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400年後、迎えに来た龍王を私は覚えていない 〜男装騎士団長は記憶喪失の龍の巫女でした〜  作者: 玖条 レイナ
本編

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第二十五話 鏡合わせの残像

 戦場の中央。


 エリスは最後に残った一体――精神干渉型の狼と相対していた。

 狼が、ゆっくりと首をもたげ、赤く光った瞳でアレスとエリスを交互に捕らえる。


「獲物を見極めているな……」


 アレスが楽しそうにエリスの隣で囁く。


「――狼は弱いやつから狩る。

 つまりオレからだ――」


 エリスがアレスの一歩前に脚を踏み出す。


「グルルル……」 


 エリスの行動に狼は低い唸り声を出す。

 そして、口を大きく開き咆哮する。

 その声が夜空を震わせ、地を這うように広がった。

 その瞬間――


「う、あぁぁああ……っ」


 近くにいたルクサリスの兵士やリミナの兵士が、突然その場に膝をついた。


「来るな……来るな……!」


 何もない空間に向かって剣を振り回す兵士。

 別の兵士は耳を塞ぎ、泣き叫び始めた。


「やめろ……! 頭の中に入ってくるな……!!」


 狼の咆哮は音ではない。

 それは――精神そのものを引き裂く悲鳴だった。


 恐怖が、記憶が、絶望が、無理やり脳裏に流し込まれる。


 兵士たちは次々と崩れ落ちていった。


 だが。


 アレスとエリスだけが、静かに立っていた。


「……なるほどな」


 アレスはクククと喉を鳴らした。


「どうやらこの変異種は、一番見たくない記憶や感情を見せるようだな――」


 アレスはエリスの横顔を一瞥する。


「オレには昔の記憶がない――」


 エリスは淡々と歩き出した。 

 フードの奥で、小さく息を吐く。


 狼の赤い瞳が、ゆっくりと細められた。


『この()()どもは壊れない』


 ならば――


 狼の咆哮がさらに強まる。


 兵士たちが次々と戦意を喪失し、自我を失っていった。


 膝をついて龍王アレスと黒衣の剣士を見守っていたカイの視界も歪んだ。


 燃える王都。

 崩れる城壁。

 血に染まる街。


 そして――


 地面に倒れたアランとエリスの姿。


「……っ……!」


 カイは歯を食いしばる。

 だが膝が震える。


 意識が崩れ落ちそうになる。


 その時だった。


 精神の嵐の中心を――

 カイの目の前を――

 

 一人の影が歩いて行った。


 黒衣の騎士。

 フードの奥から覗く藤色の髪が揺れる。


 狼は追い討ちをかけるようにさらに大きく口を開け、鋭い牙を覗かせる。


『精神干渉が効かない――』

 

 あり得ない。

 狼は咆哮は止まらない。

 精神の奔流が戦場を覆う。

 

 この場で倒れていないのはエリスとアレスだけとなった。


 黒衣の騎士は足を止めない。


「……うるさい」


 静かな声だった。


(……雑音だ)

(こんなもの、オレには――) 


 エリスの菫色の瞳が、わずかに光を帯びる。


 その瞬間。


 エリスの視界が白く染まる。

 空気が歪み、世界が揺らいだ。


 炎の海と砕けた城。

 血と焼ける肉の匂い。


 誰かの悲鳴。


 ――黄金と紫色の龍。


 紫の鱗を持つ、巨大な龍が空を覆っていた。


 

 だがエリスは眉一つ動かさない。


「……だから、どうした」


(こんなものが――何になる)

 

 次の瞬間。

 カイの視界からエリスの身体が消えた。


 正確には、消えたと錯覚するほどの踏み込みだった。


 狼の爪が空を裂く。

 しかしその影はすでに背後にいた。


 銀の刃が閃く。


 ――ザシュッ。


 狼の肩が裂け、黒い血が飛び散る。


 狼が跳び退いた。

 瞳に浮かぶのは困惑。


 精神干渉が通じない。

 理解できない。


 だがエリスは静かに剣を構え直す。


「終わりだ」


 狼が最後の咆哮を上げた。


 精神の嵐が爆発する。


 兵士たちは完全に崩れ落ちた。

 地に伏せたカイですら、顔を動かすことが出来ない。


 だがその嵐の中心を、エリスはまっすぐ踏み込む。


 一歩。


 二歩。


 そして――


 一閃。


 月明かりに照らされた銀の軌跡が、夜を裂いた。

 狼の身体がゆっくりと崩れ落ち、戦場に沈黙が落ちる。


 それを見ていたアレスが、わずかに目を細めた。


「……記憶がなくとも、残るか」


 小さな呟きは、誰にも届かない。

 

