【番外編】第二十七・五話 交わらないはずの距離
※本編第二十七話と第二十八話の間の番外編です。
夕暮れの訓練場は、人の気配がほとんどなかった。
西に傾いた光が、長く影を引いている。
乾いた土の匂いと、まだ残る熱。
その中で――
剣がぶつかる音だけが、規則正しく響いていた。
――高い音。
弾かれたのは、カイの剣だった。
「……ちっ」
体勢を立て直しながら、舌打ちが漏れる。
対峙するアランは、変わらない。
呼吸も乱れていなければ、表情も動かない。
「今のは踏み込みが浅い」
「分かってる」
「分かっててやってるなら、もっと悪いな」
「うるさいな」
軽口を叩きながら、再び踏み込む。
距離を詰め、打ち込む。
だが――
止められる。
剣がぴたりと止まる。
それだけじゃない。
そのままさらに一歩踏み込まれる。
菫色のアランの瞳にはカイしか映っていない。
「――……っ」
息が詰まる。
近い。
剣の間合いじゃない。
呼吸が聞こえる距離。
「……やめろ」
「何がだ」
「その距離」
「当てるための距離だろ」
「違う」
即答だった。
理由は、言わない。
言えない。
代わりに、強引に押し返す。
距離を取る。
乱れた呼吸を、無理やり整える。
「……くそ」
小さく吐き捨てる。
アランはそれを見ても、何も言わない。
ただ、剣を下ろした。
「今日はここまでにするか」
「……ああ」
短い返事。
それだけで終わるはずだった。
風が吹く。
熱を奪うように、静かに。
「……なあ」
剣を肩に担ぎながら、アランが口を開く。
「なんだ」
すぐに返る。
視線は逸らさない。
(……ほんと分かりやすいな)
内心でだけ、そう思う。
顔には出さない。
「お前、この後――エリスと会う約束してなかったっけ?」
わざと軽く言う。
何でもないことのように。
一瞬だけ。
カイの視線が揺れた。
「……ああ」
短く肯定する。
それで終わるはずだった。
だが――
動かない。
「なら行けよ」
アランは肩をすくめる。
「婚約者、待たせるなっての」
「……分かってる」
そう言いながらも、視線は逸れない。
まるで、離れる理由を探しているみたいに。
「……アラン」
「なんだよ」
「お前は、いいのか」
「何が?」
「ここにいて」
「……は?」
一瞬だけ、言葉が詰まる。
(……面倒くせぇ)
「オレは王子のお前と違って忙しくないからな」
軽く笑う。
「……そうか」
納得していない顔。
それでも、カイは一歩下がる。
その距離が、やけに遠い。
(……ほらな)
これで終わる。
そう思った。
だが、カイはしばらくその場に立ったまま、動かなかった。
(……行くべきか)
頭では分かっている。
この後、婚約者と会う約束がある。
時間も、場所も、決まっている。
守るべき約束だ。
――それでも。
視線の先には、まだアランがいる。
剣を肩に担ぎ、立ち止まったまま動かないカイを不思議そうな顔で見ている。
(……行くべきだ)
分かっている。
約束がある。
それは、守るべきものも。
それでも――
(……なぜだ)
足が、動かない。
次の瞬間、カイは踵を返していた。
✕✕✕
「――やっぱりやめた」
「……はぁ?」
「エリスとの約束は後日に回すことにした」
「なっ……」
一瞬だけ、アランの眉がわずかに動く。
(……気づいたか?)
いや。
次の瞬間には、もうどうでもよさそうな顔に戻っていた。
「ふーん」
それだけで、深くは追及しない。
興味もなさそうに、視線を外す。
(……そういうとこだ)
胸の奥が、わずかにざわつく。
だが、それ以上は何も言わない。
「……オルタディア侯爵家には後で伝言を送る」
短い伝令。
理由は添えない。
いや――
添えようと思えば、いくらでも作れた。
急務。
報告。
体調。
どれも嘘ではない。
だが、本当でもない。
(……問題ない)
そう判断したのは、自分だ。
だから、迷いはなかった。
✕✕✕
(……助かった)
アランは内心で、静かに息を吐いていた。
正直なところ――面倒だった。
この後、エリスとしてカイと会う。
タイミングを見て離脱しなければならなかった。
カイ本人が側にいれば、それはなおさら難しくなる。
(どうやって抜けるか考えてたとこだったしな)
だから
戻ってきた時は、一瞬だけ驚いた。
だが――
(都合がいい)
それだけだ。
理由は考えない。
興味もない。
あいつが何を優先したのか。
なぜ戻ってきたのか。
そんなものは――どうでもいい。
「……じゃあ、もう一回やるか?」
軽く剣を持ち上げる。
何もなかったかのように。
それが、一番自然だった。
「……ああ」
カイは頷く。
その距離が、また詰まる。
夕暮れの中で。
何も知らないまま。
何も気づかないまま。
ただ一人だけが――
“理由を履き違えたまま”
それでも、選び続けている。
第27.5話(番外編)をお読みいただきありがとうございました!
カイが選んだ選択と、アラン(エリス)の思惑。リミナ王国時代の二人の、噛み合わないまま進んでいく過去の記憶でした。
次回から再び本編へと戻ります。
ここからしばらくは、激動の『カイ侵食編』として、物語が大きく動き出す少しシリアスな展開が続く予定です……! カイの動向、そしてそれがルクサリスの二人にどう影を落としていくのか、ぜひ見守っていただけると嬉しいです。
(※シリアスな展開を乗り越えた先には、しっかり極上のご褒美も用意しております……!笑)
続きが気になると思ってくださった方は、ぜひ★評価やブックマーク、感想などで応援していただけると執筆の大きな励みになります!次回もお楽しみに!




