第十六話 戦場のあとで
白龍の背にあっても、アレスはエリスを離さなかった。
「おい、アレス! 白龍の上では足を使うことはない。だから普通に降ろしてくれ!」
「ならん。飛行の衝撃で足の傷が開くかもしれんからな――」
真顔で言われて、エリスは悟る。
(たぶんこうなったコイツには何を言ってもムダなんだろうな)
「エリス、見えるか?
リコが手を振っているぞ」
白龍の上からはファイたちと合流したリコ、リュケイオス、サトゥルを確認し、アレスは白龍を旋回させる。
そこにはエリスが討伐した変異種から生み出されていた仔狼の姿はなく、『黒』の精鋭たちの無事な姿が確認された。
「今回の遠征では誰も命を落とさなかったようだな。エリス、お前の指揮のおかげだ」
「な、なに上官みたいなこと言ってるんだ。これはオレだけの力じゃない。
アレスが、みんなが頑張った成果だ――!」
エリスは少し誇らしげにリコに手を振るのだった。
✕✕✕
北部渓谷の変異種討伐は今回、ヴァイオレット・レイスことエリス・オルタディアの活躍により死亡者ゼロという結果に終わった。
負傷者は『黒』の部隊から数十人、そして、エリスもその一人だった。
白龍の背に揺られ帝都アルヴァニアに戻った二人はアレスの私室にいた。
「……傷を見せろ、エリス」
エリスはベッドの端に座らせられていた。
「こ、こんな傷、大したことじゃない。
騎士だったら誰であれ、戦場に出ればこの程度のかすり傷は負うものだ」
エリスの言い分がアレスの癪に障った。
「…………」
アレスは無言でエリスの足元に跪き、右足の、変異種の蔦に切り裂かれた部分を握りしめた。
「ッ……!」
エリスの顔が痛みに歪められる。
「こんなに痛がっているのに、かすり傷のわけがあるか――」
「そ、それは! お前の……、アレスの握り方が痛いだけだ……」
エリスはアレスから視線を背ける。
ジィーー……。
ブーツのファスナーを下ろす音が聞こえた。
「っ! 何をしているアレス!」
アレスがエリスのロングブーツを脱がし始めたのだ。
慌てて止めようとするも、アレスはエリスのブーツを乱暴に放り投げ、足首の傷口までズボンをまくり上げた。
「……ッ!」
「……こんなに血が出ているではないか――」
アレスはエリスの足首を再び握りしめる。
傷が開き、血が滲む。
その瞬間、エリスからは「ぅッ……」っという低い呻き声が聞こえた。
アレスの視線が、傷口に落ちたまま動かない。
――次の瞬間。
躊躇いは、なかった。
吸い寄せられるように――
アレスはエリスの傷口に口をつけた。
「……っ、あれ……すッ……!?」
アレスはエリスの脚を乱暴に掴み、無意識に引き寄せた。
次の瞬間――強く血を吸う。
「……ッ!」
(……違う。いつもより、強い……)
それは吸血というより――噛みつくに近い衝動だった。
傷口に触れた唇が、いつもより熱を帯びている気がした。
熱が、奪われる。
指先から、力が抜けていく。
――近い。
呼吸が、触れる距離。
アレスの指先に力がこもる。
――離さない。
エリスは動かなかった。
拒むべきだと分かっているのに、力が入らない。
しかし、左胸の、心臓の鼓動が伝わる場所が熱く脈打ち、背筋を何かが這い上がる感覚――まるで龍の気配のようなものが、全身を襲うのだった。
やがて――
アレスの唇が、ゆっくりと離れた。
傷口から滲んでいた血は、もう止まっていた。
アレスはエリスを見上げる。
その視線は――
ほんの一瞬だけ、逸らされなかった。
「……無茶をするな」
低く、押し殺した声だった。
そう言うと、アレスは目を逸らした。
「……善処する」
エリスもまた、そっぽを向いたまま答える。
――少しだけ。
呼吸が、合っていた。
それに気付いたのに、どちらも口にしなかった。




