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400年後、迎えに来た龍王を私は覚えていない 〜男装騎士団長は記憶喪失の龍の巫女でした〜  作者: 玖条 レイナ
本編

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第二十六話 月下の洗礼

 戦場に、音がなかった。


 先ほどまで響いていた咆哮も、剣戟も、悲鳴も――すべてが嘘のように消え失せている。


 ただ、月光だけが静かに地を照らしていた。


 倒れ伏した兵士たちの間を、風が抜ける。


 静寂が支配する戦場の月下。

 アレスに抱きとめられたエリスの身体が、かすかに震えていた。

 

 精神の奔流は、いまだ彼女の内側で毒のように渦巻いている。

 

「……アレス、……オレ、は……っ」


 エリスの呼吸は、明らかに乱れていた。

 浅い息に、菫色の視界が揺れる。


(……消えろ……) 

 

 朦朧とした意識の中で、足元がわずかにふらつく。

 その瞬間。


 腕を引かれ、身体が引き寄せられる。


「……限界か?」


 アレスの低く甘い声。


「だ、大丈夫だっ。問題……、ないっ」


 本当は喉の奥が焼けるように熱い。

 視界の端で、世界が白く滲む。

 立っていることすら、辛い。


「……強がらなくていい。今お前を見ているのは俺だけだ――他の誰にも見せる必要はない」 


 全てを見透かしているような声。


「……っ」


 エリスを見つめる瑠璃色の瞳は、どこまでも冷静だった。


 だが、その手は迷いなくエリスの顎に触れ、わずかに上を向かせる。

 手慣れた手つきでエリスの軍服の襟元をはだけさせていく。

 

 逃げるという選択肢は、最初からなかった。


「……動くな。……すぐに終わる」


(……見られている)


(……関係ない)

  

  

 囁きと同時にアレスはその細い(うなじ)を、まるで宝物に触れるような手つきで指でなぞる。


 ――この手を拒めば、自分は壊れる。そう分かっていた。

 ただ、静かに目を閉じる。


 月明かりの下、その白い首筋に、影が落ちる。


 次の瞬間、カイの耳に、肉を貫く鋭い音と、エリスの抑えきれない吐息が漏れた。


「っ……あ、……。熱い……」

 

 びくり、とエリスの肩が震え、身体が大きく反り返った。


 だが、抵抗はない。


 アレスの黒い外套を握りしめていた指先から力が抜け、エリスの身体は完全にアレスの腕に委ねられていく。


 まるで、それが当たり前であるかのように。


 やがて。


 荒れていた呼吸が、ゆっくりと整い始めた。

 張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


 エリスの身体から、余分な力が抜けていく。


「……もういい」


 低く告げる声。


 アレスがゆっくりと顔を離す。


 指先で、血の滲んだ首筋をなぞるように拭った。


 エリスは、薄く目を開ける。


 焦点はまだ定まらない。

 だが、その視線は、迷うことなくアレスに向けられていた。


 まるで――それが当然であるかのように。


 


 その一部始終を地に伏したまま、カイは見ていた。

 見ていなければよかったのに、瞳を逸らすことさえ許されなかった。


(……何を、している……?)


 理解が、追いつかない。


 あの距離。

 あの仕草。


(……今の声は……)

 

(違う、あれは――)

 


(エリスのあんな声――

 俺は聞いたことがない)


 それになにより――

 

 

(……拒まないのか)

 


 喉の奥が、ひりつく。


(違う……あれは……) 


 否定しようとした思考が、途中で止まる。 


(……いや) 


 違わない。


(自分から……) 


 あの女は。


 あのエリスは。 


 龍王に、身を委ねている。

 


 それが、事実だった。

 


 喉の奥から、笑っているのかすら分からない音が漏れた。 


(……ああ)

 


(そうか)


 

(最初から――)

 


 胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。

 


(俺は、何も知らなかったんだな)



 その時、まるでカイを嘲笑うように風が吹いた。

 


『――見ただろう?』 


 どこからともなく、声がした。 


 優しく。


 静かに。


 寄り添うような声。

 


『あれが、真実だ』


 その声は、まるで自分の内側から響いているようだった。


 カイの視界の端で、月光が揺らぐ。 


『お前が守ろうとしたものは――』 


 言葉は、最後まで紡がれなかった。 


 だが、もう十分だった。 


 カイは、ゆっくりと目を閉じる。



 何もかもが、遠くなっていく。

 


(何を信じればいい……?)


 


(……どうでもいいと、思いたいのに)


 静かに、心が沈んでいく。

 


 月だけが、何も知らないかのようにそこにあった。

 

 月光が、静かに二人を照らしていた――

 まるで、洗礼のように。




第26話をお読みいただきありがとうございました!


精神干渉の残毒に苦しむエリスを抱きとめ、戦場の月下で首筋へ牙を立てるアレス。これぞ龍王陛下の容赦ない独占欲ですね……!


そして、その一部始終を特等席で見せつけられたカイ。

完全に心が崩壊し、ついに内なる『謎の声』に呑み込まれそうになってしまいました。果たして彼はこのまま踏みとどまれるのか、それとも……。


カイの緊迫した情勢や、二人の甘美な繋がりに「ハラハラした!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、ぜひ★評価やブックマーク、感想などで応援していただけると執筆の大きな励みになります!

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