絶望
「なっ!?」
「ここは、一体……」
ダンジョンの中へ入ると同時、グロル公爵軍と貴族連合軍もまた未知のエリアへと飛ばされていた。
辺り一帯から漂う腐臭、湧き上がる毒の沼。
どこかから聞こえてくるおどろおどろしい声に、あちこちに立っている文字の書かれた墓標……ここは紛れもなく、墓地であった。
それら全てが恐ろしい空気感を出しており、この場にいるだけで精神が削られていきそうに感じてしまうおぞましさがある。
貴族連合軍としてやってきている子爵の一人が、思わずひぃっと情けない声を上げる。
どうやら他の者達も同様らしく、彼らは明らかに動揺した様子で辺りを見渡した。
「公爵、これは一体どういうことなのですか!」
「そのようなことを私に言われても、わかるわけがないでしょう」
そしてその中でもまだ平静を保っていたグロル公爵に助けを求め、張本人ははぁとため息を吐いてから皆が整列を命じた。
幸いなことにこのエリアは広く、全軍で横列を取れるだけの広さがある。
公爵軍五千と貴族連合軍二千、合わせて七千からなる大軍が隊列を組みながら墓地の中を進んでいく。
道中にあった毒の沼に試しに食料を入れてみると、ぶくぶくと泡を立てながら食料は一瞬で溶けてなくなった。
彼らは皆ビクビクと震えながら、先へと進んでいく。
「ふむ……どうみますか、セドリック君」
「いやぁ、ダンジョンマスターに嵌められたのでしょうなぁ。ここは遥か下の階層でしょう。脱出は絶望的、と考えざるを得ないかと」
グロル公爵の隣でそう胸を張っているのは、全身から覇気を漲らせる禿頭の男であった。
至る所に傷のあるスカーフェイスに、二メートルを超える体躯。
手には彼に見合うサイズの錫杖が握られており、その身体には僧衣を身に纏っていた。
首元にあるこぶし大の数珠をゴロゴロと転がす彼は、公爵認定勇者のセドリック。
聖教会の聖堂騎士を破門されたところを公爵に拾われたという、一風変わった経歴を持つ勇者である。
本来であればどれほど大量の魔物に囲まれても笑みを絶やさず殲滅するほどの猛者であるセドリックは、しかし魔物が一体も出てこない現状であっても、冷や汗を掻いていた。
張り付いたような笑みを浮かべながらも、ゆっくりと紡がれる彼の声は固い。
「ダンジョンでありながら魔物がまったく出てこない。にもかかわらずこれほどにヤバい気配がビンビンと発されているのはヤバいですな。おまけにこの階層……見ればわかりますが出てくるのはアンデッド達でしょう。一刻も早く階層を上下して食料を手に入れなければマズいことになるでしょう」
輜重隊ごと転移させられたため食料にはある程度余裕はあるとはいえ、それでも精々が三日分にも満たない。
これほど大量の人員の食料を確保するためには、一刻も早く食肉が出るようなエリアへと向かう必要がある。
「それなら軍を分けるか?」
「ある程度魔物の相手をさせて慣れさせてからの方がいいでしょう。無論、最初は我が相手を致します」
それだけ言うと、セドリックは隊列の最前列に出た。
彼が戦闘を受け持ってくれるとわかり、全体の雰囲気が急速に弛緩する。
そのままセドリックは現れたスケルトン型のアンデッドの魔物を討伐していく。
公爵認定級勇者である彼の敵ではなく、アンデッド達は苦戦することもなく一刀の下に断ち切られていった。
「見ろっ、出口だ!」
彼らが進んでいくことしばし、ようやく階層間の移動経路と思しき魔法陣が見えてくる。
ホッと安堵した兵士達は、そのままセドリックの先導に従って歩き出した。
これでようやくこの階層からおさらばできる――安堵しながら完全に階段に意識を向いていたその隙を縫う形で、軍の後方から悲鳴が上がった。
セドリックは舌打ちをし、その場から飛び上がる。
