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第四話 騎士アランの葬送

 (温かい……)


 微睡みの中、エリスの意識が浮かび上がる。

 

 だが、身体が思ったよりも重い。


 眠っていた、というより――

 深く沈められていた感覚が残る。


 ゆっくり、息を吸う。


 最初に違和感を感じたのは、匂いだった。


 草でも、土でもない。

 鉄と油の匂い――その奥に、甘い熱が絡みつく。

 

(……ここは、どこだ……?)


 革と獣皮、焚かれた香。


 ――だが、その中心にある匂いだけは違った。


 近づいてはいけないはずなのに、

 その匂いを、もっと深く吸い込みたい――

 

 喉の奥が、熱くなる。

 

(……なんだ、これ……)

 

 理屈では拒絶しているのに、

 身体がそれを求めている。


(……おかしい)


 この匂いは――戦場のものじゃない。 

 

 革も、香も、空気も――

 全部が違う。 


(……敵陣……!?)


 エリスはハッと目を開け身体を起こす。

 知らない天幕、知らない場所。


 そして、思い出す。


(オレは……、龍王アレスに――!) 


 刹那、最後に聞いた言葉と、最後に見た瑠璃色がフラッシュバックする。


『次は、暖かい寝台の上で会おう』  


(ここは、龍王アレスの寝台の上――!?)

 

 そして、気がづく。


(拘束されていない……)


 手首も、足首も自由だ。

 鎖も、枷もない。


 視界に入るのは破られた軍服ではなく

 身体に沿うような白いアンダードレス。


「……ッ!」


 それに、龍王アレスとの戦いで擦りむいた腕や脚には治療の跡があった。


(誰かが治療してくれた……?)


 だが、その『誰か』に思い当たる人物は一人しかいなかった。


 ――龍王アレス――。


 その名を思うたびに胸の奥が疼く。



「……目覚めたか」


 まるで、目が覚める瞬間を見計らっていたかのような声音だった。


 その一言だけで、

 張り詰めていた空気がわずかに緩む。


 なのに――


 胸の奥が、強く脈打った。

 息がうまく吸えない。


 視線を上げる。


 そこに立っていたのは、龍王アレスだった。


 鎧を脱いだその姿は、拍子抜けするほど細い。

 華奢にすら見える身体。


 だが――


 目を逸らせない。


 逸らしてはいけないと、身体が理解している。


 「寒くはないか……?」


 場違いなほど穏やかな声音だった。


 ゆっくりと――

 逃げ場を確かめるように、距離を詰めてくる。


 一歩。


 たったそれだけで、

 空気が変わる。


 近づくほどに、あの匂いが濃くなる。


 息を止めるべきなのに、止められない。


 甘く、熱を孕んだそれが、

 肺の奥まで入り込んでくる。


(来るな……)


 そう思うのに、


 足が、動かない。


 恐怖じゃない。

 身体の奥が、熱を持っている。


 ……それ以外の何かに、縫い止められている。


 それどころか――


 もう一歩、近づかれることを――

 拒まなければならないはずなのに、

 どこかで、待っている自分がいる。


「龍王……アレス……。オレをこれからどうするつもりだッ――!」


 エリスは寝台から立ち上がる。

 いや、立ち上がろうとしたが、身体が動かない。

 

 まるで――

 彼を受け入れるために出来ているかのように。


 ここが、本来の居場所だと囁かれているような……。


 胸の奥がまた、熱を帯びた。


「くそっ……」


 そんなエリスの様子をアレスは目を細めて見ていた。


「オレを……! 捕虜にするつもりか!?」


 ……違う。

 拘束されていない時点で分かる。 


「オレは……! リミナ王国騎士団長のアラン・オルタディア――」


「アランは、死んだ」 


 エリスが再び名乗りを上げようとして、アレスがその名を否定した。


「アラン・オルタディアは()が殺した」


「何を――」


「リミナ王国騎士団長のアラン・オルタディアは、ルクサリス帝国のアレス・アルヴァスとの一騎打ちの末……討ち死にした――」


 エリスの菫色の瞳が見開かれ、怒りの色に染まる。


「……と言うことに、なっている」 


「なっているって……、何をふざけた事を――!

 オレは! アランは! ここにいる!!」


 エリスは「アランはここにいる!」と主張するかのように自分の胸を強く叩く。


「では、逆に聞くが……」


 一瞬の沈黙。  

 

「――アランという騎士は、

 いつ生まれた?」


 エリスの心臓が、跳ねた。


「……何の話だ」


「戸籍がない。

 従軍記録も、八年前以前は存在しない」


 淡々と、事実だけを並べる。


「……妙だと思わないか?

