免じて
「なんだ、ここは……」
友軍の救援のためにやってきたガジール辺境伯軍二千がやってきていたのは、密林エリアとでも呼ぶべき場所であった。
洞穴を入ればその先には聞いていた洞窟エリアではなく、周囲には鬱蒼と葉が茂るこの場所に飛ばされたのだ。
「ひ、ひいっ!?」
見れば足下には白骨化した死体が転がっている。
死体が着ていたものは間違いなく、王国軍に正式採用されている板金鎧であった。
うぞ……うぞ……。
よく見ればそこには大量の蛆が蠢いていた。
人間の人差し指ほどのサイズの、巨大な蛆だ。
「お、おええええええっっっ!!」
「馬鹿ッ、大声を出すな!」
兵士達の中に、その気味の悪さに思わずその場で嘔吐し始める者達が続出。
そして彼らにとっての悲劇が始まった。
この大森林エリアで過ごす魔物達は、侵入した人間達のことを決して見逃さない。
「キシャアアッッ!!」
サクッと軽快な音と共に、地面に手をついて嘔吐していた男の首が落ちる。
首から血が噴水のように溢れ出し、横の人間の頬へとかかる。
「う……うわああああああっっ!!」
叫び出しながら逃げだそうとする男の首が飛び、再び鮮血が。
その死神の鎌を振り回しているのは、一匹の蟷螂であった。
ボディビルダーを思わせるような筋骨隆々とした上半身に二つの鋭利な鎌を着けた蟷螂型魔物、ヘルマンティス。
Bランク相当の魔物である蝙蝠は、麦穂を狩るようにさくさくと兵士達の首を狩っていく。
兵士達の中には逃げ出そうとする者が続出しあわや前衛が崩壊するか……というタイミングで、マンティスの身体が真っ二つに断ち切れた。
「慌てなくていいですよ、皆さん。私が守ります」
「おお……ヘルド、助かったぞ」
現れたのは金色の長い髪をたなびかせる、一人の青年だった。
背中にハープを背負いながらその手に無骨な大剣を握る彼は、辺境伯認定勇者ヘルド・メイヤーズ。
この軍の中で最強の戦力である彼の武力に、ガジール辺境伯はホッと胸をなで下ろす。
「私が先導します、ついてきてください」
ヘルドはそう言うと皆に背を見せながら歩き出す。
ハープには球状のおもりがついており、彼が歩くだけで音が鳴った。
そのステップは独特であり、緩急を付けて前後左右に動くことでただ歩行をするだけで背に背負ったハープとおもりが揺れ、旋律を奏で始める。
回復スキルである癒やしの調べが発動し、皆の身体の傷が消えていき、その心が穏やかになっていく。
彼は吟遊詩人の上位ジョブであるトルベールを持っており、その特殊な歩法によって手で引かずとも楽器を鳴らすことができるのだ。
「探査の調べ」
トルベールになることによって使えるようになる技の範囲は幅広い。
探査の調べは辺り一帯の音の反響から知覚範囲を広げることを可能とする。
彼は演奏によって自分が行くべき場所を見つけ、魔物達との遭遇を可能な限り裂けながら調べの告げるままに先へと進んでいった。
「――ふっ!」
ヘルドの斬撃が、こちら側にやってきていた巨大な蟻型の魔物を切り伏せる。
そして攻撃をしながらも、彼は一つの譜を完成させた。
「皆様の雄志を見せる時です……勇気の調べ!」
吟遊詩人系ジョブの本質とは、単体への強力な効果より全体への効果を発揮させることができるバッファーである。
彼の支援によって攻撃力と防御力が増した兵士達は先ほどまでへっぴり腰になって動けなくなっていたのが嘘であるかのように、勇壮に魔物達と戦いだした。
勇気の調べには味方の精神高揚効果がある。
本来の力を発揮し各々が戦えるようになる様子を見たことで、ガジール辺境伯はようやっとほっと安堵の息を吐いた。
「辺境伯、お耳に入れたいことが」
「うむ、なんだ我が宝琴よ」
「おそらくですが此度の脱出は相当に困難を極めるでしょう」
「……だろうな」
二人は顔を顰めながら、頷き合った。
自分達が突如として飛ばされたこの場所は、おそらくは第二や第三階層ではないだろう。
ここから上っていき本来の出入り口まで戻るのに、果たしてどれだけの時間がかかるか……。
「けれど勝算はあります。転移魔法陣です」
調査によれば、混沌迷宮には階層を踏破した際に好きな場所へ飛ぶことができるようになる転移魔法陣が存在していたという。
であれば同じダンジョンマスターが作ったこの場所にも同じ機能があって然るべき。
