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全てが壊れるお正月・再生

 咄嗟に逃げ出したものの、虚弱なあやめが何分も走り続けられるはずがない。


 あやめは祖父母の家の近くにある駐車場に逃げ込んでいた。車の陰に身を潜めたあやめを見つけた恭は、


「……なぁ、さっきの話って」


 と遠慮がちに声をかける。


 姉は俯いて座り込んだまま掠れた声で口を開く。


「流石に私の前では言えないだろうとついて来たのに、かえって引き金になっちまうとは。ひひっ、悪いことはできないもんですね……」


 その台詞を聞いて、あやめが恐れていたのは悪口ではなく、秘密の露見だったことを恭は知った。


「知ってたのか? 自分が本当の子どもじゃないって」

「んにゃ。いちおう今日までは『もしかしたら』くらいの疑惑だった」


 どうして家族で自分だけが、こんなにも似てないのか。なんで母の親友の墓参りに、毎回自分を連れて行くのか。なぜ父方の祖父母は自分に無関心なのか。


 そういう疑問の一つ一つから、あやめはずっと目を背けてきた。


 周りにどれだけ似てないと言われようが、自分は本当にこの家の子どもかなんて意地でも聞かなかった。聞いたら全てが壊れることを、心の奥で予感していたから。


「……もし私の懸念が真実で何か言われるとしても、高校を卒業してからだと思ってたのに。ひひっ、養子の分際で、甘い汁を吸い過ぎた罰ですかね……」


 あやめは涙が零れないように堪えながら、ボソッと付け足す。


「……これからはもうお前に、家族面できなくなっちゃうな」


 高校生になってからウザいほど弟に絡んでいたのも、きっとずっとは続かないという恐れがあったからだった。


 もしあやめが実の子でないとしたら、自分を本当の家族だと思っているのは、この世に弟だけ。だからあやめは恭にだけは気兼ねなく甘えられた。


 けれど自分はやはり本当の家族ではなくて、恭もそれを知ってしまった。もうこれまでのようには甘えられないと、あやめは静かに喪失を受け入れた。


 ところが恭は、振り絞るように言い返す。


「……血が繋がってないから、なんだって言うんだよ。勝手に悲観して、勝手に余所余所しくなるな」


 その言葉に、あやめが伏せていた顔を上げる。


 姉は目に涙を浮かべて、苦しそうに声を震わせながら言う。


「でも私たちは他人なんだぞ。ただ同じ家で育てられただけの」

「血の繋がりなんて目に見えないもん知らねぇよ。赤ん坊の頃から、ずっと一緒に暮らしてきただろ。俺にとっては血が繋がってるだけのじいちゃんたちより、お前のほうがよっぽど家族だよ」


