全てが壊れるお正月・真相
元旦の八神家。
夜、あやめの入浴中に母が恭の部屋を訪ねた。
「恭、ちょっといい?」
「何?」
「八神のおじいちゃんたちが、お正月に家に来ないかって。久しぶりに顔を見たいし、お年玉をあげたいからって」
「やだ」
瞬時に断る息子に、母は眉を下げて粘る。
「ダメ? お盆も会いに行かなかったし、せめてお正月の挨拶くらいは……」
しかし恭は母の発言を遮るように拒否する。
「母さんだって、じいちゃんたちとはもう何年も会ってないだろ。どうして孫だからって、俺だけ会いに行かなきゃいけないんだよ」
恭の言うとおり、父が死んでから母も義理の両親とは疎遠になっていた。けれど他人の自分と縁が切れるのはともかく、実の孫である恭とまで会えないのは寂しいだろう。
そう考えた静香は、
「八神のおじいちゃんたちには他にもお孫さんがいるけど、亮一さんの子どもは恭だけだから。亮一さんが早く亡くなったからこそ、その子どもである恭に会いたいんだと思うわよ」
と息子を諭そうとした。
しかし恭は即座に切り返す。
「じゃあ、なんであやめには言わないんだよ? アイツだって父さんの子どもだろ」
母がわざわざあやめの入浴中に自分に話しかけて来たことに、恭は気づいていた。それは祖父母がまた恭にだけ会いたがっている証拠だ。
「それはそうだけど……」
恭の指摘が正解であることを、静香はきまり悪そうに認めた。
なんで父方の祖父母は、あやめをまるで存在しないかのように扱うのか?
恭はそれがたまらなく嫌で許せない。
「俺だって自分のじいちゃんとばあちゃんに冷たくしたくないけど、あの人たちは俺とアイツで差をつけてくるからやだ」
ところが恭が強く拒絶すると、薄く開いたままのドアの向こうから声がかかる。
「そんなこと言わないで、一年に一度くらい会ってやれよ」
それは風呂に入ったはずのあやめだった。
着替えを忘れて部屋に取りに戻ろうとしたところ、2人の会話を偶然耳にした。
「あ、あやめ」
「聞いてたのか?」
気まずそうな家族に、あやめは平気な顔で言う。
「別に変な気を遣わなくていいぞ。人間なんだから身内でも好き嫌いがあって当然だろ。私も父方のじいちゃんたちは苦手だしな」
「だったら苦手な相手に気を遣う必要ないだろ。俺だって、あの人たちに会いたくない」
弟は尚も拒んだが、姉はすぐにこう返す。
「でもお前がじいちゃんたちを嫌うのは私のせいなんだろ? じいちゃんたちとは合わないだけで憎んでいるわけじゃないし、私のせいでお前に嫌われるのは気の毒だわ」
さらに普段は傍若無人なくせに、まるで大人のような笑い方で、
「だから呼ばれたなら顔くらい見せて来い。父さんの分も孝行してやれ」
と夏休みは祖父母の要望を無視した分、正月くらいはと弟に勧めた。
あやめにまで言われると、恭は自分が祖父母に非道なことをしているのかと後ろめたくなった。
「……じゃあ、お前も来いよ。1人では行きたくない」
「呼ばれてもないのに行けって? 酷なこと言うじゃん」
一瞬あやめが顔を歪めたのに気づいて、恭はすぐに発言を撤回する。
「……お前が嫌ならいいけど」
ところが今度は、あやめが急に前言を翻す。
「いや、やっぱり行こうかな」
「なんで? 嫌だったんじゃないのか?」
眉をひそめる弟に、姉は卑屈な薄ら笑いで答える。
「私がいないところで、何を言われてるか分かったもんじゃないからな。本人がいれば滅多なことは言えんだろ」
「別にじいちゃんたちは、お前を嫌ってるわけじゃないと思うけど」
珍しく気を遣う恭に、あやめはわざと呑気に誘う。
「まぁ、とにかく一緒に行こう。正月に顔を見せれば、お年玉がもらえるかもだしな」
そんな経緯から姉弟は三が日の間に、祖父母に会いに行くことになった。
1月3日。事前に母から連絡してもらい、2人は祖父母の家を訪れた。
「おお、恭! よく来てくれたな!」
孫との再会を待ち侘びていた祖父は、満面の笑みで玄関を開けた。
けれど、すぐに恭の陰に隠れた小柄な姿が目に入る。
「あっ……お姉ちゃんも一緒なのね?」
招かれざる客を見て、祖母はギクッと顔を強張らせた。
気まずそうな祖父母に、あやめは「ひひっ」と笑って返す。
