第二十七話 正しさ
月は、変わらずそこにあった。
夜明け前の冷たい風が、戦場に残された死臭をかき消していく。
血の匂いも、焦げた大地の熱も、すべてが中途半端に残ったまま――ただ、静かだった。
勝利を収めたルクサリス騎士団は、整然と撤収の準備を進めていた。
「今回の変異種は大したことなかったな!」
肩を回しながら意気揚々と本陣に戻って来る『赤』のリュケイオス。
「リュケイオスが戦ってたあのデカブツ、ド派手に吹っ飛んでたもんね」
『黒』のリーベルも軽やかな足取りで戻って来た。
「そーゆーお前のところの変異種も最後は串刺しだったじゃないか」
ガハハと下品に笑うリュケイオスにリーベルもまんざらでもなかった。
「でもさ。正直、今回一番ヤバかったヤツはあの精神攻撃する変異種でしょ?」
リーベルは『青』のファイの肩に腕を回した。
「馴れ馴れしく触るな」
ファイはリーベルの腕を振り払う。
「……今回の変異種は三体で連携を取っていた。
一体ずつであれば私一人で十分だった……。
まぁ、無傷では済まなかったがな――」
ファイは浅葱色の瞳で中央の戦場――エリスが戦っていた場所を見つめた。
✕✕✕
数百の龍たちが一斉に翼を広げる音は、さながら死神が羽ばたく羽音のように、地に這いつくばるリミナの兵たちを震わせる。
「掃討完了。……これ以上、この枯れた地に留まる理由はなし」
軍師ファイの無機質な号令が、静まり返った荒野に響き渡った。
アレスは、白龍の背に悠然と腰を下ろしている。
アレスの吸血によって『毒』を抜かれたエリスは、毅然とした態度でアレスと共に本陣に戻って来た。
だが、白龍に跨りアレスの腕の中に収まると、わずかに体勢を崩し、アレスに預ける形になる。
「……あ……」
数百の龍たちが頭上を飛び立つ。
その中に龍王アレスの白龍の姿も見えた。
カイは、震える指先を虚空へ伸ばした。
叫びたかった。
その女を離せと、彼女は俺の、俺たちのエリスだと――。
だが、喉は焼けたように熱く、声にならない音しか漏れない。
動けなかった。
身体ではなく、思考が。
(……違う)
(あれは、俺の知ってるエリスじゃない)
(だが――)
(エリスは、間違っていない)
息を吸う。
(なら)
(間違っているのは――)
視線を上げる。
(……こっちだ)
崩れた戦場。
転がる死体。
(こんなものが、正しいはずがない)
――その時。
脳裏に浮かぶ。
白い龍。
あの腕。
あの距離。
(……あいつが)
一瞬、思考が止まる。
(……違う)
(あいつ“だけ”じゃない)
分かっている。
――それでも。
(……あいつが、奪った)
『お前は、間違っていない』
カイは、振り返らなかった。
必要なかった。
もう、答えは出ている。
(……大丈夫だ)
小さく、呟く。
(待っていろ、エリス)
ゆっくりと、立ち上がる。
足は、もう震えていない。
(全部、終わらせる)
視線は、まっすぐ前へ。
(お前を縛っているもの――)
握った拳に、力がこもる。
(全部、だ)
その時。
わずかな呻き声が、足元から聞こえた。
「……た、す……け……」
倒れていたリミナの騎士だった。
まだ息がある。
血に濡れた手が、カイへと伸びる。
カイは、その手を見下ろした。
助けを求める、弱い手。
かつてなら、迷わず掴んでいた。
だが――
「……今じゃない」
小さく、呟く。
「今は、その時じゃない」
伸ばされた手を、静かに払いのける。
『それでいい』
“ただ、そう思った。”
騎士の身体が、力なく地に崩れる。
振り返ることは、なかった。
ただ、歩き出す。
その背を、月が照らしている。
月は、ただ等しく照らしているだけだった。
第27話をお読みいただきありがとうございました!
撤収するルクサリス陣営。アレスの腕の中に収まるエリスの姿を見送りながら、カイの心はついに完全に闇へと染まりきってしまいました……。
伸ばされた味方の手を冷徹に払いのけ、「全部、終わらせる」と歩き出すカイ。彼の狂った『正しさ』が、これから物語をどう揺るがしていくのか。
そして次回は、番外編として【第27.5話】をお届けします。
かつてのリミナ王国で、カイが何を信じ、どんな選択をしていたのか――。今だからこそ胸に突き刺さる、二人の致命的な「すれ違い」の記憶です。
カイの歩む道や、次回の番外編が気になると思ってくださった方は、ぜひ★評価やブックマーク、感想などで応援していただけると執筆の大きな励みになります!次回もお楽しみに!




