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第十七話 観客 

 ――眩しい。


 瞼の裏に差し込む光で、エリスはゆっくりと目を開けた。

 

 天井が見える。

 見慣れた……いや、見慣れてはいけない天井だった。


 数秒、思考が停止する。


 そして次の瞬間。


「……っ、ウソだろ」


 エリスは勢いよく起き上がった。


 白い天蓋付きのベッド。

 重厚な家具。

 壁に掛けられた王家の紋章。


 間違いない。


「オレはまたアレスの部屋で寝てしまったのか!?」


 声を押し殺して頭を抱える。


 昨夜の記憶が曖昧に戻ってきた。


 変異種討伐の後、アレスの部屋に運ばれて――

 そして、ケガをした右足からの吸血。


(……そのあと、どうしたんだ?)


 記憶が途切れている。


 視線を巡らせる。


 机の上には整然と積まれた書類。

 壁際には純白の外套。

 

 だが。

 

「……アレス?」


 部屋にも、寝台の隣にもアレスの姿はなかった。

 残っているのは、微かな彼の残り香と、右足首の鈍い痛みだけ。


 そのとき。


 ――音もなく扉が開いた。


 エリスは反射的に振り向く。


 そこに立っていたのは、一人の女性だった。


 アレスと同じ白銀の髪。

 琥珀色の瞳。

 王族の装束を纏った、優雅な姿。


 女性は部屋の中を見回し、そしてベッドの上のエリスを見て微笑んだ。


「なるほど」


 静かな声。


「ここで寝るのがキミの習慣か」


 エリスの背筋が凍りついた。


「……ディアナ、殿下」


「おはよう、エリス。

 ボクの名前、覚えてくれたんだね」


 ディアナはゆっくりと部屋に入ってくる。


 まるで自分の部屋であるかのように。


 いや、実際に王族の部屋なのだから当然なのだが。


 エリスは慌ててベッドから降りた。


「ち、違う! これはその――」


「うん」


 ディアナは頷く。


「違うんだろうね」


 あっさり言った。


 だが、その目はまったく信じていない。


「安心しなよ」


 窓辺に歩きながら言う。


「ボクは口が堅い」


 外の中庭を眺めながら、ふっと笑った。


「アレスは朝議だよ」


「……え?」


「キミを起こさないように出ていった」


 一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。


(あいつ、これから全ての軍議にオレを連れて行くと言っていたのに――!)


 ディアナは肩をすくめる。


「優しい弟だろう?」


「なっ……!」 


 エリスの頬がわずかに熱くなる。

 ディアナはそれを横目で観察していた。


 しばらく沈黙が落ちる。


 やがてディアナが口を開いた。


「人というのはね、エリス」


 ゆっくり振り返る。


「秘密を抱えたときが一番面白い」


 琥珀色の瞳が、まっすぐエリスを射抜いた。


「キミも、アレスも」


 ふっと微笑む。


「とても面白い」


 エリスは言葉を失った。


 ディアナは窓辺から離れ、部屋の中央へ戻ってきた。


「さて」


 軽く首を傾げる。


「キミと話すのは、晩餐会以来かな」


 エリスの脳裏に、あの夜の光景が蘇る。


 帰還の儀の晩餐会。

 ディアナが不意に顎を持ち上げ――


 その瞬間、アレスの空気が変わった。


(……あの時)


