卒業式は弟エンドで
3月、今日はあやめの卒業式だ。
ただ卒業しても、あやめは作家として独り立ちするまでは今までどおり八神家で暮らす。だから良くも悪くも、しばらくは変わらない日常が続くだろう。
恭は特になんの感慨もなく、卒業式の後、スマホであやめにメッセージを送った。
『式、終わったし一緒に帰る?』
『じゃあ、迎えに来て~』
『どこにいんの?』
『伝説の木の下』
『どこだ、そこ』
この高校では新入生や卒業生のために桜のアーチとして、校舎から正門に続く道なりに何本もの桜が植えられている。
けれど、あやめがいたのは体育倉庫の裏に1本だけひっそり立っている桜の木の下だった。
その小柄な制服姿を見て初めて、明日からはこの学校から姉がいなくなることに少し胸を締め付けられる。
(家では一緒なのに何が不足なんだ)
そんな自分を認めたくなくて、恭はぞんざいに声をかける。
「伝説の木の下って、ただの桜じゃねぇか」
「おっ、来たか」
「なんでわざわざ、こんなところに呼び出したんだ?」
その問いに、なぜか姉は再び弟に背を向けると、目の前の桜を見上げて急に語り出す。
「『普通に楽しい3年間だったけど、けっきょく彼氏はできなかったな……』。主人公が伝説の木の下で黄昏てると、そこに弟が迎えに来る……はい!」
「突然なんのフリだ?」
困惑する恭に、あやめは「ひひっ」と薄笑いで説明する。
「お前は知らないだろうけど、誰ともくっつけなかった主人公のもとに身内が迎えに来るのは、乙女ゲーでよくあるシチュエーションなのですよ」
「つまりゲームのヒロインっぽいことがやりたいって?」
「うん。せっかくの卒業式だから、弟エンドを見せてくれ」
姉の謎の要望に、弟は呆れ顔でツッコむ。
「弟エンドって、普通に家に帰るだけだろ」
「ぽっと出のイケメンに告白されるより、弟と普通に家に帰れることが、お姉ちゃんのいちばんの幸せです」
以前なら非モテの強がりだと思ったかもしれない。しかし、あやめは八神家の実の子どもじゃなかった。
ぽっと出のイケメンに告白されるより家族と普通に家に帰れることが、あやめにとっては本当に何より大事な幸せなのだろうと恭は思った。
それと同時に、自分の卒業式には姉がいないことが寂しくなる。
「……じゃあ、来年はお前が迎えに来い」
「来年って、お前の卒業式のこと? お姉ちゃん、もう卒業してるんだが?」
「生徒じゃなくても父兄なら、ギリここまでは入れるだろ」
「つまりお前も、お姉ちゃんエンドを迎えたいのか?」
それを認めると、自分も他の誰でもなくあやめを選んでいるみたいだ。
面映ゆい発想に、恭はゴニョゴニョと言い淀みながら訂正する。
「エンドとかじゃなくて……家族なんだから、普通に弟の卒業を祝いに来い」
その言葉に、姉は「へへっ」と嬉しそうに頬を染める。
「じゃあ、来年は私が迎えに来てやろう。この伝説の木の下になァ!」
「勝手に伝説にするな」
テンポのいいツッコミに、あやめはますますふざける。
「でも他の女の子と付き合ったら、お姉ちゃんルートは消滅するからな~。一緒に帰りたいなら彼女を作るなよ~」
「……彼女なんて作るわけない」
あやめが恭に家族を望むなら、いつか他の相手と結ばれて、自分は置き去りにされるのかもしれない。
だとしても離れるのは俺からじゃないと、恭はあやめに知っておいて欲しくて、
「俺は一生お前に絶対服従なんだろ。他の女の相手をする暇なんて無い」
弟からのある種の告白に、姉は「……へへっ」と笑いながらも何故か俯く。
「モテる癖に女っ気なくて可哀想。お姉ちゃんが彼女になってやろうか?」
「やめろ。そういう冗談」
「冗談じゃなくて本気だぞ」
「……えっ?」
予想もしない台詞に、恭は動揺を隠せずに問い返す。
「ど、どういう意味?」
「もしお前が私を好きなら、姉弟の関係はそのままだが、恋人にもなってやる」
「……姉弟のまま恋人にもなるって、どういうこと?」
言わんとすることが分からず戸惑う恭に、あやめはドーンと力強く言い放つ。
「主にお姉ちゃんがお姉ちゃんぶりたい時はお姉ちゃんぶり、恋人ぶりたい時は恋人ぶるってことだ!」
「どこまでもお前の勝手じゃねぇか」
「じゃあ、いらんか? 恋人としてのお姉ちゃんは」
これが本当に本気なのか、それともいつもの冗談なのか、恭には分からなかった。ただ嘘でも可能性を見せられたら、喉元まで込み上げていた想いを止められなくて、
「……恋人はやだ」
その返事に、あやめが失言を後悔するより先に、
