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第九話 龍の矜持、騎士の牙

 アレスの宣言が、テラスの空気を凍りつかせた。

 だが、その静寂を切り裂いたのは――リュケイオスだった。

 

「……ならば、陛下」


 赤い軍服のリュケイオスが一歩前に出る。

 

「その人間が“選ばれるに値する”証をお示しください。我ら龍族の頂に立つ者が、ただの脆弱な種族であるなら、我らは――」


 エリスは小さく息を吸う。

   

 刹那。

 テラスの風が止まった。


 エリスの菫色の瞳から一切の感情が消え、ただ鋭利な殺意だけが宿る。

 

 エリスの細い指がアレスの腰へと伸びた。


「――っ!?」


 銀光が走る。

 アレスの腰から抜かれた宝剣が――リュケイオスの喉元へ一瞬で突き立てられた。


「…………!」


 リュケイオスの喉笛、わずか数ミリ。


 だが――

 リュケイオスの瞳は微動だにしない。

 むしろ、わずかに愉悦すら滲ませていた。


 エリスはリュケイオスの喉元に剣を突き立て、冷徹な瞳で見上げた。


「……証なら、今示そうか?」


 剣先は微動だにせず、喉元を捉えていた。

 わずかに刃が食い込み、赤い線が走る。


「……エリス。そこまでだ」   


 背後から、低く、愉悦を孕んだアレスの声が響いた。

 アレスは止めるどころか、剣を振るう彼女を愛おしげに眺め、一歩前に出た。


「エリス。……俺の剣だ。安く使うな」


 アレスがエリスの手首を後ろから優しく、けれど抗えぬ力で包み込んだ。


「…………っ」


 名前を呼ばれ、その熱に触れた瞬間、エリスの瞳にわずかな動揺が走る。

 アレスは彼女の指に自分の指を重ね、ゆっくりと剣を引かせた。

 そして耳元に唇を寄せる。


「エリス。お前の忠義、しかと受け取ったぞ」


「なっ……! そんなんじゃ――」  


 エリスが言い返す隙を与えず、アレスはエリスの腰に手を回し歩き始めた。 


「リュケイオス。……これが、俺の選んだ『証』だ。

 言葉は選べ。

 ――次は、俺が斬る」


 誰一人、口を開けなかった。

 

 リュケイオスは喉元の血を拭うこともせず、アレスのマントに包まれて消えていくエリスの背中を、ただ見つめることしかできなかった。

 

✕✕✕


 城内は白を基調にした洗練された空間だった。

 エリスはアレスによって王の私室に連れてこられた。


「……おい。いつまで腰を抱いてるんだ。もう誰も見てないだろ」


 不遜に言い放つエリスに、アレスの手に力が籠もる。


「誰も見ていないから、いいんだろう?」


「はぁ!? お前、バカなのかー?」


 その瞬間、腰を引っ張られアレスと密着した。


「……さっきの、……あれは忠義か?」


 再び耳元で囁かれる。

 

「それとも、嫉妬か?」


 瑠璃色の瞳が揺れる。 


「はぁ? オレはお前に忠義を誓った覚えはない! それに嫉妬だと? 誰に対してするんだ!?」


(……オレは、何に怒った?) 


「……そうだな」


 アレスはエリスの耳元で低く囁く。


「なら、安心だ」


「……っ!?」 


「……エリス、お前の忠義はどこにある? あんな仕打ちをされ、まだリミナにあるとでも言うのか?」


「……それは……」


 エリスの菫色の瞳が揺れる。


「覚えておけ、エリス。お前が()()ものとして立つのかを――

 ……そして、誰を選ぶのかをな」  


 アレスの手がエリスの頬をなぞり、そのまま彼女を解放した。そして、部屋の奥にある豪奢な衣装掛けへと歩いた。

 

