2人で花火・2
あやめが満腹になったので、姉弟は食べ歩きをやめた。
花火の時間になるまで適当に屋台を見回っていると、再び声をかけられる。
「あれ? もしかして八神?」
しかし今度の対象は、恭ではなくあやめだった。
しかも声をかけて来た男は、あやめにとって最悪の相手だった。
「えっ? 誰、その子? 柴崎君の知り合い?」
連れの女の子が名を呼んだことで、姉弟は目の前の男が、あやめが中2の時にデート詐欺を仕掛けて来たいじめっ子だと知った。
柴崎は連れの女の子を振り返りながら、ぞんざいにあやめを指差す。
「ああ、コイツは中学の時の同級生。しかし全然変わんねーな。身長も少しも伸びてねーし。せっかく浴衣を着ても陰キャブスのまんま」
普段は偽悪的に振る舞っているあやめだが、未だにブスは傷つく。それも適当な格好ならともかく、珍しくオシャレしている時に。
いつものように言い返すこともできず、ただ身を固くしてしまうのは目の前の男を恐れているから。
(こんなくだらないヤツの何が怖いんだ)
頭ではそう思うのに、実際は相手の顔も見られない自分の弱さをあやめは恥じた。
そんなあやめの代わりに、
「勝手にコイツに話しかけんな」
と弟が自分の背に姉を隠すように割って入る。
そんな恭の対応に、柴崎は顔を歪めて問う。
「なんだよ、お前。もしかしてコイツの彼氏とか言わないよな? まぁまぁモテそうなのに、こんなチビブスと付き合うとか趣味悪すぎだろ」
中2の時、先に攻撃したのは柴崎だ。けれどあの時は恭に殴られた挙句、あやめにも悪態を吐かれた。
柴崎は自分が一軍で、あやめは底辺だと思っている。だから自分より格下の取るに足らない相手が、やり返してきたことが許せない。そんな心理から自分の優位を知らしめようと、ことさらあやめを貶そうとした。
本人すら自覚していない加虐心の理由が、恭に分かるはずがない。ただ実際の言動だけでも、目の前の男を憎むには十分だ。
「テメェに関係ねぇだろ。それとコイツにとって何者でもないテメェが、気安くコイツ呼ばわりすんな」
遠慮なく敵対する恭に、柴崎もカッとなる。
「なんだよ、そっちこそ偉そうに! 俺はコイツと話してるんだから、外野が勝手に口を挟むなよ!」
声を荒げる柴崎に、ずっと俯いていたあやめが口を開く。
「いい加減、黙れクズ」
「あ!? 今なんて言った!?」
大声で威圧する柴崎に、あやめは顔を上げると余裕の笑みで言い放つ。
「いい加減、黙れクズって言ったんだ。でもこれは罵倒じゃなくて忠告だぞ。女連れなのに、クズの本性を晒していいのかと心配してやっただけ。まぁ、そっちの子の幸せを考えれば、お前みたいなクズとは早めに別れたほうがいいだろうけど」
「何を……!」
流れるようにディスるあやめを、柴崎が再び罵る前に、
「あの……私、帰るね」
と連れの女の子が遠慮がちに声を上げる。
「えっ!? どうして急に!?
ギョッとする柴崎に、連れの女の子は目を逸らし後ずさりしながら答える。
「どうしても何も……その子と何があったのか知らないけど、人前でこんな言い争いをするとかヤバすぎ。私、乱暴な人は無理だから。ゴメンね」
こうもあっさり帰るところを見ると、まだ恋人ではなく攻略中だったのだろう。
狙っていた子に逃げられた柴崎は、キッとあやめを振り返って怒鳴る。
「どうすんだよ!? お前のせいで、あの子に逃げられたじゃねぇか!」
あやめは目の前の男を指しながら、冷ややかな笑みで恭に話しかける。
「見たか、恭。見事な責任転嫁だ。自分の非を他人のせいにするヤツは、反省しないから一生成長しない。お前はコイツみたいな馬鹿になるなよ」
「なりたくてもなれねぇよ。ここまでのクズ」
ここまで煽れば、普通は手が出てもおかしくない。
けれど恭は空手の有段者で、ボクシングのインハイ王者だ。服を着ていても、素人とは明らかに体つきが違う。
要するに見るからに強そうなので、柴崎は迂闊に手が出せず、
「このっ! 男連れだからって馬鹿にしやがって! 覚えてろよ!」
と、吠えるだけ吠えて去って行った。
あやめは柴崎の背を見ながら、薄笑いで述べる。
「アイツ、お前が誰か分からなかったみたいだな。恭が弟だと言わないでくれたおかげで、恋人持ちマウント取れた。やったぜ!」
二パッと八重歯を見せる姉に、弟は少しホッとした。
「もう平気みたいだな」
「何が?」
「声をかけられた時は固まってたから」
恭の指摘を、あやめは否定するか迷った。普段は大げさに嘆いたり喚いたりしているが、本当は自分の弱さや恐れを人に見せるのが嫌いだからだ。
