第二十話 上書きされる婚約者
リーベルとリコを、射殺さんばかりの眼光で追い出した後。
部屋には再び、刺すような沈黙が降りた。
エリスは耳まで真っ赤にし、必死に右足首の裾を引っ張って「痕」を隠そうとしている。
「……今さら何を動揺している」
「…………ッ! あんな、あんな言い方をされたら……っ」
「事実だろう。お前は俺と契約し、俺に血を捧げ、俺の部屋にいる」
アレスは事も無げに言うと、パチンと指を鳴らした。
すると、まるで待機していたかのように、メイドたちがワゴンを押し入れ、テーブルに豪華な朝食を並べ始めた。
「飯だ。……お前もまだ食べていなかっただろう」
「……。ああ……そういえば」
緊張が解けたせいか、エリスの腹が小さく鳴る。
「……お前、朝からこれを手配していたのか?」
「俺の『剣』が空腹で錆びては困るからな。……さあ、食え。それから――」
アレスは、食事の準備をするメイドに目配せして、一つの包みを受け取った。
「食事の前にその泥臭い軍服は脱げ。これを着ろ」
「……これは?」
「言っただろう? この後予定がある――と」
✕✕✕
メイドによって着替えさせられたエリスは、純白のブラウスに瑠璃色のオーバースカートを纏った姿でアレスの前に戻ってきた。
「なかなか似合うではないか」
「……そりゃどーも」
アレスは食卓の椅子を引き、エリスは優雅に座った。
その所作は、宮廷貴族すら霞むほどに洗練されていた。
「……ほう。そんな振る舞いもできるんだな」
アレスが皮肉げに、だがどこか感心したように目を細めた。
「ふん、当然だ。オレを誰だと思っている!
リミナでは王子の婚約者として、王妃教育も受け終わっているんだ」
エリスは少しだけ胸を張り、ドヤ顔で言い放った。騎士アランとして振る舞う時とは違う、貴族として育った高貴さがその表情に宿る。
「……リミナの王子のことは、どう思っていたんだ?」
アレスの声が、わずかに低く沈んだ。瑠璃色の瞳に、冷ややかな独占欲が兆す。
「ん? 好きだったぞ!」
エリスのあっけらかんとした答えにアレスの時が止まった。
「……だけど、その好きは『アラン』としての感情だな――」
エリスは目線を伏せ、パンを口に入れる。
「『アラン』にとってカイ――、リミナの王子は親友だった。
カイは『龍の巫女・エリス』に対しても優しかったけど、どこか余所余所しいっていうか、『アランの妹』としての接し方だったな」
「……そうか……。では、エリスとしては好きだったのか?」
アレスはエリスの話が終わると、温野菜と冷製肉を口に運んだ。
「……正直分からん。お前と違って痛いことはされなかったけど……。『エリス』としてカイと会っても楽しくはなかったな」
「……楽しくない、か――」
「そりゃそうだろ。
ご機嫌伺いの会話、アランの話、あとは何だったか……。とにかく上辺だけの会話で正直苦痛だった」
エリスが自嘲気味に笑うと、アレスはふっと口角を上げた。
「上辺しか見せぬ王子か。……ならば、俺がその奥底まで暴いてやった甲斐があったというものだ」
アレスはナプキンを置き、立ち上がると、エリスに手を差し伸べた。
「行こう」
エリスはアレスの手を取る。
「……どこへ?」
「この後予定があると言っただろう。
城下町に視察に行くぞ」
✕✕✕
城門を抜けると、そこにはルクサリス特有の活気が溢れていた。
石畳の道には露店が並び、香辛料や焼きたての菓子の匂いが混ざり合って鼻腔をくすぐる。
『これはお忍びの視察だ』
アレスの言葉が蘇る。
エリスは不慣れなオーバースカートの裾を気にしながら、隣を歩くアレスを盗み見た。
前髪を少し崩し、黒いベルベットのジャケットを纏った彼は、軍服の時とは違う、鋭利な刃物を鞘に収めたような静かな威圧感を放っている。
「……護衛はつけなくていいのか?」
エリスはアレスにコソッと耳打ちする。
「お前がいれば護衛など必要ない」
「なっ!」
エリスの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「で、でもオレ、今、剣を持ってな――」
アレスはエリスの唇に指を置く。
「お前は剣がなくても強い――」
「な、な、な……!」
エリスの顔は、もはや瑠璃色のスカートが霞むほど赤く染まっていた。
(なんだコイツ、なんでこんなに機嫌がいいんだ!?)