「夫婦がいい」
恭はずっと隠していた本音を涙と共に溢れさせた。
自分の勘違いじゃなかったとホッとしたあやめは少しの間を置いて、なんとか口を開く。
「……へへっ。隙を見せた途端、弟が先走る先走る」
「うるせぇ。からかってんなら怒るぞ」
「からかってないぞ」
涙目で睨む恭の手を取ると、あやめは優しい目で彼を見上げる。
「前にお姉ちゃんが自分だけ家族じゃないと泣いてた時に、すぐに『血が繋がってなくても家族だ』って言ってくれただろ? お前が今でも結婚したいくらい私が好きなら、関係を変えるチャンスだったのに」
恭があやめを好きなら『家族じゃなくて、お前だから好きだ』とか『結婚して家族になればいい』と自分に有利な方向に持っていくこともできた。
けれど、あの時、恭は『血が繋がっていなくても家族だ』と迷いなく言い切った。それは自分の積年の願いを忘れるくらい、あやめの悲しみを癒すことしか考えていなかったから。
だから、あやめは、
(ああ、コイツは自分より私を大事に想ってくれてるんだ)
と心から信じられた。
薄々感じていた恭の想いが気まぐれな恋情ではなく、きっと永遠に変わらない愛情であることを。
「何があっても100%裏切らないと信じられる相手なんて一生に一度会えるか会えないかだから、絶対に失いたくない」
あやめは真摯な眼差しで恭を見つめると、
「私の全部をお前にやるから、お前の全部を私にくれ」
と真っすぐに告白した。
最愛の人からの真剣な告白に、恭は恥ずかしくなってしまって、
「……普通そういう告白って、男がするもんじゃないのか?」
と照れ隠しを口にすると、あやめは「ひひっ」と笑って手のひらを向ける。
「告白したいなら、どうぞ?」
いざ勧められると、本音を誤魔化すことが癖になった恭は一瞬逃げたくなった。
でもあやめだって勇気を出して告白したのだからと、意を決して口を開く。
「……本当は子どもの頃から死ぬほど好きだ」
さらに今度は自分からあやめの手を握り、胸の奥で押し潰していた切なる願いをぶつける。
「だから切れるかもしれない関係は嫌だ。もし振り向いてくれるなら、恋人じゃなくて結婚して。ずっと傍にいて」
「ひひっ、コイツ。泣いてやがる」
あやめに指摘された恭はグイッと袖で涙を拭った。
「悪かったな、情けなくて……」
「涙が出るのは本気だからだぞ」
あやめはそう言うと、恭の背中に腕を回して続ける。
「泣くほど好きになってくれて嬉しいよ。ありがとう」
普段は茶化してばかりのくせに、本当に大切な想いは決して取りこぼさない。
こういう時は、やはり大人な対応をするあやめに恭は少し悔しくなる。
「……ありがとうじゃなくて、結婚するって言え」
半端な関係は絶対に嫌なので、この機会に確約を求める恭から、あやめはスッと身を離して、ある条件を出す。
「じゃあ、お前が格闘技で日本一になったら結婚してやろう」
「なんで両想いなのに条件付きなんだよ」
眉間にしわを寄せる恭に、あやめは笑顔で答える。
「だってお前が強くなれるように応援する約束だし。もう少しお姉ちゃんでいたいからだ」
ずっと待っていたのだから、恭は今すぐあやめの全部が欲しかった。
でも最愛の女性に対して「日本一なんて無理だ」なんて、情けないことは絶対に言いたくない。
「じゃあ、俺が格闘技で日本一になったら結婚するんだな? その時になって、また別の条件を出したりしないな?」
「別の条件は出さないぞ。その代わり絶対服従の誓いはそのままだ」
「……それは別にいいよ。結婚してもしなくても、お前がして欲しいことはなんでもする」
一生姉弟のままでも、あやめの本気の願いは全て叶えようと恭は思っていた。
それが振り向いてくれるなら余計に、あやめが望まなくても、恭はなんでもしてあげたい。
献身的な恋人を、あやめはニヤニヤとからかう。
「へへっ、カッコいい~」
「絶対嘘だ」
「本当にカッコいいと思ってるぞ」
再び恭に抱き着くと、逞しい胸に幸福そうに頬を寄せる。
「世界一カッコよくて、可愛くて、信じられる、私の大好きな人だ」
ずっと喉から手が出るほど欲しかった人からの手放しの賛辞に、恭は「~っ」と思わず赤くなった。
「急に飴ぶつけんな」
「ひひっ、作家を恋人にするのが悪いんだよ~」
あやめはニパッと八重歯を見せると、
「今まで我慢させた分、これからはいっぱい甘くしてやるから、楽しみにしとけ」
恭を引き寄せて自分も背伸びをすると、そのまま唇を重ねた。