 恭はあやめの前に腰を下ろすと、繋ぎ止めようとするように小さな手を取る。


「だから血が繋がってないくらいで勝手に他人面すんな。今までさんざん姉貴面してきたんだから、これからも安心して家族でいろよ」


 その言葉に、あやめはくしゃっと顔を歪めて問う。


「……本当に? これからも家族でいていい?」

「いいに決まってんだろ」

「大人になっても、ずっと一緒にいてくれる?」

「いるよ。ずっと」


 力強く誓う恭に、あやめは泣きながら続ける。


「お姉ちゃんの言うこと、なんでも聞いてくれる?」

「あ?」

「血の繋がりが無い代わりに、お前自身の意志で、弟としてお姉ちゃんに絶対服従すると誓うか?」


 か弱い泣き顔で、とんでもない要求をする姉に弟は呆れた。


「どさくさに紛れて不平等な契約をさせようとすんな」


 流石に拒否する恭に、あやめはくわっと八重歯を見せて叫ぶ。


「やだ! だって家族の中で私だけ他人なんてエライことだぞ! お前が絶対服従を誓ってくれないと、お姉ちゃん安心できない!」

「もう絶対に大丈夫だろ、お前」


 しかしあやめは縋るように恭の手を握り返すと、


「……やだ。私だけ家族じゃないなんて怖いよ。誓えよ~……」


 と声を震わせてポロポロと涙を零した。


 いつもの癖でふざけているだけで、本当は心細いのか。


 そう察した恭は、ため息を吐いてワガママを受け入れる。


「……分かったよ。絶対服従でもなんでもしてやるから。勝手に独りになるな」

「じゃあ、誓いのキスしてくれ」


 手を差し出すあやめに、恭は嫌そうに顔を歪める。


「主にでもなったつもりか?」

「絶対服従を誓うなら、似たようなもんだぞ」


 恭は少しの逡巡の後、騎士のように跪いて、あやめの手を取ると、


「……一生、絶対服従してやる」


 と手の甲に口づけて、不満そうに顔を上げる。


「これでいいか?」


 あやめは涙の残る目で「うんっ」と笑って、


「へへ~っ。主従の誓いならぬ姉弟の誓いをしたからには、血の繋がりが無くてもお前は私の弟だぜ~」


 と目の前の恭にギュッと抱き着いた。


「さぁ、忠実なる私の弟よ! お姉ちゃんを駅までおんぶするのだ!」

「はいはい」


 今日だけは甘やかしてやるかと、恭はあやめを駅までおんぶしてやった。


 姉弟が家に戻るまでに母は義理の両親から、あやめに秘密を話してしまったと電話で謝罪された。


 戻って来た姉弟を見た静香は「あやめ……」と沈痛な面持ちで呟いた。


 まるで罪人のような態度に、あやめは優しく微笑んで返す。


「そんな顔しないで。私のせいで大変だったのは母さんのほうでしょ。本当の子どもじゃないのに今日まで大切に育ててくれて、ありがとう」


 恭には尊大に振る舞っていたが、本当の娘じゃないと知った以上、これまでのように甘えることはできない。


 「高校を卒業したら家を出ないとな」とまで、あやめは考えていた。


 しかし、あやめの言葉に、


「そ、そんなこと言わないでぇぇ」


 静香はドバッと滝のような涙を流すと、


「血が繋がってなくたって、あやめはお母さんの子どもでしょ~!? よその子みたいな顔しないで~!」


 と叫んで娘の冷え切った体をギュッと抱き締めた。


 あやめは母の腕に抱かれながら、信じられない気持ちで尋ねる。


「……いいの? これからも母さんの本当の子だと思って」


 その質問に母ではなく後ろに立っていた恭が、ポンとあやめの頭に手を置いて答える。


「だからそう言ってるだろ。血が繋がってなきゃ家族じゃないなんて思ってんの、お前だけだ」


 自分を抱き締める母の腕。頭に置かれた弟の手。その温かさに、あやめは涙ぐみながら、


「じゃあ、これからも母さんの子がいい。ずっと、この家の子どもでいたい」


 と泣きながら母を抱き返した。


 そんな娘に、静香はいっそう腕の力を強めて言う。


「う~っ! あやめはとっくにお母さんの子だもん! 嫌だと言ったって離さないんだから!」


 その後。あやめたちはリビングに移動して、本当の出生について聞かされた。


 あやめの母である文川芹(ふみかわせり)は父親のいない子として生まれ、実母も育てきれないからと、施設に預けられた。


 静香とは小学校で出会い、大の親友になって、家にもしょっちゅう遊びに来ていた。そのまま泊まることも多く、静香の両親にも「娘がもう1人できたみたい」と可愛がられていたそうだ。


 父方と違って母方の祖父母が、実の孫である恭と同じくらい自分を可愛がってくれたのは、実母と面識があるからかとあやめは思った。


 あやめの父親はいい人だったが、交際中に事故死。芹は彼が亡くなってから妊娠に気付いた。


 皮肉にも、かつて自分を捨てた母と同じ立場に立たされた芹は、


『私はこの子を絶対に手放さない。どれだけ苦労しても世界一幸せにする』


 と生まれたばかりのあやめを抱き締めて誓った。


「……でも1人でがんばりすぎちゃったのね。『なんでも頼って』とは言ったんだけど、私もすぐに恭を妊娠したからか、芹が実際に頼ってくることはほとんどなくて。まだ若いのに過労で亡くなっちゃった」


 あやめの母も、もともと体が強い方ではなかったらしい。それなのに高卒で、いいとは言えない労働環境で、家族の助けなく子どもを抱えて1人で生きていた。その苦労に心よりも先に体が壊れてしまったようだ。


「それがいつも墓参りに行ってた人?」


 あやめの問いに、静香は涙を堪えながら頷く。


「そう。まだ赤ちゃんだったあなたを置いて逝ってしまったこと、とても無念だっただろうから、せめて顔だけでも見せてあげたくて」

「写真とかある?」


 あやめの要求に、母は自分の机の奥に大事にしまっていたアルバムを持って来た。そこには、あやめの本当の母が子どもの頃から亡くなるまでの写真が収まっている。


「……ああ、本当にこの人がお母さんなんだな。私にソックリだ」


 あやめの横から、静香も愛おしそうに亡き親友の写真に目を落とす。


「姿だけじゃなく性格も似ていたのよ。辛い境遇のはずなのに、友だちの前ではいつも明るくおどけて、ふざけているようで、人の悲しみや苦しみに誰より敏感で、真っ先に手を差し伸べてくれる子だった」

「大好きだったんだね。お母さんのこと」

「ええ、とても」


 静香はとうとう堪え切れずに涙すると、優しく目を細めて微笑む。


「だからあなたに、芹のことを話せて良かった。あの子は今でもお母さんのいちばん大切な友だちで、あなたをとても愛していた。それを、ずっと伝えたかったの」


 そして亡き親友の温もりを代わりに伝えようとするように、あやめを抱き締めた。


【オマケ】


 それから数日後。飲み物を取りに自室を出たあやめは、リビングからチーンと音がしたのに気付いた。


 様子を見に行くと、恭がリビングの棚に置かれた遺影に手を合わせていた。


「珍しいな。お前が父さんに手を合わせるなんて」


 母は毎日お供えをしているが、子どもたちは命日やお盆など特別な日にお線香をあげるくらいだった。


 しかしあやめの指摘に、恭は「違う」と先日棚の上に新たに置かれたもう1つの遺影を指す。


「お前の母さんのほう」

「なんで? 自分の親じゃないのに」


 目を丸くするあやめに、恭は「なんでって……」とバツが悪そうに言葉を詰まらせると、


「お前を産んでくれた人だし、一度くらい礼を言っときたいだろ」


 と気恥ずかしそうにそっぽを向いた。


 つまり恭にとっての彼女は、あやめを産んでくれた恩人らしい。


 あやめはその気持ちが嬉しくて「えへへ」と恭に身を寄せた。


「なんだよ?」


 弟はまたからかわれているのかと眉をひそめたが、姉は珍しく素直な笑みで答える。


「いや、いい家族を持って幸せだなって」


 その一言であやめはふと、


(今ここにある幸せの全て、この人が産んでくれたお陰なんだよな)


 と気付いた。


 赤ん坊の頃に亡くなった実母のことを、あやめは全く覚えていない。けれど彼女の想いと行動の先に今の自分がいる。


 だから、あやめは恭の隣で、


(お母さんのお陰で、私はすごく幸せだよ。この人たちと出会わせてくれて、ありがとう)


 写真の中で笑う亡き母に感謝した。

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