 アレスは、剣を収めようとしたエリスの指先が、微かに震えているのを見逃さなかった。

 

 エリスは静かにアレスへと歩み寄る。

 だが、その視界は、先ほど一蹴したはずの精神の奔流に、じわじわと侵食され始めていた。


(……うるさい、と言ったはずだ……。消えろ、偽物の記憶め……!)

 

 脳裏を焼くのは、黄金と紫の龍の咆哮。

 エリスは奥歯を噛み締め、何事もないかのようにアレスの前まで辿り着く。

 だが、安堵した瞬間に、膝の力がふっと抜けた。

 

「――っ」

 

 がくりと揺れた身体。

 倒れるよりも早く、アレスの大きな手がエリスの腰を引き寄せ、その細い肩を抱きとめた。

 

「よくやった。……エリス」

 

 耳元で響く、低く心地よい声。

 アレスは、エリスの黒衣のフードを外すと、返り血を一滴も浴びていないエリスの頬を、慈しむように、そして彼女の意識をこちらへ繋ぎ止めるように強く撫でた。


 エリスはその手の温もりに、吸い寄せられるように目を細めて身を委ねた。

 今この瞬間、自分を現実に繋ぎ止めてくれるのは、この男の体温だけだった。


 ――しかし、その光景を地から見上げるカイの目には、全く違うものとして映っていた。


(今、龍王アレスはなんと言った……?)


『よくやった。……エリス』


 カイの頭の中で『エリス』の名前がリフレインする。


(龍王アレスが呼んだエリスは……、()()病弱なエリスなのか……?

 それとも、別の『エリス』なのか……!?)


 その時。

 雲に隠れていた月が世界を照らした。


 黒衣を脱がされた『エリス』の横顔がはっきりカイの目に焼き付く。


(……っ! あの顔は……!!)


 あの美しくも儚く、それでいて凛とした姿。

 紛れもない。


 あれは、王子(カイ)が恋焦がれたエリスの顔であり、親友(カイ)と唯一無二の親友でもあったアランの顔でもあった。


(……違う)

 

(そんなはずがない)

 

(あれは、アランで――)

 

(じゃあ、エリスは――誰だ……?)


(……分からない)

 

(分かりたくない……) 



 

「……エリス」


 アレスが愛おしそうにその名を呼ぶ声が聞こえる。

 


(さっきのあれは……)


 剣の動き。

 立ち姿。


 全てがアランだった。


 そして、今アレスの腕に抱き寄せられている『エリス』は『アラン』と瓜二つだった……。


 アランとエリスは双子の兄妹だ。


 だから顔が似ているのも納得できていた――。


 だが、エリスは病弱で人前にはあまり出られなかった。

 その変わりにエリスの兄であるアランはリミナ王国騎士団長として、数多の戦火をくぐり抜けていた。


 カイは思い起こす。


(俺は、アランとエリスを同時に見たことがなかった――)


 それに、あの精神干渉の嵐の中を、平然と歩く姿は――


 人間のものではなかった。


(あれは……本当にアラン(エリス)なのか……?

 それとも――全く別の何かなのか……) 

  


 戦場にあって、あまりに美しく、残酷なほどに完成された二人の世界。

 カイは、自分が入り込む隙など微塵もないことを突きつけられ、喉の奥から、笑っているのかすら分からない音が漏れた。

 ――何もかも、間違っていたかのように。


(……俺が、守るはずだったのに) 




第25話をお読みいただきありがとうございました!


精神干渉を「雑音」と一蹴するエリスの無双、格好良すぎましたね……!倒れそうになった瞬間、最高の間合いで抱きとめるアレスの強者感もさすがでした。


そして月明かりの下、ついに気づいてはいけない真実の扉を開けてしまったカイ。「俺が守るはずだったのに」という絶望と共に、完全に闇の底へと突き落とされてしまいました。

また、エリスの脳裏に過った『黄金と紫の龍』の記憶の謎とは――?


物語が大きく動き出すここからの展開も、どうぞお楽しみに!

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