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第11話
あの朝から、私と桜井くんのあいだには、小さな習慣ができた。
朝、教室で顔を合わせると、どちらからともなく「おはよう」を交わす。たったそれだけのこと。でも私にとっては、一日のなかでいちばん緊張して、いちばん大切な瞬間になっていた。
ある日、桜井くんが私の手元をのぞきこんで言った。「それ、いつも読んでる本?」。机に出していた文庫本に、あのしおりが挟まっていた。
「う、うん。好きな作家さんの……」。声が小さくなる。それでも、なんとか最後まで言えた。桜井くんは「へえ」と興味深そうにうなずいて、「俺、本ぜんぜん読まないからさ。今度おすすめ教えてよ」と笑った。
おすすめ。今度。その言葉が、胸の奥でやさしく転がる。次があるかもしれない。そんなふうに思えること自体が、少し前の私には考えられないことだった。
席に戻りながら、私はそっと文庫本を撫でた。たった数センチ動いただけの距離なのに、私と桜井くんのあいだの何かが、確かに前へ進んだ気がした。あせらなくていい。一歩ずつでいい。そう、自分に言い聞かせた。




