夏休みのご予定は?
7月中旬の夜。八神家のリビング。
ソファーに座っている恭に、あやめは「へっへっへ」と薄ら笑いで切り出す。
「もうすぐ夏休みですね」
「なんだよ、いきなり気持ち悪い」
気味悪そうに返す弟に、姉は少しも動じず話を進める。
「夏の予定はもうお決まりかい?」
「夏休みって言ってもインターハイが終わるまでは、ほとんど部活だぞ」
恭はボクシング部に所属しており、今年の春に全国大会で準優勝した。夏のインターハイでは優勝を期待されており、恭自身も目標としていた。
「それが終わったら? 友だちと海とかプールとか行かないの?」
「去年酷い目に遭ったから、今の友だちとはもう行かない」
「酷い目って?」
首を傾げるあやめに、恭は苦々しい顔で答える。
「普通に海で遊ぶんだと思ってたのに、俺をエサにナンパしまくってた」
ゴールデンウィークの時と同様、陽太はちょくちょく恭を女子を釣るエサにする。
それで収穫があるならまだいい。しかしけっきょく何も得られずに終わるので、恭としてはもう付き合いたくなかった。
「いいじゃん。いかにも盛りのついた高校生らしい青春で」
「俺はそういうギラギラした集まりはやだ」
「じゃあ、今年は私と海に行かん?」
「えっ? お前と海?」
姉の申し出に、弟は驚いて問い返す。
「夏と冬は特に家から出たがらない究極のインドア人間が、どういう風の吹き回しだ?」
暑さ寒さに加え、あやめは体が汚れるのが嫌いだ。汗や砂に塗れる夏の海に行きたがるなんて妙だと恭は訝しんだ。
「お姉ちゃんも日々学習するのだ。お前の言うとおり、インドア省エネ人間の私だが、過ぎ去った日々は戻らない。女子高生の間に、少しは青春っぽいことをしておくべきだとな」
女子力に自信の無いあやめは、水着や浴衣などの女性らしい格好は気恥ずかしくて避けていた。しかしそういう特別なお洒落は年齢を重ねるごとに、もっと着づらくなっていく。
いつか着たいと思っているなら、せめて女子高生のうちに着たほうがいい。特にあやめは作家なので、恋愛ものの定番イベントは、あらかた押さえておくべきだと考えた。
「……まぁ、お前が行きたいなら付き合ってもいいけど」
「おっ、珍しく素直だな。今年は海だけじゃなく花火にも行く予定なんだ。良かったら、お前も来る?」
「お前もって……もしかして誰かと約束してんの?」
誰と行くつもりだと眉を寄せる弟に、姉はサラッと答える。
「そうだぞ。高校最後の夏だし、今年はほーちゃんと水着とか浴衣とか着とこうって話してたんだ。私はともかく、ほーちゃんがおめかししたらナンパがヤバいと思われるので、お前も一緒に来てくれ」
「……要するに俺はついでかよ」
ムッとする恭に、あやめは困り顔で尋ねる。
「えっ、ダメか? まぁ、お前がダメなら、ほーちゃんのお兄さんに頼んでもいいけど」
姉の一言に、弟はピリッと反応する。
「……は? 男苦手なくせに、友だちの兄貴と一緒に行くのか?」
「たいていの男は苦手だけど、ほーちゃんのお兄さんはメッチャいい人だから平気」
あやめが生身の男を褒めるなんて珍しいと、恭は詳しく追及する。
「秋津さんの兄貴って、前におさがりもらった人? 会ったことあんの?」
相手は大学生だと言っていたし、直接の面識は無いだろうと恭は勝手に思っていた。
しかし、あやめはこう答える。
「お兄さんも実家暮らしだから、ほーちゃんの家に遊びに行った時とかたまに。前に図書館に行く途中で会って、ついでだからって車で送ってくれたこともあるぞ。妹の友だちだからってメッチャ親切だよな」
「なんだよ、それ。友だちの兄貴だからって、よく知らない男の車にホイホイ乗るなよ」
「こう見えて、お姉ちゃん、人を見る目は確かだぞ。ほーちゃんのお兄さんはマジ善性の塊。お前が心配するようなことなんて、絶対にないから大丈夫」
中2の夏以降。あやめがよその男を、こんなに褒めるのは初めてだ。