それは縋るにはあまりにも細い糸であったが、そうとでも考えなければ正気を保っていられぬほどに、現状が厳しいということでもあった。
彼らは勇気の調べで自分達をも鼓舞しながら先へと進む。
すると一時間ほど歩いて行ったところに、巨大な門が立っていた。
森の中にあった断崖、その中に突如として生えている鋼鉄の門が並々ならぬ威圧感を湛えている。
「おそらくはボス部屋でしょう……激戦になるものかと」
「うむ……皆、決して気を抜くな! この窮地から脱するために、なんとしてでもこの戦いで勝たねばならぬ!!」
既に目的が遊軍の救出ではなく自分達が助かることにすり替わっているが、それを指摘する者はこの場にはいない。
彼らは皆、このダンジョンの異様さに気付いていた。
一刻も早く帰らなければマズいことになると、全員の第六感が告げていたからだ。
彼らが近づいていくと、ドアはゆっくりとひとりでに開いていった。
ギギィと軋みを上げながら開いていくドアの向こうにあったのは……真っ暗で広大な空間。
彼ら全員が入ると門が大きな音を上げながら閉じ、内側に置かれていたのであろう松明が灯り始める。
明るくなりはっきりとした彼らの視界に移ったのは……一匹の、人型の昆虫であった。
「ようこそおいで下さった。ここに来て、もはや言葉は不要だろう」
緑色の甲冑型の甲殻を身につけた、人の形をした魔物。
小さな複眼は赤く光っており、頭から突き出た節のある二本の触覚がしきりに動いている。
「一つ伝えておこう。某を倒せば、後ろの転移陣から出ることができるぞ」
その生き物は、魔物でありながらどこか人間に似た雰囲気を持っていた。
朴訥とした武人のような気配を持ちながら、けれど一目見ただけで相容れぬ存在であることがわかってしまう。
彼らはこの門番が、やってきた侵入者達を殺すための死神であることを、本能のうちに理解する。
あまりにも濃密な死の気配――圧倒的な、死。
「某は混沌迷宮第六軍団軍団長――『一騎当千』のアカツキ。……さぁ、死合おうか」
そしてガジール辺境伯軍対アカツキの戦いが始まった――。
「さて……かかってくるといい」
アカツキはその場から動かずに、ジッと彼らが出るのをうかがっていた。
だがその圧倒的なプレッシャーに誰もが動きを止める。
当然ながらその緊張から一番に飛び出したのも、辺境伯軍最強の男であるヘルドであった。
「勇壮のカナタ!」
勇気の調べの上位技である勇壮のカナタを使い、軍全体の士気を上げる。
その場で立ち止まっていた彼らは勇気づけられ、一歩前へと踏み出すことができた。
「あの魔物を倒せば我々は帰ることができるのだ! かかれ、かかれぇぃっ!!」
辺境伯の一声に、皆が己を奮い立たせながら前へ出る。
鎧を鳴らしながら剣を構え前に出た彼らを……。
「……ふむ」
しかしアカツキは、一刀の下に斬り伏せてみせた。
彼はその手に持つ自身の体色と同じ色をした剣を握り、剣閃を走らせた。
目で追うことができぬほどに高速で放たれた斬撃は、その軌道上にあるもの全てが斬り裂いてみせる。
「……あれ?」
「身体が、前に……」
前に駆けようとしていた男達の上半身と下半身がズレていく。
その断面はあまりに鮮やかで、彼らは斬られたことにすら気付かぬままに進み続ける。
そして上半身がずり落ちて地面に落ち、前進が完全に止まったタイミングでようやく自身の状態に気付いた。
「う、嘘だろ、一瞬で……」
アカツキ目掛けて駆けていた百を超える兵士が、たったの一太刀で全て切り裂かれる。
その圧倒的な実力差を前に、先ほどまで無理矢理勇気を奮い立たせていた者達は現実に引き戻された。
「う……うわあああああっっ!!」
「無理だっ、こんなの勝てるわけねぇ!」
「……この程度か」
アカツキが剣を三度振るう。
一度の剣撃で、十を超える命が赤い花を散らして消えていく。
彼は逃げようとする人間に対しては容赦なく剣を振るい、そして向かってこようとする者達にはやや嬉しそうに真剣に剣を振るった。
つまるところ、皆殺しである。
死屍累々と兵士達の死体の山が築き上げられていき、気付けば部屋の中には足場がなくなるほどに死体が横たえられていくようになった。
「こうなっては……私が行くしかないようですね」
