第十八話 皇帝の独壇場
朝議の間。
五天星の面々が、あからさまに戸惑いの視線をアレスに投げている。
理由は分かっている。
昨日、アレスはこの場で「今後、全ての軍議にエリス・オルタディアを同席させる」と宣言したばかりだったからだ。
だが、今、ルクサリス皇帝の隣にある椅子は空席のままだ。
「……陛下。昨日の御言葉では、これから毎日エリスちゃんが軍議に加わるんじゃなかったでしたっけ?」
リーベルがからかう様に口を開いた。
それに続くように、リュケイオスが退屈そうに鼻を鳴らす。
「おいおい、陛下。まさか一晩であの女に飽きでもしたのか?
それとも、昨日のハデな立ち回りは見せかけで、今頃腰でも抜かして寝込んでるってのかよ」
リュケイオスは「ガハハッと」下品に笑う。
「でも、エリス様がいらっしゃらなくて一番安心してるのルベウス卿なんじゃないの?
だって、昨日のエリス様本当に凄かったんだから!」
リコが口を挟む横でサトゥルも首を縦にする。
「……クッ! 言ってろ!」
リュケイオスは大きな溜息をつく。
「あーあ、俺も愛しのエリスちゃんの活躍見たかったぜ」
リーベルの軽口にアレスの眼光が光った。
「メラン卿、軽口は慎め――」
リーベルをファイが注意する。
リーベルは「なんで俺ばっかり……」とブツブツ文句を言うのであった。
「エリスは昨日の戦いで負傷した。……俺の許可なく、一歩も動くことは許さん。奴の体調と安全を管理するのは、指揮官である俺の特権だ」
アレスは不機嫌に告げる。
「……でもよぉ陛下、昨日は足首のかすり傷程度だったんだろ? 軍議に参加できねぇほどじゃあ――」
リュケイオスが再び言葉を重ねようとした。
アレスは肘掛けを指先で叩く。ピキリ、と大気が鳴り、リュケイオスの眼前が薄氷に覆われた。
「……俺にとっては、かすり傷ではない」
一言ずつ、刻みつけるように言い放つ。
「俺の剣に傷がついた。――それだけで十分だ」
「……それとも、何か? お前たちは俺の判断に異を唱えるほど、今のルクサリスが盤石だとでも言いたいのか」
場は水を打ったような静寂に包まれた。
リュケイオスは舌打ちすら飲み込む。
誰もが理解したのだ。
皇帝にとって、あの女の足首についた小さな傷は、国家の情勢よりも重い「緊急事態」なのだと。
「……朝議を始める。昨日の討伐結果と地脈の変動、手短に報告しろ。俺は忙しいんだ」
昨日の宣言など、知ったことか。
あいつは今、俺の匂いに包まれて眠っている。
――俺がつけた「痕」を残したまま。
それだけで、胸の奥が焼け付くように軋んだ。
一刻も早く、あの部屋へ戻らねばならない。
「……では、昨夜の討伐結果の確認だが――」
(エリスは、まだ寝ているだろうか)
(少し、血を吸いすぎたかもしれない……)
「……アレス。ちゃんと聞いていたか――?」
その時、ファイが耳元で囁く。
「当然だ」
「なら、ちゃんと集中しろ」
ファイが小声で窘めるのだった。
✕✕✕
朝議が終わり、アレスは私室に戻ろうと席を立つ。
そこにリーベルとリコがやってきた。
「……陛下、お時間ちょっといいですか?」
「……俺は急いでいる」
「それってさ、エリスちゃん絡み?」
「なっ、おいリーベル。何回言えば分かる。
エリスを馴れ馴れしく呼ぶな!」
(エリスちゃん/様絡みか……)
二人は同時に溜息をつく。
「アレス陛下、今日俺たちの話ちゃんと聞いてました?」
「……ちゃんと聞いていた」
リーベルとリコは顔を見合わせる。
「陛下ぁ。エリス様に早く会いたい気持ちは分かるけどさ、僕たちの話も聞いてよぉ」
「……リミナ周辺の情報だ。他のヤツに聞かれたくないだろ――」
アレスは渋々席に戻る。
そんなアレスを横目に、ファイは会議場を後にするのであった。
✕✕✕
アレスはリーベルとリコからの報告を反芻していた。
『リミナ王国の国境付近で、また魔獣の変異種が確認された――』
『リミナの国境だから、どうするか陛下に判断を任せたい……』
リミナ王国。
そこは、エリスが十年を過ごした国だ。
(エリス……)
アレスは部屋でまだ寝ているであろう騎士に思いを馳せる。
そんな時、アレスの私室の方角から姉・ディアナとファイが歩いて来た。
「やぁ、アレス。ごきげんよう」
ディアナはアレスに手を振る。
「……姉上、なぜ俺の私室の方角から歩いてくる。
姉上の離宮は反対側のはずだが……」
アレスはディアナを睨みつける。
「ファイ!」
アレスの声にファイが「やれやれ」と肩をすくめた。
「……アレス。ああいう傷口には包帯を巻いたほうがいいぞ。
……それとも見せつけているのかい?」
ディアナは嬉しそうに琥珀色の瞳を細めた。
「……ッ!!」
アレスの瑠璃色の瞳がカッ!と見開かれる。
「ファイ……!」
「ディアナの独断だ。私は彼女を迎えに行っただけだ」
「…………」
アレスは無言で二人を通り過ぎる。
「おやおや」
ディアナはすれ違うアレスを面白そうに見つめていた。
「面白いね」
「何が……」
「アレスだよ」
ディアナは琥珀色の瞳を細め、ゆっくりと笑みを深めた。
「あれは――理性が本能に押されている顔だ」
「……まだそこまでは」
「いいや、時間の問題だ」
✕✕✕
アレスは私室のドアを勢いよく開けた。
そこには、ベッドにちょこんと座り、手持ち無沙汰でアレスを待っているエリスがいた。
「……朝議は?」
「終わった」
「……そうか……」
少しの沈黙。
「アレス」
「エリス」
二人は同時に名前を呼びあった。
再びの沈黙。
先に口を開いたのはアレスだった。
「エリス。ディアナに何か言われたか」
「……別に」
アレスの瑠璃色の瞳がエリスの菫色の瞳を見る。
「そうか……。
あいつの言うことは気にするな」
少し間。
「あれは、面白がっているだけだ」
「……分かってる。
それよりアレス――」
(お前がオレから離れるのは契約違反じゃないのか――)
エリスはこの言葉を飲み込んだ。
「なんだ?」
「いや、何でもない」
(オレは今、何を言おうとした――?)
――戦場でも、それ以外でも、俺の側から一歩も離れぬことだ。
これはエリスが戦場に出る為に、アレスが定めた契約の一つ。
(べ、別にアレスがオレから離れてなんの問題がある! むしろ何もないじゃないか!)
そんなことを考えていると、アレスが自然に跪いた。
そしてエリスの足首に触れる。
「まだ痛むか」
「……っ」
それは、王の視線ではなかった。
――番を確かめる、龍の目だった。
逃がすつもりなど、最初からない。




