第十九話 無自覚な誇示
しばらくして。
「……だ、大丈夫だ。問題ない」
アレスの問にエリスは短く答えた。
エリスの菫色の瞳が、アレスの瑠璃色の瞳をまっすぐ見つめていた。
「……そうか。無理はするなよ」
アレスが立ち上がり、無造作に上着を脱ぎ捨てると、部屋の隅にある大きな執務机に向かった。
「ここで仕事するのか?」
エリスも立ち上がる。
「ああ。この後予定があるから早く片付けたい。
それに、お前がここにいるなら、俺もここにいる」
「……オレだって別に、ここにいたくているわけじゃ……」
「何か言ったか、エリス」
「……別に……」
皮肉げに笑うアレスだが、その目はどこか満足げだ。
静寂の中に、ペンが紙を滑る音が響く。
しばらくしてエリスが口を開く。
「……アレス。オレは何をすればいい?」
エリスが若干ふてくされた顔でアレスを見つめた。
身体を動かせない苛立ちが、胸の奥に溜まっていた。
ルクサリスにおいてエリスはアレスの管理下にある。
そうやすやすと「騎士として腕を磨きたい」などと言える状況ではないこともエリスは理解していた。
「……なんだ? 暇なのか?」
「そ、そりゃあそうだ。こんな部屋に幽閉されて、騎士としての本分も果たせない――」
「エリス、お前の本分はそこではない」
「はぁ? なにを言っている!」
アレスはペンを置き立ち上がると、エリスとの距離を詰める。
「お前は俺の――」
わずかな間。
「俺の目の届く場所で、ただ生きていればいい」
「それ以外は、俺が決める」
「…………ッ!」
エリスの菫色の瞳が揺れる。
「それがそんなにイヤなら、ずっと俺のお飾りになっていてもらってもいいんだぞ?」
エリスは歯を食いしばる。
(いいヤツかも、と思ったオレがバカだった――。
コイツはどう転んでも『龍王アレス』その人なんだ)
「……だが、そんなお前に朗報だ」
「朗報……?」
「また例の変異種が出た」
「変異種ッ……! 場所は!?」
「……場所は……、ルクサリスの南側」
「南?」
「ああ、リミナ王国との国境付近だ――」
「リミナ……だと!?」
エリスは目を見開き、アレスの襟に掴みかかる。
「なぜそれをもっと早く言わないッ!」
「――まだ情報が未確定過ぎる。
未知の戦力のまま討伐に向かえば我らルクサリスの精鋭たちが無駄死にするだけだ」
「ッ! でも!」
エリスの顔から血の気が引く。
騎士団の仲間、守ってきた民。彼らの顔が脳裏を過る。
「エリス、お前は誰の剣だ――?」
「お、オレは……」
エリスはアレスの襟から手を離しよろめく。
「オレは……。あ、アレスの、剣……です」
「そうだ、いい子だ。エリス」
アレスは瑠璃色の目を細めてエリスの腰に手を添え、抱き寄せる。
そして――
「それにな、リミナには――」
わずかな間。
「『アラン・オルタディア』に鍛えられた精鋭たちがいる」
エリスの耳元でアレスが甘く囁く。
「……お前が育てた騎士たちだ、忘れてもらっては困るぞ?」
「っ!!」
エリスは菫色の瞳が再度大きく見開く。
「アレス……」
アレスはエリスを離し、エリスから顔を背ける。
「お前の傷もまだ完治していない。
そんな状況でまともに討伐も出来まい」
「……それって――」
(傷口が完全に塞がるまで遠征を待ってくれるという意味か――? だけど、それでは!)
「アレス。それでは遅すぎる――!」
必死に縋るエリス。
その時、コンコンと控えめだが急かすようなノックの音が響いた。
「アレスー。さっき報告し忘れたことがあったから来ちゃったけど……あ、もしかして、今『いいところ』だった?」
扉の隙間から、リーベルがニヤニヤしながら顔を覗かせる。その後ろには、苦笑いをしたリコの姿もあった。
「……メラン卿にヴェルダ卿――」
エリスが二人の名前を呟く。
「え? 俺の名前覚えてくれたの? 嬉しいなぁ。
俺のことはプライベートでは『リーベル』って呼んでよ」
漆黒の髪をなびかせて、リーベルはエリスに手を振る。
「……エリス様。僕のこともいつもみたいに『リコ』って呼んで下さいよ! 僕はこの名前がとっても大好きなんだから!」
リコはチラっとアレスを見やる。
「リーベル、リコ。要件は手短に済ませろ!
俺とエリスの時間を邪魔するな」
リーベルとリコは視線を合わせる。
(いつもエリス様を独占してるくせに……)
(こーゆー時に器の狭さが出ちゃうんだよな〜)
「おい、お前ら。今、不謹慎なことを考えただろう……」
「いやいや! そんな滅相もない!」
リーベルが全力で顔を横に振り、リコもそれに同意する。
「まぁいい、迅速に報告しろ」
アレスの号令でリコがアレスに書類を渡す。
「ファイに考えてもらった変異種の対処法だ。何通りか考えてもらったから、どれかは通用するはずだ」
リーベルの報告にアレスは書類に目を通した。
「なるほど、さすがファイだ――。後でゆっくり目を通す」
アレスは書類をエリスに渡す。
「これ、オレも見ていいのか……?」
「何を言っている。この作戦はお前抜きでは考えられん。
ファイの作戦には全てお前が織り込み済みだ――」
アレスの言葉にエリスの菫色の瞳が輝く。
それをアレスは「うんうん」と頷きながら愛でるのであった。
「ところでさ、さっきから気になってたんだけど……その右足首の『痕』、アレスが付けたんでしょ?
いやぁ、皇帝陛下の独占欲をそんなに見せびらかされちゃうと、俺らも目のやり場に困るっていうかさ。
作戦会議の前に、ちゃんと隠してあげなよ。それとも、わざと『俺の女だ』って宣伝してる最中だった?」
「なっ! これはオレとアレスの契約で……!」
エリスは顔が燃え上がるような錯覚を覚えた。
「へぇ~、アレスとの契約」
リーベルは一層エリスを煽る。
リーベルの煽りに右往左往するエリス。
そんなエリスに憐れみの目を向けるリコ。
だが、その背後でアレスは否定するどころか、獲物を誇示するような不遜な笑みを浮かべ――まるで当然のようにそれを肯定していた。
――隠す気など最初からないと言わんばかりに。
――自分は今、この男にどんな「烙印」を押されているのか。
それを思い知り――
――否定できなかった。