 そこには、純白の布地に金の刺繍が施された、見たこともないデザインの軍服が掛けられていた。


「エリス、お前に俺の隣に立つ覚悟をやろう」


「……覚悟?」


 アレスは白い軍服をエリスに放り投げた。


「これに着替えろ。

 俺の隣に立つ立場を与えてやる」


「……これを着れば、あいつらを黙らせられるのか?」


「……黙らせるのは、俺だ」


 アレスは妖艶な笑みを浮かべる。


「…………」


「……それに……ずっとその格好でいるつもりか?」


「……っ!」


「お前のその白い肌が他の男に見られると思うと虫酸が走る。……だが、お前が俺の軍服をいつまでも身に着けていたいというなら、俺はお前の意思を尊重しよう」


「だ、誰がお前の軍服なんて――!」


 エリスはアレスの軍服を脱ぎ、アレスに投げつけた。

 白いアンダードレスの裾がゆれ、しなやかな脚が見えた。


「分かった! ここで着ればいいんだろ!」


 エリスはアレスの眼の前で躊躇わずにアンダードレスを脱ぎ、白い軍服に腕を通す。


「おい! なんだこれ! スボンじゃないのか!?」


 エリスはヒラヒラしたスカートを掲げる。

 それは、膝丈のタイトスカートの両端に深いスリットが刻まれた一品だった。


「お前の為に作らせた特注品だ。ありがたく身に着けろ」


「お、お前! 覚えてろよ! 後で泣かせてやる!!」


 エリスは覚悟を決めてスカートを身に着ける。


「くそっ! なんでオレがこんなヒラヒラな服……」


 悪態をつきながらもテキパキと軍服を身に着ける姿は流石とした言いようがなかった。

 だが、軍服のマントの留め具が思うように止められず、エリスは焦っていた。


 そんな様子を見かねたアレスが近づく。


「……自分でできる!」


「……強がるな」


 そう言うとアレスはマントの留め具に手を伸ばす。

 至近距離で、アレスの長い指がエリスの鎖骨に触れる。

 留め具を嵌めるカチリという小さな音が、静かな部屋に響いた。


「あっ……」


 アレスはマントを整えた手を離さず、そのまま軍服を整え始めた。最後にエリスの顎をクイと持ち上げる。

 菫色の瞳と瑠璃色の瞳が交差する。


「……似合っているぞ、エリス」


「……いちいち顎を持ち上げるな」


 エリスの辛辣な言葉を楽しむように噛み締めるアレス。

 その時、控え目なノックの音が部屋に響いた。


「……アレス様。帰還の儀の準備が整いました。入りますよ」


 遠慮がちにリコが扉を開ける。

 扉が開いた瞬間、アレスはエリスの腰を無遠慮に引き寄せた。


「うわぁっ! なにす――」


 突然のことに、エリスはアレスに抱き締められるかたちになってしまう。


「もう、アレス様。見せつけないでくださいよー」


 リコは呆れながらも笑顔で二人に近づく。


「エリス様、リミナぶりですね。どうです? ルクサリスは?」


「……っまだ、何も分からん! だけど、あの赤いヤツは嫌いだ……。っと、いい加減離せよ! 急に抱きつくな!!」


「ははは、愛いやつめ。見ろリコ。俺以外でこの『白』をここまで着こなせる者はおらぬぞ!」


 エリスの抵抗を物ともせず、アレスはリコにエリスを見せつける。


「お帰りになられた時も思ったんですけど、なんでドレスじゃないの?」


「あ、あの服はコイツが着ろと……!」


「……アレス様。女の子にあんな格好させちゃいけないですよ。リーベルなんてエリス様の全身をじっと見ていた……ヒッ!」


 アレスの瑠璃色の瞳が、リコの栗色の瞳を睨む。


「とってもお似合いです! エリス様!! まさにルクサリスに降り立つ女神様です!」


 リコは敬礼しながら声を高らかに言い放つ。


 その宣言に満足したアレスはようやくエリスを解放した。


(こいつも色々大変なんだな……) 


「アレス様。エリス様がそれほど正装されたのです。主である貴方が、返り血の染みた戦闘用の『黒』では、少々座りが悪いのでは……」


 リコの提案にアレスは頷く。


「ふん、余計な世話だが、そうだな」


 アレスはエリスの白い軍服を一瞥し、口角を上げた。


「俺だけが『黒』では、お前が浮いてしまうからな」


 アレスはその場で、無造作に黒い軍服を脱ぎ捨てた。鍛え上げられた広い背中と、魔力の脈動が透けるような白い肌が露わになる。


「っ……! おい、人がいるんだぞ!」


「気にするな。……リコ、アレを持ってこい」


 リコが恭しく捧げ持ってきたのは、エリスのものと(つい)になる、白亜の布地に黄金の刺繍が施された重厚な公務服だった。


 アレスが袖を通し、最後に腰の剣を差し直す。

 目の前に並び立ったのは、眩いばかりの『白』を纏った、美しき暴君と最強の女騎士。


 ――白を纏った、異端の王とその刃。


「……よし。行くぞ、エリス。俺の隣から、一歩も離れるな」


 アレスの手が、エリスの指に絡みつく。

 拒もうとしたエリスだったが、その力強さと、自分と同じ「白」を纏ったアレスの眩しさに、一瞬だけ言葉を失った。


 扉の先には五天星(アステリズム)と、そしてこの「異端の二人」を待ち構える帝国が広がっている。

 二人が揃って歩き出す。

 城内の空気が、確かに変わり始めていた。

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