 確かに、怒っていた。


 静かに。

 だが、はっきりと。


 ディアナはそのことを思い出したように笑った。


「弟があんな顔をするのは久しぶりだったよ」


「……っ」


 エリスは何も言えない。


 ディアナは面白そうに続けた。


「人はね、エリス。

 守りたいものがあると、驚くほど分かりやすい」 


 琥珀色の瞳が、じっとエリスを観察している。


「アレスは王としては、かなり理性的な男だ」


 肩をすくめる。


「でもキミのことになると、少し違う」


「そんなことは――」


「あるよ」


 即答だった。

 ディアナはゆっくりと歩きながら言う。


「だからボクは興味がある」


 獲物を定めた猛獣のような琥珀色の瞳が、エリスの菫色の瞳を捕らえる。


「キミに」


 エリスの喉がわずかに鳴った。


「……オレはただの、アイツの剣だ――」


「うん、

 アレスもそう言っていた」


 ディアナはあっさり頷いた。


 だが次の言葉は、まるで刃のようだった。


「でもね」


「ただの剣を、王の寝室で寝かせる王はあまりいない」


 エリスの顔が一瞬で赤くなる。


「これはその……!」


「気にしなくていい」


 ディアナは手を振った。


「ボクは道徳の教師じゃない」


 そしてふと、何か思いついたように言った。


「そうだ、一つ聞いていいかな」


 エリスは警戒する。


「……なんだ」


 ディアナは少しだけ身を乗り出した。


 そして、静かに言った。


「キミ」


 琥珀色の瞳が細くなる。


「……キミたち、血のやり取りはしているのかな?」


 空気が止まった。


 エリスの心臓が強く跳ねる。


 ディアナはその反応を見て、くすりと笑った。


「なるほど」


 まるで答えを得たように頷く。


「やっぱりキミは面白い」


 エリスは何も言えない。


 ディアナは満足そうに窓の外を見た。


「大丈夫だよ。

 ボクはキミたちの秘密を暴くつもりはない」


 ふっと微笑む。


「だって、その方が面白いからね」


 琥珀色の瞳がさらに細くなる。


「物語は、秘密がある方が楽しい」


 そして最後にこう言った。


「だから安心するといい」


「ボクは観客だ。

 ――今のところはね」


「…………」


 エリスは何も言い返せなかった。

 空間を支配するような圧倒的な存在感。


 それが、龍王アレスの姉――

 ディアナ・アルヴァス。その人だった。

 

 ディアナはエリスの反応に満足そうに頷くと、軽く手を振る。


「そうだ、一緒に朝食でもどうだい?」


「キミともう少し話をしたいんだ――」


 その笑みは、どこまでも穏やかで――

 そして、底知れなかった。


 エリスが返答に困っているとコンコン、とドアをノックする音が響いた。


「カギはかけていないよ」


 ディアナの鈴の音のような声が響く。


 静かに扉を開けたのは五天星(アステリズム)の『青』――ファイだった。


「ディアナ。こんなところにいたのか――」


 ファイは呆れたように紺碧の髪を揺らす。


「おはよう、ファイ。

 迎えが遅かったからアレスに遊んでもらおうと思ったんだ。……そしたらこの『アレスの剣』がベッドの上にいたんだ――」


(口は堅いんじゃなかったのかよ……!)


「……昨日の朝もアレスと寝ていた、だから問題ない」


(お前も同じかよ――!)


「おやおや」


 ディアナが面白そうに琥珀色の瞳を細める。


「そうだエリス、紹介するよ。

 ボクの()()()のファイだ――」


 ディアナはファイに近づき、腕を絡めた。

  

「ディアナ。エリスとは昨日も一緒に討伐に行ったんだ。改めて紹介する必要はない」


 ファイが浅葱色の瞳でディアナを見つめた。


「そうか……、そうだったね。

 城内はヴァイオレット・レイスの噂で持ちきりだった」


 ファイは溜息をつく。


(またディアナの悪い癖が始まった――)


「ヴァイオレット・レイス。傷の具合はどうだ?」


 ファイがエリスに向き合う。


「あ、ああ。こんな傷、大したことは――」


「アレスが直々に手当てをしたんだろ?

 まったく、独占欲の強い弟だ――」


「本来、医務室で手当てを受ける必要があるが――

 必要だったら包帯の手配はしてやる……」


 ディアナとファイはエリスの右足首に釘付けになる。


 魔獣に傷つけられた傷口の上に牙を穿かれた痕――。


 そんな二人の視線に、エリスの頬が紅潮する。


「こ、これは――」


「大丈夫だよ、だいたい分かってる。

 この件はボクたちだけの秘密だ――」


 ディアナがまた楽しそうに笑う。


「やっぱり、キミは面白い。

 朝食はまた今度お誘いするよ――」


 ファイとディアナはエリスに背を向ける。


「またね、エリス。

 今度はキミの事をもっと教えて――」


 扉が閉まる。

 

 部屋に残ったのは、エリス一人だった。

 静寂の中で、エリスはようやく息を吐く。

 

(……なんだ今の)

 

 だが一つだけ、はっきりしていた。

 あの二人は――

 

 かなり見えている。

 ……いや、見透かされている。

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