「すみませんね。呼ばれてもないのに来ちゃって」
「そ、そんなことはないけど」
急に余所余所しくなる祖父母の態度から、やはり歓迎しているのは自分だけかと察した恭は、
「……顔を見せに来ただけだし、すぐに帰るから気にしなくていいよ」
と冷淡に返した。
そんな孫を、祖父は慌てて引き止める。
「すぐに帰るなんて寂しいことを言わんでくれ。久しぶりに会えたんだし、上がっておせちでも食べて行ってくれ」
「せっかくだけど、これから友だちと初詣に行くから」
それは事前に用意した嘘の言い訳だった。
完全に無視するのは気が引けるが、なぜか姉を差別する祖父母とおせちをつまんで笑い合うことは、恭にはとてもできなかった。
「そ、そうか。じゃあ、せめてお年玉だけでも」
祖父は残念そうにしつつも家の奥に引っ込んで、用意していたらしいお年玉を持って来た。
祖父は恭にお年玉が入ったポチ袋を渡すと、あやめにはティッシュに包んだお金を差し出した。
「悪いな。お姉ちゃんの分は用意してなくて」
「いや、私は……」
お年玉を渡されて、あやめは困った。
恭には「お年玉をもらえるかも」と言ったが、本当は自分になんの情も無い祖父母から、お金を受け取るつもりはなかった。
けれど、あやめが断る前に、
「それ、ちょっといい?」
と弟が代わりに、姉のお年玉を奪う。
「きょ、恭? どうしたんだ?」
戸惑うあやめをよそに、恭はそれぞれのお年玉を確認した。
「って、おい。目の前で金額を確かめるヤツがあるか」
あやめの言うとおり、くれた人の前で金額を確かめるなんて失礼だ。
しかし恭が知りたかったのは、金額そのものではない。
「……なんで俺は1万で、コイツは千円なの?」
そもそもあやめの分は用意していなかった時点で扱いの差は明らかだが、それにしても金額の開きが大きすぎる。
それはまるで『嫌々お情けでやるのだ』と強調しているかのようだった。
「いや、それは急だったから……」
「いいよ、恭。勝手に来たんだし、もともともらうつもり無かった」
この期に及んで祖父母を庇う姉に、弟はかえって憤りが止まらなくなる。
「今回だけじゃないだろ。誕生日や入学祝いだって、あやめはいつもスルーだった。菓子も小遣いも昔から俺にだけくれて、コイツにはやらないか少ないかのどっちかだった」
あやめは子どもの頃でさえ、恭の前では平気なフリをしていた。
しかし恭がいない時、両親の前では、
『なんで、おじいちゃんたちは恭だけ可愛がるの? おじいちゃんたちは、あやめが嫌いなの?』
弟と差をつけられるたびに傷ついて、いつも隠れて泣いていた。
それを恭は知っているから、あやめが祖父母を思いやるほど、そんな姉を顧みない祖父母が憎くなる。
「コイツはそういう謎の差別、気にしてないから、じいちゃんたちに優しくしてやれって言うけど、俺は無理だ」
恭はとうとう拒絶の理由を祖父母本人に突きつけると、
「もうじいちゃんたちには会いたくない。金も要らない。さよなら」
と姉の手を引いて帰ろうとした。
「ちょっと待ちなさい、恭君!」
鋭い声で呼び止めたのは、祖父母と同居している叔母だ。
叔母はドタドタと足音を立てて玄関までやって来ると、大声で怒鳴り散らす。
「黙って聞いてたら好き勝手言って! その子のせいで、お父さんたちを憎むなんてあんまりよ! 静香さんにとっては亡くなった親友の娘でも、うちにとっては赤の他人だもの! 実の孫と同じように愛せるはずないじゃない!」
「……は?」
あやめが母の亡くなった親友の娘? 八神家にとっては赤の他人?
叔母の言うことが理解できず恭はポカンとした。
「ちょっと美穂! 本人の前でなんてこと!」
祖母が青くなって咎めたが、叔母はますます声を荒げる。
「父さんも母さんもお人よしすぎるわよ! いくらその子が可哀想だからって実の孫に憎まれてまで、静香さんが押し付けた秘密を守ろうとするなんて!」
「……どういうこと? 叔母さんは何を言ってんの?」
戸惑った弟は、助けを求めるように姉を振り返った。
ところがあやめは恭の手を振り払うと、
「あやめ!」
咄嗟に呼び止める弟を無視して、脱兎のごとく逃げ出した。




