問いに、カイは言葉を失う。
――答えは、出ている。
出ているのに。
それを、口にしてしまえば。
守るべきものが、すべて壊れる。
エリス一人を選べば、
この国の民が死ぬ。
国を選べば、
エリスが差し出される。
(どちらも、選べるわけがない……!)
喉の奥が焼けるように熱い。
叫びたいのに、声が出ない。
それでも――
(それでも、俺は……っ)
視界が揺れる。
エリスの顔が浮かぶ。
笑っていた顔。
怒っていた顔。
困っていた顔。
守ると、言ったはずだった。
守れると、思っていた。
なのに――
「……っ」
声にならない息が漏れる。
何も言えない。
何も、選べない。
その沈黙こそが、答えだった。
「……それが、貴方の『誇り』の限界だ。愛していると宣いながら、結局は彼女にすべてを背負わせる。――醜い」
「くっ……ああ……っ!!」
カイは拳を床に叩きつける。
砕けたのは石ではない。
自分の中にあった、何かだった。
その背後で、王が重々しく口を開く。
「……契約は、成った。エリス・オルタディアを、ルクサリス帝国へ譲渡する」
✕✕✕
エリスは裏門からオルタディアの屋敷に戻った。
至る所に、弔いの黒い布がかけられ、啜り泣きが響く中、使用人たちは葬儀の準備に追われていた。
その中でアランがかつて使っていた愛剣を見つけ、エリスはゾッとした。
「エ……エリスお嬢様!?」
エリスの姿を見たメイドが悲鳴のような声を上げる。
誰もが、死んだ英雄の亡霊を見たかのようにエリスを凝視する中、養父ヴァルガスの目が、冷たく光った。
「エリス……! これはどう言う事だ!!」
ヴァルガスは無事に戻ってきた娘に安堵するでもなく、息子の死に対し強い憤りを感じ声を荒げる。
ヴァルガスはエリスに近づき、そして、その視線はすぐに、彼女の細い肩にかけられた『漆黒の軍服』へと注がれた。
敵国ルクサリスの、龍王の紋章。
「……なるほど。アランを殺した男に、命乞いでもして肌を許したか。恥知らずな娘だ」
「……ッ!」
エリスの菫色の瞳が理不尽な言葉に悲しみに染まる。
「お義父さま……。アランは龍王アレスに殺されました――」
「そんな事は百も承知だ! この状況を見て、まだそんな事を言っているのか!?」
「……お義父……。申し訳、ございません……」
エリスは身を縮め、細い肩が震えていた。
ただ、安堵して欲しかった。
――ここで、生きていていいと、思わせて欲しかった。
「……エリス、その汚らわしい外套を脱げ。アランの死体が焼却されたというのなら、お前にはまだ『龍の巫女』としての利用価値が残っている。明日からはその部屋から一歩も出るな」
ヴァルガスはエリスの耳元で冷たく囁く。
そんな時、王宮から早馬がやってきた。
「オルタディア侯爵様! 王宮から書状です! 至急ご確認を――」
ヴァルガスは書状を受け取り、目を通す。
そして、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべエリスに告げた。
「喜べ、エリス。穢れたお前でもまだ私の役に立てるぞ……!」
「……なにを……」
「国王陛下より直命だ。お前をルクサリスへ引き渡す。……アランを殺した龍王が、お前を所望しているそうだぞ」
アレスの言った通りになった。
結局、自分の意思などどこにもない。
逃げてきたはずの龍王の腕の中へ――今度は国に押し戻される。
――平和のために。
その名の下で――
差し出される、生贄として。