 “妹”と“兄”が、同じ場所に一度も現れないことを」


 エリスは、唇を噛んだ。


「……調べさせたのか」


「いいや……。と言いたいところだが、少し調べさせて貰ったよ」


 アレスは、視線を落とす。


 彼女の胸元――

 まだ完全には消えていない、淡い光。


「それに、身体が、覚えていた」


 静かな声だった。


「お前が近くにいるだけで、俺の血が騒ぐ理由をな」


 再びの沈黙。


 長い、長い四百年分の沈黙。


「……迎えに来た。

 何度探しても、見つからなかった」


 アレスは、初めて感情を滲ませた。


「遅れた。

 だが――今度こそ」


 エリスは顔を上げる。


 恐怖よりも先に湧き上がったのは、

 理解できない怒りだった。


「……何を言っている。オレは、アランとして生きた八年を、誰より誇りに思っている!」


 震える声で、言い切る。


「オレは、アランとして、騎士として、血を流してきた」


「だが、それはもう一人のお前だろ?」


 アレスはエリスの菫色の瞳を真っ直ぐ見て告げた。


「お前は、エリスだ――」


 瑠璃色の瞳は焦燥するエリスを見つめる。

 

「俺の、俺だけの――」


 エリスに聞こえるか、聞こえないかの声でアレスが囁く。

 そして、一歩。また一歩とエリスに近寄る。 


(近い、近すぎる。

 これ以上近づくな!)


 エリスは、息を飲んだ。


 なのに。


「……混乱しているな」

 

 低く、確信に満ちた声だった。

 

「呼吸が乱れている」

 

 指摘されて、初めて気づく。

 自分の息が浅く、熱を帯びていることに。

 

「その匂いで、分かる」

 

 アレスは一歩、距離を詰める。

 

「お前が、何を感じているのか」


「逃げたいか?」

「それとも――」

  

 わずかに、口角が上がる。

  

「――それは、俺の匂いだ」

 

「……違う……ッ」

 

 反射的に否定する。

 

 だが――

 

「違わない」

 

 即座に、遮られた。

 

「拒もうとしているのに、身体がついてこない」

 

 まるで見透かしたように、淡々と言う。

 

「違うか?」

 

「……ッ」

 

 言葉が、出ない。

 否定しなければならないのに、

 喉が、うまく動かない。

 

「……少し、だけだ……」


 否定のつもりで口にしたはずの言葉が、

 自分の意思とは裏腹に、熱を帯びていた。 

 

 だが――

 

 それは、否定ではなかった。

 

 アレスの瞳が、わずかに細められる。

 

「そうか」

 

 ただ、それだけ。

 

 それだけなのに――

 逃げ道を、自分で塞いでしまった気がした。


 手を伸ばせば届く距離。

 

 それでも、アレスは触れない。

 触れようとする気配すら、ない。

 

 なのに――


 距離だけが、勝手に詰められていくような錯覚。

 逃げ場が、どこにもない。

 

 見下ろされているだけなのに、

 それだけで、身体の奥がほどけていく。


 力を入れようとするたびに、逆に抜けていく。


 視線を外せない。

 外せば、何かが決定的に壊れる気がした。


 「安心しろ」

 

 一拍、間を置く。

 

「……すぐに、分かる」

 

 だが、それが何を意味するのか――

 理解してしまう自分がいた。

 

「――まだ、何もしない」

 

 そう言いながら、視線だけが絡みつく。

 何もしていないはずなのに、

 それ以上を想像させるには、十分だった。 


 アレスは、しばらく何も言わなかった。


 そして。


「だから、一度お前をオルタディアに返す」


 それは、思いつきではなく――

 既に決まっていたことのように告げられた。


 低く、確かに告げられたその言葉に、エリスの目が見開かれる。


「……は?」


「一度、オルタディアに返し

 今度は『龍の巫女エリス』として、正式にリミナから奪ってやる――」


「――なッ……」


 アレスはニヤリと笑いエリスに告げた。 

 

「お前の居場所を、

 お前自身に選ばせる」


 一歩、距離を取る。


「だが覚えておけ」


 その瞳は、龍王のものだった。


「お前が『アラン』であることを知っているのは、

 この世で、オルタディアの人間と、我がルクサリスの精鋭のみだ」



 逃げ道を与えるようで――

 その実、すべてを塞ぐ言葉だった。


「世界がお前を選ばなくてもいい」


 ほんの一瞬だけ、視線が揺れた。

 それでも、逸らさない。


「――俺は、お前を選ぶ」


 逃げ場を与える言葉のはずなのに、

 それが一番の枷のように響いた。


 アレスは、背を向け天幕を出ようとして足を止めた。


「…………」


「そうだ、言い忘れていた」


 そしてもう一度、エリスに向き合う。


「リミナには、お前が使っていたあの()()()()を『形見』として届けておいた。

 今頃は()()()の親友の王子は泣いているのだろうか――」


「き、貴様ー!」


「ああ、それとも、お前の代わりの死体を用意した方が好みだったか?」


 楽しそうなアレスを見て、エリスは歯を食いしばる。


()()()の死体は、俺の業炎で焼けたことにした――

 せいぜいリミナでは『病弱な龍の巫女』を演じることだな」  


 扉が、静かに閉じる。


 残されたエリスは、怒りに震えていた。

 

 そして、初めて気づいた。


 ここが牢ではない理由を。


 それが、何より恐ろしかった。


 エリスは知らない天幕の中で、初めて理解する。


 ――自分は、

 捕まったのではない。



 

 見つかってしまったのだ、と――

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