ただ今回は、
「ぶっちゃけお姉ちゃん、1人だったらいいようにやられてたわ。でもお前が代わりに怒ってくれたから、1人じゃないって思い出せた」
と素直に本心を見せた。恭が代わりに言い返してくれて本当に嬉しかったから、ちゃんと感謝を伝えるために。
「さっきは庇ってくれて、ありがと」
「……別に家族だし普通だろ」
「ひひっ、お前が弟でラッキー。お姉ちゃん、お前という後ろ盾があれば、いくらでも威張れるぜ!」
「そこは少しは自重しろ」
この一件は、これで終わりと思われた。
しかし2人が再び屋台を見て回っていると、
「ああ、悪い。手が滑ったわ」
と、あやめの浴衣に熱気で溶けたチョコバナナがべちゃりと擦り付けられる。
その相手が柴崎だと分かった瞬間、わざとだと察した恭は激高した。
「テメェ!」
「恭! 殴るな!」
あやめの鋭い制止。中2の夏と同様、また泣き寝入りする気か。
けれど恭の予測とは反対に、
「捕まえろ!」
と、あやめは叫んだ。
その指示に従って、恭は素早く柴崎を拘束。姉弟はそのまま柴崎を人気の無いところに連行した。
「な、なんだよ!? 放せよ、この馬鹿力! ちょっとぶつかっただけだろ!?」
わざと浴衣を汚されても、あやめの性格ならやり返せないだろうと考えていた柴崎は、恭に捕まって慌てた。
「うん。でもお前のチョコバナナのせいで、私の浴衣が汚れたのは事実だな? これは友だちから借りた大事な浴衣なのに」
あやめは迫力のある笑顔で柴崎を見据えると、低い声で命じる。
「お前が汚したんだから弁償しろよ」
「べ、弁償って……浴衣が汚れたくらいで……」
「浴衣が汚れたくらいでって思うなら、お前にとってクリーニング代は安いらしいなァ? じゃあ、気前よく払ってくれよ」
可愛いはずの浴衣姿が、今は着流し姿のヤクザの親分のようだ。後ろに立つ恭も、まるで組の若いモンに見える。あやめはその筋の人のような貫禄で柴崎を脅迫する。
「お前がダメなら親でもいいぞ。さっきの暴言と合わせて、どんな成り行きでこうなったか。今からお前の家に行って、ご両親に全部説明してやろうか?」
家ではいい子ぶっている柴崎は、家族に知られることを恐れて観念する。
「ああっ、分かったよ! いくら払えばいいんだよ!?」
あやめはスマホで浴衣のクリーニング代を検索すると、柴崎に金額を伝えた。
「浴衣のクリーニング相場は3千円から5千円だってさ。お前の不足分なんて払いたくないから、足りなくて困らないように5千円」
「うぅ、なんで俺が」
涙目で愚痴る柴崎を、あやめは悪魔のような笑顔で脅す。
「あ? 自分で払いたくない? 親呼ぶか?」
「払う! 払うから大事にすんな!」
八神姉弟に5千円をむしられた柴崎は半泣きで去って行った。
そんな柴崎の背を見ながら、あやめは「ひひっ」と意地悪に笑って言う。
「アイツ、本当に馬鹿だな。多分そのうち、もっとヤバいことやらかすぞ」
中学の時は見目がよく女子に人気の柴崎が頂点で、クラスに友だちのいないあやめは底辺だった。
他人が決めたヒエラルキーのせいで劣等感を持っていたが、久しぶりに会ったらあまりにくだらない男なので、あやめはいい意味で馬鹿らしくなった。
柴崎をやり込められたのは良かったが、
「浴衣の染み、大丈夫か?」
恭の指摘どおり、ほのかに借りた浴衣が汚れてしまった。
「分かんない。下手に触るのも怖いから、ほーちゃんに相談して、このお金も渡す」
ほのかのことだから怒りはしないだろうが、クリーニングで済まなければ弁償になるかもしれない。
そんなあやめの懸念を読んだように、恭が助け船を出す。
「足りなかったら、俺も一緒に弁償する」
「なんで? お前のせいじゃないだろ」
「お前のせいでもないだろ」
病気の時と同様。普段は冷たいフリをしているこの弟は、姉が本当に辛い時は全力で助けようとする。
その気遣いがありがたくて、あやめは自然と笑顔になる。
「じゃあ、もしもの時は頼む」
浴衣についての話は済んだが、他にも心残りがあった。
「花火はどうする?」
「見たかったけど……この格好で人前に出るのは、ちょっとアレだな」
何せ柴崎はわざとだったので、チョコの染みは浴衣の目立つところにベッタリとついている。
(花火を見られないのは残念だけど、帰るしかないか)
けれど諦めかけるあやめに、恭がこんな提案をする。
「じゃあ、人のいないところを探せば? その分、見にくいかもしれないけど、全然見られないよりはいいだろ」




