インターハイ
8月上旬の6日間はボクシングのインターハイだ。
近場なら、あやめも母と応援に行きたかったが、会場は北九州なので流石に断念した。
「お姉ちゃんがいなくてもがんばれよ~」
「いないほうが集中できるよ」
そう言って姉弟は別れた。
春の大会で準優勝した恭は、インターハイも順調に勝ち進んだ。
最終日の前夜。恭は宿泊所を出ると建物の陰で、あやめに電話をかけた。
『試合どうだった?』
「勝った。明日、準決勝と決勝」
端的に報告する弟に、姉は「おお」と声を弾ませる。
『すごいじゃん。今度は優勝できそうか?』
決勝でぶつかるのは、春の大会で負けた相手だ。しかし相手の試合を観察したところ、今の自分なら勝てそうだと恭は感じた。
しかし油断は大敵だと、姉の質問には謙虚に答える。
「それは実際にぶつかってみないと分からないだろ」
『そこは嘘でも勝つって言えよ。気持ちで負けたら勝てるものも勝てんぞ』
「自分のほうがネガティブなくせに」
恭のツッコミに、あやめは電話の向こうで投げやりに笑って返す。
『お姉ちゃん、自分の人生は適当だが、お前には期待してるから』
「自分の人生もがんばれ」
『まぁ、お姉ちゃんのことは置いといて。お前が活躍すると、やっぱり嬉しいから、明日は優勝して、すごいところ見せてくれ』
恭は姉と、武道の神社に御参りに行ったことを思い出した。
あやめは恭が優勝するようにと願掛けした。しかし春の大会では力及ばず準優勝。とても悔しくて、今度こそはと恭自身も思っていた。
「……優勝したら何かくれる?」
ふと思いついて問うと、あやめは電話の向こうで「いいぞ」と気前よく答える。
『優勝したら昔みたいに一緒に風呂でも入ってやろうか?』
「大事な試合前に萎えること言うな」
瞬時に拒否された姉は、ややショックを受けて呟く。
『ガチ目に注意された。昔は一緒にお風呂で喜ぶ子だったのに』
「もう高校生なのに、姉と風呂に入りたがるほうがおかしいだろ」
『まぁ、それはそう』
もともと冗談なので、あやめはあっさり撤回した。
『じゃあ。今度の花火大会、出店でなんでも買ってやるってことでどう? 言うて、まだ印税が入ったわけじゃないから3千円以内だが』
姉の提案に、弟は「いいよ、金とかは」と奢りを断った。
「……特に案が無いなら、俺が決めていい?」
『何?』
「……花火、2人で行きたい」
夏休みが始まる前、あやめは今年は海や花火大会に行くと言っていた。その花火大会に恭は2人で行きたかった。
弟の珍しいワガママに、姉は「ええっ?」と困ったような声を上げる。
『もともとほーちゃんとの約束なんだけど。ていうか、なんで2人がいいんだ?』
「お前だって俺の友だちと会うの嫌だろ。俺はあの人苦手だし、一緒に行動したくない」
控えめに食い下がるも、あやめは「え~?」と否定的な反応をする。
『花火より屋台より、ほーちゃんと浴衣で遊ぶのを、いちばん楽しみにしてたんだけどな~』
ここまで嫌がられると思わなかった恭は発言を後悔した。
「……嫌ならいいよ。なんも無くて」
『あっ、恭』
何か言いかけるあやめを無視して、一方的に通話を切った。
翌日。準決勝の後。
「八神、さっきの試合はどうしたんだ? 準決勝とは言っても、普段のお前なら手こずるような相手じゃないのに」
「……すみません。なんか今日は調子が出なくて」
顧問の目から見ても、恭は明らかに沈んでいた。
恭は体力、運動神経ともに恵まれている上に、才能に驕らずコツコツ努力できる。順調に行けば、日本一どころか世界も目指せる逸材だ。ただ精神面がやや不安定で、コンディションの浮き沈みが激しいと顧問は感じていた。
「プレッシャーをかけたくないが、お前はうちのボクシング部のエースなんだ。全力を出して負けるなら仕方ないが、決勝の大舞台に立てなかった者たちのためにも試合に集中してくれ」
顧問の激励に恭は従順に「……はい」と返事をしたが、明らかに生気が無い。本人も顧問も決勝はダメかもしれないと思った。