「エリス、さっきも説明したが、お前はもう王子の婚約者ではない。
今の俺たちは、どこぞの貴族の婚約者の設定だ――」
動揺しているエリスをよそに、アレスはエリスの指に自分の指を絡める。
「ひっ!」
「……そんなかわいらしい声を出すな。俺たちは愛し合っている設定だ」
「あ、アレス……」
「なんだ、愛しのエリス」
アレスは瑠璃色の瞳を細めてエリスを見る。
そんなアレスの視線に耐えきれず、エリスの視線はキョロキョロと泳ぐ。
「エリス、そんなに挙動不審だと逆に怪しまれるぞ。
お前はリミナで『アラン』と『エリス』を完璧に演じていたんだろ? ここでも俺の恋人を完璧に演じてみせろ」
「…………!」
アレスの言葉にエリスは指を握り返す。
エリスは瞳を閉じて覚悟を決めた――
「……そうね、愛しているわ、アレス――」
一瞬の静寂。
エリスの菫色の瞳が、まっすぐアレスを捕らえる。
その視線を受けて、アレスの瑠璃色の瞳が、わずかに揺らいだ。
そして――
「ククククク……。似合わないなエリス」
アレスはエリスと繋いでいない方の手で両目を覆い天を仰いだ。
「なっ! 人が一生懸命なりきってやったのに……!!」
エリスがプリプリ怒っている横で、アレスは横目でエリスを見る。
頬を赤く染めて怒るエリスがあまりにも愛おしく感じた。
(……今のは危なかった――。
このままでは、衆目も忘れて押し倒しかねん……)
「エリス、お詫びにあの店で装飾品を買ってやろう――」
アレスが指差したのは色とりどりの布地や宝石が並ぶ、ひときわ華やかな一角だった。
「リーベルが『痕を隠せ』と言っていたな。……俺が選んでやる。お前に相応しい、俺とお前の鎖をな」
「……す、好きにしろ!」
エリスが半ば自暴自棄に叫ぶ。
アレスは怒るエリスの肩を引き寄せると、城下でも一番高価な装飾品を扱う店に入る。
店に入るなり、アレスは店主が差し出す安物を一瞥して切り捨てた。
「……そんな安物ではない。この女の肌を、一生離さぬほどに馴染むものを持ってこい」
まず選んだのは、幅広の黒い革に細かな銀細工が施されたチョーカー。
アレスが自らエリスの背後に回り、その白いうなじに指を滑らせながらカチリと留め金を嵌める。
熱を帯びたエリスの首筋に、冷たい銀細工が触れた。
「……これで一つ。お前の喉を鳴らすのは、俺だけでいい」
エリスが顔を赤くして固まっていると、アレスはさらに店の奥から、細い、けれど複雑な鎖のアンクレットを手に取った。
「おい、アレス! 首だけで十分だろう!」
「黙れ。……跪けとは言わん。俺が膝を折ってやる」
衆人環視の中、変装しているとはいえ、皇帝が一人の女の足元に跪き、スカートの裾を少し持ち上げてアンクレットを嵌める。
「あんなに美しい男が、一人の女性の足元に跪くなんて……」
店にいた複数の客たちは二人のやり取りに息を呑み、見惚れていた。
「……これで二つ。お前がどこへ歩もうと、この鎖の音が俺を呼ぶ」
「…………」
(こんなの、カイから、リミナ王子の婚約者だった時ですらされたことがない……)
(――上書き、されている)
エリスは無意識に、そう理解していた。
絶句するエリスをよそに、楽しげに笑うアレス。
「痕をつけるたびに、増えていくな」
チョーカーの銀細工に触れ、アレスが耳元で囁く。
「……次は、どこを上書きしてやろうか――?」
ここまでお読みいただきありがとうございました!
ついに二人で城下町デート(?)回でした。
城内とはまた一味違う二人の距離感や、アレスの思わぬ行動など、楽しんでいただけていたら幸いです。
もし「ここが好き!」「アレス、お前……!」など思っていただけましたら、ぜひ感想や評価(★)などで教えていただけると、執筆の大きな励みになります!




