第二十二話 夜の余韻、暁の軍靴(ぐんか)
「アレス……、つがいって、どういう――」
エリスはアレスに抱きしめられながらアレスの喉元――光を帯びた場所に触れる。
「……っ……」
アレスが息を飲む。
「……エリス」
アレスは喉元に触れたエリスの手を握りしめ、エリスの胸元に手を持ってくる。
「共鳴だ――お前の刻印と、俺の刻印が反応している」
アレスは低く呟いた。
エリスの胸元の紋章はまだ淡く光っている。
アレスの喉元の紋章もまた、同じ光を帯びていた。
「共鳴……?」
「エリス……、まだ思い出さなくてもいい――
今はまだ――」
アレスはエリスの細い肩を抱きしめると、優しくベッドに寝かせた。
「……なにを……?」
「……着替えだ――」
アレスは手慣れた手つきで、エリスの純白のブラウスのボタンを外していく。
「はぁ!? ちょっと待て! なぜそうなる!!」
エリスはアレスの手を振りほどこうとするが、吸血の衝撃で痺れた指先は、シーツを掴むことさえままならない。
「……俺が付けた痕を、余計なもので汚したくない」
「……ぁ、まて、アレス……自分で……っ」
「黙っていろ。お前の手では、ボタン一つ留めるのに夜が明ける」
アレスは冷淡に言い放つと、エリスのブラウスやスカートを脱がせる。
「……っ……」
エリスの顔は真っ赤に染まっていた。
(……なんだこれ……怖いのに、逃げたいのに……なんで、離れたくないと思ってる……?)
「なんだ? 俺の前でさんざん着替えてきたんだ、今更恥ずかしがることはないだろう?」
「じ、自分で脱ぐのと脱がされるのは違う……」
剥き出しになる、五度目の刻印。アレスはそこを一瞥し、満足げに鼻を鳴らした。
代わりにかぶせられたのは、淡い乳白色のシルクのパジャマだった。
アレスの大きな手が、エリスの首筋から鎖骨へ、そして胸元へと滑り、一つずつ丁寧にボタンを嵌めていく。
(……っ、なんなんだ。……こいつ、なんでこんな……)
アレスの指先が鎖骨の痕に触れるたび、エリスの肩がビクリと跳ねた。
吸血の熱は、まだエリスの体内に澱のように溜まっていた。
アレスの手によって着せ替えられたばかりの白いシルクのパジャマ。その滑らかな生地が、熱を持った肌をなぞる感触すらも、今はひどく官能的に響く。
「……アレス……っ」
アレスが、ベッドに横たわるエリスの顔の両脇に手をついた。
影が落ち、逃げ場のない瑠璃色の瞳がエリスを射抜く。先ほどまでの冷酷な「龍王」の面影はない。そこにいるのは、己の番を食らい尽くしたいという、剥き出しの欲を抱えた一人の男だった。
アレスがゆっくりと重心を落とし、エリスのパジャマの襟元――吸血の痕が刻まれた鎖骨へと、唇を近づけていく。
二人の距離は、もう指一本分もなかった。
ドンドンドンドンドッドン!
静寂を無惨に引き裂く、激しいノックの音。
「アレス! 緊急事態だ!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ファイの切迫した声だった。
「おーい、アレス。まーだ『お食事中』のところ悪いんだけどね。これ、一刻を争う報告なんだよ」
続いて、リーベルの茶化すような、けれどどこか冷めた声が重なる。
アレスの動きが、ぴたりと止まった。
「……チッ……」
アレスが舌打ちとともに顔を上げると、その表情は、もはや隠そうともしない殺意に染まっていた。
せっかくの番との時間を邪魔された、その苛立ちが――部屋の空気を軋ませた。
「……アレス、……行かないのか?」
エリスが震える声で問いかけると、アレスは乱暴に自分の前髪をかき上げ、ベッドから身を起こした。
だが、そのまま扉へ向かうかと思いきや、彼は傍らにあった毛布を掴むと、エリスの体を首元までバサッとかぶせて包み込んだ。
「……っ、アレス!?」
「黙っていろ。……その格好を、他の男の目に晒す気はない」
アレスは毛布の上から、まるで自分の所有物を包み込むようにエリスを強く押し込めると、不機嫌を全身から漂わせながら扉の鍵を開けた。
「……三秒で説明しろ。内容次第では首を飛ばす」
冷気すら感じるアレスの声に、扉の外にいたファイとリーベルが一瞬たじろぐ。
だが、ファイはすぐに真剣な表情を浮かべ、報告書を差し出した。
「南境で確認された変異種だが……」
ファイが言葉を切る。
「数が増えた」
「……数が?」
「ああ、すでに三体確認された」