大ジャンプを行った彼は、そのまま軍の最後尾へと降り立った。
するとそこには、絶望の光景が繰り広げられていた。
「だ、誰かッ!」
「助けてくれえええっ!」
既にセドリックがやってくる前の何人もの兵士達がゾンビに襲われており、身体をゾンビ達に噛まれていたのである。
「ゾンビか……」
ボコ、ボコ……崩れた地面から這い上がってどんどんと増えていくのは、腐乱した肉体を持つゾンビ達であった。
陥没した地面に多くの者達が引きずりこまれ、そのまま引き倒されて噛み付かれて苦悶の声を上げている。
ゾンビは通常であればDランク相当の魔物だ。
だが地面から現れたゾンビ達の動きは、明らかに彼が知っているそれと比べてもはるかに速い。
おそらくはゾンビの上位種……ハイゾンビだろう。
その数は目視できるだけで二十を超えている。
そしてその全てが、既にこちら側に大きな損害を出し始めている。
「ア……ガ……」
「チッ……そおおおおいっ!!」
ハイゾンビに噛まれていた男の兵士の顔が苦悶に歪み、そして白目を剥きながら寄生を発し始めた。
それを見たセドリックは即座に、隣にいたハイゾンビごと噛み付かれた兵士を叩き斬る。
見た目が一緒なのは厄介だが、ただ動きが速いだけのゾンビだ。セドリックが苦戦することはない。
彼は背後から聞こえてくる息を呑む声に、チッと舌打ちをしながら後ろを振り返る。
「ゾンビに噛まれた奴らはもはや徒人として生きていくことはできん! 容赦なく、殺せッ!」
これがゾンビ種の魔物の厄介なところだ。
噛み付かれてゾンビ化する液体、ゾンビリキッドを身体の中に注入されたれてしまえば、病気に対する強い耐性を持っている人間でなければそのままゾンビへと変わってしまう。
噛まれたかつての仲間を殺すことをためらっているうちに、自分も噛まれてしまうという形で、ゾンビは爆発的に感染していく。
「うぼぁ……」
ボコッ、ボコボコッ。
先ほど聞こえた地面の陥没音が、再び聞こえて着始める。
セドリック達を包囲する形で地面が陥没していき……そして防御姿勢を取ろうとしていた軍の者達の足下も崩れ、そこから新たなハイゾンビ達による奇襲が行われていく。
「ちいっ……誘い込まれたかッ!」
転移魔法陣を見て安堵した心の隙をつく形の奇襲、実にいやらしい手だ。
身体は爛れ視神経が露わになるみすぼらしい見た目をしているものの、目の前のハイゾンビ達には明らかに知性の色がある。
セドリックはなんとかハイゾンビ達を殺し周り、他の者達を激励する形で彼らにもハイゾンビ達の相手をさせた。
相手がCランクとはいえ、こちらも公爵家の正規兵達。
奇襲で乱されなければ、複数人でハイゾンビを叩くことはできる。
彼らは魔法を使って距離を取りながら戦いを続け、無事ハイゾンビ達を殲滅することに成功した。
「ふぅ……なんとか終わったか」
だがその損害は大きい。
報告をさせたところ、当初は六千いた兵はこの奇襲で五千ほどに減ってしまっていた。
序盤に相手の攻撃を受け、ゾンビの被害が拡大してしまったところが大きい。
それぞれが別の領軍の寄せ集めである貴族連合軍が特に被害が多く、彼らは既に意気消沈とした様子で空いた穴へゾンビの死骸を埋めていた。
「清浄の光のあらんことを……」
セドリックは聖教の祝詞を読み上げながら略式土葬を行い、死んだ兵達を弔っていく。
魔力の無駄遣いを避けるために、浄化のための光魔法は使わない。
彼らは亡き友を悼みながら少し距離を取って休止を取り、そのまま魔法陣へと歩いていく。
この転移魔法陣に乗れば、帰ることができる……混沌迷宮を事前に調べていたからこそ、辺境伯軍と同様に、そう安堵していた彼らは知らなかった。
その先に待ち受けているのが絶望であることを……。