被害妄想レベルで男への警戒心が高くなった姉がこんなに心を開くなら、きっと本当にいい人なのだろうと恭は納得した。
が、それと姉を任せるかは別問題だ。
「……やっぱ海は俺が行くわ」
「なんだ、急に? 私たちのお供は嫌だったんじゃないの?」
「最初から嫌とは言ってない」
その割に顔が不機嫌だ。恭のちぐはぐな言動に、あやめは首を傾げながらも同行を受け入れる。
「まぁ、ほーちゃんのお兄さんに迷惑をかけるのは申し訳無いから、お前が引き受けてくれるなら助かるけど」
「ただ海に行くのはいいけど、女2人に男1人は嫌だな」
「じゃあ、やっぱりほーちゃんのお兄さんにも頼むか?」
「その人以外で」
強く拒否する弟に、姉は困惑しながら問う。
「なんで会ったこともないほーちゃんのお兄さんを、そんなに嫌うんだ?」
「別に嫌ってはないけど……いくら男同士だからって初対面の人といきなり海とか、普通に気まずいだろ」
「それもそうか。でも、お前の友だちを誘うとしたら、今度は私が気まずいんだけど」
恭は「だったら」と、ある人物をあやめに推薦した。
翌日、昼休みの学校。
「えっ? お前のお姉さんたちと一緒に海に行かないかって?」
恭に呼び出されて廊下に出た大田原は、突然の誘いに目を丸くした。
「うちの姉が大田原なら緊張しないで話せるって。それに俺も知り合いの中では、お前がいちばん信頼できるから」
「そうなのか? 確かに柔道を通じてよく話す仲ではあるが、お互い普段つるんでいる友だちは別なのに。俺をいちばん信頼してくれてるのか?」
大田原の問いに、恭は槇と陽太を思い浮かべながら答える。
「アイツらを信用してないわけじゃないけど、槇はともかく陽太は女に飢えてるから。アイツを連れて行くと逆に面倒だなって」
大田原には言わなかったが、槇は割と異性に人気があるので、あやめと会わせたくなかった。
一部伏せた恭の返答に、大田原は「なるほど」と納得したが、やましそうに口を開く。
「……しかし女性と海に行くのは初めてで、なんだか浮ついた気持ちになってしまうんだが。こんな俺で大丈夫だろうか?」
コイツも人並みに女に興味があるんだなと思った恭は、こんな質問をした。
「……いちおう聞いとくが、大田原はどんな女が好みなんだ? 性格じゃなくて外見的に」
「が、外見?」
「もっと言えば体型」
「体型!?」
真顔で追及する恭に、大田原はアワアワと赤くなりながら小声で答える。
「ああ、うぅ、その……正直モデルのようにスラッとした人より、肉付きがいいというか、ふくよかな女性が好みだ」
「要するに巨乳がいいのか。じゃあ、よし」
「よし!? ほ、本当にいいのか? 正直、大きな胸に惹かれるなんて浅ましい趣味かと……」
純朴な大田原は、女性らしい柔らかな体に惹かれてしまう自分を恥じていた。
けれど恭は珍しく爽やかな笑顔で肯定する。
「いや、男として真っ当な趣味だろ。うちの姉のようなド貧乳チビが好きとか言われるほうが引くわ」
「確かにお前のお姉さんを狙うのは、いささかマニアックな趣味かもしれないが……」
大田原が同意すると、恭は途端にジト目になる。
「……マニアックで悪かったな」
「いや、悪口ではなく! そもそも顔や体型で女性を選ぶことがよくない!」
慌てて否定する大田原に、恭も気を取り直して話を戻す。
「そういう誠実なお前だから、来てくれたら助かるなって。ただ誘っといてなんだけど、交通費とか飲食代とか自分持ちだから、無理なら断ってくれていい。どうする?」
「……正直お姉さんのご友人との出会いに期待してしまう自分がいるんだが、無理に言い寄ることはもちろんしないから、そのくらいの淡い期待はあってもいいだろうか?」
お姉さんのご友人とはほのかで、恭は彼女にいい印象が無い。正直、大田原にはもっといい相手がいるだろうと思う。
しかし知り合う前から反対するのも野暮なので、
「俺はその人あんまりいいと思わないけど、お前が勝手に期待する分にはいいんじゃないか?」
と本人の判断に任せた。