ヘルド・メイヤーズは、ゆっくりと一歩を前に出す。
もちろん悔しさを感じていないわけではない。
ただそれでも彼は大量の犠牲を前に歯を食いしばりながら、アカツキのことを冷静に観察していたのだ。
もはや自分以外に、この難局を乗り切ることができる人間がいない。
それがわかっているからこそ彼は、友軍を餌にしてでも相手のことを見極める必要があったのだ。
「いざ……参るッ」
ヘルドは背負っていたハープをその手に持ち直し、軽く振った。
するとシャキンと音を立てて、その先端から刃が突き出る。
トルベールは吟遊詩人系のジョブでありながら、白兵戦での戦闘を得意とする。
武器としても使えるハープを用い、演奏しながら戦う。
それこそがヘルドのスタイルであった。
「真夜中のセレナーデ」
彼はまず、松明に照らされても尚広がっている薄暗がりへとその身を隠した。
アカツキは昆虫型魔物であるためか、視界の範囲は広いがその視力はそこまで高くはない。
故に自身の気配を可能な限り消すことで、相手からの視認性を下げる。
ハープという武器を使っている以上音で居場所を気取られてしまうのは痛いが、彼が本気を出すためには必要不可欠なことだ。
「戦慄のソナタ、妄執のレクイエム、そして……豪壮のエチュード!」
彼は己に何重にものバフをかけていき、その能力を極限まで高めていく。
攻撃が上がり、防御が上がり、ただでさえ辺境伯級勇者として申し分ない力を持っている彼の力はみるみる膨れ上がっていく。
「……ほぅ」
その様子を見たアカツキは、戦いが始まってから初めて嬉しそうな声を出した。
その見た目から表情を推し量ることは難しいが、その触覚がピコピコと左右に揺れ動いている。
「炎攻のフレイダル!」
ヘルドのハープ剣の切っ先が燃え、凄まじい熱量が生じる。
アカツキが放った斬撃を、炎を纏った剣が受け止めてみせた。
「氷結のブリューナク!」
今度の一撃は、受け止めたアカツキの剣がバキバキと凍っていく。
本来であれば攻撃を放つと同時に相手の全身を氷結させるほどの一撃なのだが、アカツキが軽く剣を一振りするだけで氷は霧散してしまった。
「凄まじいな……だがっ!」
その後もヘルドの激しい攻撃が続いていく。
彼はステップを踏み重りを使って音を鳴らし、またある時は支えの手を使い弦を書きながらしながら、戦いの中で旋律を作り上げていく。
彼が放つ一撃は大地を操作し、風の刃を放ち、ある時は炎と風を組み合わせて炎の竜巻を起こしてみせた。
多様で多彩な攻撃が幾度もアカツキへと迫るものの、それら全ては彼の喉元には届かなかった。
「はあっ、はあっ……」
だがそれにも限界がやってくる。
常に一定のステップを踏みながら弦を鳴らしてスキルの発動と近接戦を同時に行うヘルドは、一度の攻防でかかる負荷がとにかく重い。
80を超える高いレベルを持つ彼であっても、自身よりはるかに格上であるアカツキを相手に攻撃を続ければ、消耗することは避けられなかった。
出せる手、打てる手は全て打った。
善戦はしたものの、自身の攻撃は一度として相手に痛打を与えられていない。
ヘルドの人生で、これほどまでに圧倒的な差がある相手と戦うのは初めての経験であった。
自身では届きえぬ武の極地……おそらくそこに到達しているであろう相手に、ヘルドは内心で毒づきながらハープを構える。
この……化け物め。
「実に面白いものを見せてもらった……これは、俺からのプレゼントだ」
アカツキはそう言って剣を腰だめに構える。
彼の全身が赤く発行し始め、その全身の体色が徐々に緑から黒へと変わっていく。
一体どんなスキルを使っているのか、経験豊富なヘルドをしてまったく想像することもできない。
だが一つだけわかることがある。
自分はこの一撃で……死ぬ、ということが。
「瞬きより早く」
一撃を食らったヘルドの肉体が、内側から爆算する。
持ち主を失ったハープがことりとその場に落ち、二人の戦いを見つめることしかできなかった辺境伯と残兵達の顔色が絶望に染まる。
「悪くない戦いだった……安心しろ、こいつの戦いぶりに免じて、せめて楽に葬ってやる」
そしてアカツキによる蹂躙が再び始まり……ガジール辺境伯はその大将である辺境伯を含め、文字通りの全滅となったのであった。