しかし決勝まで残り10分。あやめから電話が来た。
「なんだよ? これから試合なのに」
『昨日の話の続き。これから試合ってことは、まだインハイ終わってないよな?』
「これから決勝」
『おお。じゃあ、準決勝は勝ったんだ?』
あやめの嬉しそうな声。
家族、顧問、仲間。
恭としても期待を裏切りたくはない。だからこそ無駄に期待させたくなくて、こう答える。
「……でも多分、決勝は負けるわ」
『なんでだよ!? まだ戦ってもないのに!』
「今日なんか調子悪い」
勝たなければという意思とは裏腹に、どうしようもなく気力が落ちる。そんな弱点を恭も自覚していたが、どうしようもなかった。
『怪我でもしたのか? 大丈夫?』
「怪我とかじゃないけど」
恭の声を聞いたあやめは、確かに元気が無さそうだと感じた。
『まぁ、いちばん大事なのはお前の体だし。無理してまで勝てとは言わんけどさ』
姉は弟の弱気を許すと、本題に入る。
『昨日お前と電話した後、ほーちゃんと話した。お前が優勝したら、2人で花火に行っていいかって』
「えっ? ……でも俺が頼んだのになんだけど、急に約束を破ったら気を悪くしないか?」
昨日はついねだってしまったが、自分のために先約を破らせるのは悪い。それも、あやめにはほのかしか友だちがいないのに。
もし自分のせいで、たった1人の親友と気まずくなってしまったらと恭は心配した。
『そうだけど、お前が私に何かしてなんて頼むのは珍しいし、2人だけでお祭りに行ったことも無いだろ。高校最後の思い出に、お前と2人で花火に行くのもいいかなって』
あやめは気に病ませまいと明るく言うと、
『でもそれは勝っても負けても行ってやるから、具合が悪いなら無理しなくていいぞ』
と不調の弟を気遣った。
恭の活躍が嬉しいのは本当だが、勝てなきゃ愛されないとは思って欲しくない。
ところがその言葉に恭は、
「いや、勝つわ」
と突然やる気を出した。
『なんで急に?』
呆気に取られる姉に、弟はこう答える。
「負けたら花火、綺麗に見えないだろ」
恭の返事を聞いたあやめは、
(コイツ、そんなに花火が好きなのか)
と少し驚いた。しかし確かにインターハイで負けたら、花火どころではないだろう。
『じゃあ、勝って一緒に綺麗な花火を見ようぜ』
と、あやめは改めて恭と約束した。
八神姉弟が話している頃。決勝戦の相手は、顧問と最後の打ち合わせをしていた。
「これから決勝だが、準決勝を見た限り八神は調子が悪そうだな」
顧問の言うとおり、誰の目から見ても恭は不調だった。どこか痛めているというより、集中できていない感じ。
この大舞台で集中できていないなんてボクシングを舐めていると、決勝戦の相手は恭に腹を立てていた。
「八神は空手の大会では小中と敵無しだったようだが、ボクシングを始めたのは高校からだ。始めて1年で全国大会準優勝は確かに脅威だが、小5から一途にボクシングを極めて来たお前の敵ではない」
顧問に言われずとも、決勝戦の相手には自分のほうが長くひたむきにボクシングに取り組んで来た自負があった。
去年、空手から気まぐれにボクシングに転向した男に、簡単に負けるわけにはいかない。
「そう簡単に全国を取れるほど、ボクシングは甘くないと今回も思い知らせてやれ!」
「はい!」
春の大会に続き、インターハイでも自分が勝つ。
そんな意気込みで臨んだ決勝戦。
「うぉぉ!? 恭すげぇ! どんだけラッシュを続けるんだ!?」
「アイツ、ちゃんと息してる!?」
恭は息をも吐かせぬ猛攻で、春の大会の王者をあっという間にリングに沈めた。
「準決勝は辛くも判定勝ちだったのに、決勝では春の王者を1ラウンドでKOって。恭のコンディション、読めなさすぎる……」
呆然とする仲間たちをよそに顧問は、
「八神~! なんか今日はいつも以上にテンションの乱高下が激しかったけど、勝てて良かったな、八神~!」
と叫びながら感激の涙を流した。