「……チッ。一体でも厄介なのにそれが三体だと――」
「このままだと、周辺国に与える影響は甚大だ――」
リーベルが横から口を挟む。
「軍を動かす」
アレスは即答した。
「遠征だ」
アレスたちの話声に、エリスはリミナの記憶がよぎる。
「アレス。オレも行く」
エリスは毛布を引き寄せたまま、立ち上がる。
「当然だ――お前は俺の剣だ。
……置いていく理由がない」
✕✕✕
夜明け前。
ルクサリス帝国城門。
龍騎兵が整列していた。
南境遠征の軍勢が、静かに出陣の時を待っている。
龍騎兵の前に漆黒の外套を身に纏った龍王アレスと、その隣にアレスと同じ漆黒の外套を纏ったヴァイオレット・レイスこと、エリス・オルタディアが並び立つ。
「皆も承知の通り、南部国境付近で変異種が確認された。三体だ。
我らが行く理由は一つ――
帝国の民に牙を向けた愚物を、この世から消すためだ!」
アレスの言葉にルクサリスの精鋭たちが応える。
「今回の作戦は五天星の『青』、キュアノエイデス卿によるものだ」
その言葉とは裏腹に――
先の西部渓谷での戦いを知る者たちの関心は、隣に立つエリスへと集まっていた。
ファイから作戦の説明が終わり、いよいよ出陣するのみとなった。
「今回の遠征はファイ、リーベル、リュケイオスを連れて行く――」
アレスは五天星の三人を指名した。
「リコ、サトゥル。……留守は任せた。
留守の間、帝都に湧く羽虫共を掃除しておけ」
「はっ!」
リコとサトゥルは深々と頭を下げる。
「今回エリス様と同行出来ないのは残念だけど、応援してるよ! エリス様」
「はは、応援ありがと。リコ」
リコが花が咲くような笑顔で言うと、エリスもつられて微笑んだ。
だが、その温かなやり取りを遮るように、アレスの視線がリコを冷たく射抜く。自分の番が他人に向けた笑顔すら、彼は許せないらしい。
「エリスちゃん、今回もよろしくね」
リーベルが手を振り、ファイが目線だけを寄越す。
ファイとリーベルの視線にエリスは寒気が止まらなかった。
「……昨夜はお楽しみのところ、邪魔しちゃったかな?」
リーベルがエリスの耳元でからかう様に囁く。
エリスは平常心を装うが耳朶が赤くなっているのをファイは見逃さなかった。
「おい、リーベル。エリスに無断で近づくな――」
アレスがエリスの肩を引き寄せる。
「おお、怖い怖い。もしかして昨日の事、怒ってらっしゃる?」
悪びれないリーベルをアレスが無言で威嚇する。
そのやり取りに、後方で腕を組んでいたリュケイオスが、苛立ったように舌打ちした。
「ケッ! いつまで仲良しごっこやってんだ!
俺たちはこれから変異種三体を討伐に行くんだぞ!
ちょっとは気合いれろよ!」
「ほう、ルベウス卿は今回の作戦にかなりの思い入れがありそうだな――」
ファイの浅葱色の瞳が、リュケイオスの朱色の瞳を一瞥した。
「……別にっ、そんなんじゃねえ!
ただ、あの女が気に入らねぇ、それだけだ――!」
「ルベウス卿、前回の討伐で美味しいところ全部エリス様に持っていかれたから拗ねてるんだよ」
リコがファイに耳打ちするも「おい! 聞こえてんぞヴェルダ卿!」と殺気だった声が聞こえてきた。
「それでは陛下、お気をつけて――」
リコとサトゥルが再び頭を下げた。
五天星の三人はそれぞれの龍に騎乗する。
アレスはエリスと共に白龍に跨り、ルクサリス帝国南部国境付近へ飛び立った――。
エリスはアレスの腕に抱かれ、故郷を思い浮かべるのであった。
(リミナは――オレが守る。誰にも触れさせない)
第22話をお読みいただきありがとうございました!
いいところ(?)でファイとリーベルの邪魔が入ってしまいましたが、アレスの独占欲(と、エリスの自覚のない複雑な心境)がじわじわと加速しております。
ですが、そんな甘い夜の余韻を切り裂くように、南部国境にまさかの変異種が3体出現。物語はここから、一気に緊迫の「変異種討伐編」へと突入します。
次回、第23話「蹂躙の幕開け」。
エリスの故郷であるリミナ王国が地獄と化す中、ついに戦場に『龍王』が降臨します。アレスたちが一体どんな蹂躙を見せるのか、そして隣に立つエリスを見たリミナ側は……?
物語の歯車が大きく動き出すここからの展開、どうぞお見逃しなく!
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