第二十一話 番の共鳴
城に戻るなり、アレスは迷いなく私室へ向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと待てアレス!」
エリスが慌てて後を追う。
その時だった。
「あれ? 二人とも今お帰り?」
廊下の角から、にやにや笑うリーベルが現れた。
その隣で、ファイが頭を抱えていた。
ファイの興味深げな視線がエリスの首元を見つめ、リーベルの舐めるような視線が足元を覗く。
エリスは俯き、オーバースカートを両手で握りしめ、アレスから与えられた「羞恥」に耐えていた。
「ヒュ~。アレスもなかなかやるじゃないか」
「私室以外では『陛下』と呼べ、リーベル」
リーベルの楽しそうな声とファイの窘めるような声が聞こえる。
「リーベル、お前の助言役にたったぞ」
アレスはドヤ顔で、俯くエリスの肩に手を回す。
そのまま何事もなかったかのように、二人の前を通り過ぎた。
✕✕✕
城下町の喧騒が嘘のように、皇帝の私室は静まり返っていた。
「アレス! これじゃあ悪目立ちじゃないか!」
静寂を破ったのはエリスの悲痛な叫び。
「いいではないか。『痕』を隠したかったのだろ?」
ニヤリと笑うアレスに、エリスは「もっと違う隠し方があっただろう!」と怒りを向ける。
「……なるほど、例えばどんな方法がお前の好みだったんだ?」
アレスは優しく、しかし支配的にエリスに迫る。
「た、例えば、軍服みたいな襟がしっかり首を隠す服を用意するとか……。こんなスカートじゃなくてスラックスを用意するとか……!」
エリスはオーバースカートを両手で広げて見せた。
右足には銀色のアンクレットがキラリと光る。
「そもそも、なんでこんなヒラヒラな服を用意したんだ! オレへの嫌がらせか!?」
「……お忍びの偵察だと伝えただろ?
それに、俺がお前のその姿を見たかったんだ――」
「はぁ!? な、なんだよそれ!
そんなのまるで――」
「恋人みたい……か?」
アレスはエリスの前まで近づくと、細長い指でエリスの顎を持ち上げた。
「……っ! こ、恋人ごっこはさっき終わっただろ!?
なんだ!? また好きだの愛してるだの言ってほしいのか!?」
「なるほど、それは名案だな――」
どんどんアレスに追い詰められたエリスはベッドの縁に脚をぶつける。
(……っ! 逃げ場がない……!)
「エリス……」
名前を呼ばれた瞬間――
気付いた時には、エリスはベッドに組み敷かれていた。
エリスの菫色の瞳が、至近距離でアレスの美しく整った顔を映し出す。
「アレス――!」
「なんだ? 続きはしないのか――?」
アレスは瑠璃色のオーバースカートを乱暴に、だが愛おしむように掻き分けた。
「……っ!」
剥き出しになった足首で、細い銀のアンクレットが月光を反射して震えていた。
「恋人としてなら――優しく噛んでやってもいいんだぞ?」
アレスの挑発にエリスがキッと睨み返す。
「そんな優しさなんていらない――。
……それでもオレは、お前から目を逸らさない」
「……ッ!」
エリスの言葉に、一瞬アレスから動揺の色が浮かんだ。
(覚悟が足りなかったのは、どうやら俺の方だったようだな――)
だが――次の瞬間には、いつもの龍王の目に戻っていた。
「ククク。……いいだろう、エリス――
望み通り、俺の牙の痛みをお前の身体に刻んでやろう」
そう言うと、アレスの熱い吐息が、チョーカーの冷たい銀細工を越え、純白のブラウスの襟を乱暴に掻き分けた。
月光の下、剥き出しになったエリスの白い鎖骨。そのすぐ下で、彼女の鼓動が、恐怖と高揚に脈打っている。
「エリス……。お前の望む通り、俺以外の誰にも見ることが出来ない場所に『印』を刻んでやる――!」
アレスはチョーカーに指をかける。そのまま少し下へ指を滑らせる鎖骨のくぼみに触れる。
アレスが舌を這わせ、鎖骨の窪みをなぞり上げた瞬間、エリスは声にならない悲鳴を上げた。
「っ……、アレス、そこは……!」
「……静かにしろ。鎖の音が聞こえないだろう――」
チリリ。アンクレットが再び鳴ると同時に、アレスの牙が、エリスの白い鎖骨へと、容赦なく、けれど甘美に突き立てられた。
「……っ、……ぅ、ああ……ッ」
その瞬間――
――五度目の刻印。
その瞬間、エリスの視界が白く爆ぜた。
エリスの左胸の上部に浮かび上がった龍の紋章が、これまでにないほど強く光を放つ。
それに呼応するように、アレスの喉元からも激しい光が漏れ出す。
いつも重厚な軍服で隠されていたアレスの紋章。
――シャツの隙間から覗く彼自身の紋章もまた、激しい光を放ち始めた。
光がぶつかり合った瞬間、空気が軋んだ。
チョーカーの銀細工が光を弾く。
まるで、二人を繋ぐ鎖のように。
エリスは、その共鳴の渦の中で――
意識を引き裂かれるように、あの少年の声を聞いた。
『エリス、お前を――』
それは少年の声であったが、酷く大人びた声だった。
その瞬間、世界が赤く染まる。
赤い空、真っ赤な大地。
崩れ落ちた王宮の旗が、炎の中で燃えている。
(オレは……、この光景を知っている……?)
炎の中に、一人佇む白髪の少年。 見知った瑠璃色の瞳が、悲しみに揺れていた。
『いいよ――』
少女の声。
『いいよ。アレス様がそう言うならいいよ』
『エリス……』
『だって私、アレス様のことが――』
(……この声は……過去のエリス?)
「ッ……はぁ……、はぁ……、はあぁっ……」
エリスはアレスの吸血により呼吸が乱れ、菫色の瞳から涙が流れた。
(身体が熱い――。なんだこの感覚は――?)
「エリス……」
アレスはエリスの顔を覗き込む。
「あれす……アレは……」
(オレは昔……、お前と会ったことがあるのか――?)
「エリス、何を見た?」
(思い出したのか……?)
アレスは優しくエリスの藤色の髪を撫でる。
「分からない……」
「そうか……」
(いや、まだか――)
アレスは恋人にするように、エリスをやさしく抱き寄せた。
(アレスの喉元……、光が……)
「思い出さなくてもいい」
アレスはエリスを強く抱き寄せる。
「お前は最初から――俺の番だ」
低く――抗うことすら許さぬ、確信に満ちた声だった。
その言葉に、抗う理由を――エリスはまだ、見つけられなかった。




