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第10話
次の日の朝、私はいつもより少しだけ早く家を出た。昨日のことが頭から離れなくて、よく眠れなかったのだ。
教室に着くと、桜井くんはもう自分の席にいた。窓から差しこむ朝の光のなかで、ノートに何か書いている。その横顔は、やっぱりまぶしくて、直視できない。
席に着こうとしたそのとき、桜井くんがふと顔を上げて、私を見た。「あ、おはよう」。先に、言われてしまった。あっさりと、当たり前みたいに。
頭が真っ白になる。でも、ここで逃げたら、きっとまた後悔する。震える唇を、私は必死に動かした。
「お、おはよう……ございます」
最後に変な敬語がついてしまって、声もかすれていた。それでも、言えた。生まれてはじめて、自分から桜井くんに言葉を返せた。桜井くんは少しだけ目を見開いて、それから、ふっとやわらかく笑った。「ございます、って」。おかしそうに、けれど、ばかにするところはまったくない笑い方だった。
席に着いてからも、心臓がしばらく鳴りやまなかった。たった一言で、世界が、ほんの少しだけ色を変えた気がした。




