母さんより過保護
翌朝。少し回復したあやめは、自分で母に不調を知らせに行った。
本当なら隠しておきたかったが、そうしないと無駄に朝食を作らせてしまう。
あやめの食あたりを知った母は、
「なんで!? なんで具合が悪かったこと、お母さんに言ってくれなかったの!?」
とショックで涙目になった。
あやめなりの思いやりだとは分かるが、母からすれば辛い時に自分を頼ってくれないほうが嫌だ。
「だってもう夜だったし、無駄に心配かけるだけだから」
「夜中でも車を出して、薬を買って来たのに……」
母がそうしてくれると分かっていたからこそ、あやめは言えなかった。それは肉体的な負担だけでなく、心労の面でも同じ。
体が辛いだろうと気を揉ませることも、何もしてあげられなかったと悔やませることも、あやめはできるだけしたくない。
だから今も母が安心するように、不調を隠して微笑んで見せる。
「薬は恭が買って来てくれて飲んだから平気。もう吐き気も無いし、後は寝てれば治るよ」
「本当に病院は行かなくていいの? いちおう診てもらったほうがよくない?」
静香は看護師なので、本当に危険な状態は分かる。あやめはもう快方に向かっており、本人の言うとおり、後は寝ていれば治る。それでも自分の子だと、つい過保護になってしまう。
そんな母に、あやめは苦笑いで、
「だから大丈夫だって。下手に病院に行くより、ただ寝かせてくれ」
と言って自室に戻った。
母は家を出る前、娘の部屋に寄って声をかける。
「じゃあ、お母さんは仕事に行くけど、何かあったら遠慮しないで連絡してね。別に早退したっていいんだから」
「本当に大丈夫だから。いってらっしゃい」
静香を送り出すと、あやめは再び寝直した。
食あたりの薬のおかげで、眠れるくらいには腹痛と吐き気が治まっていた。発熱による怠さに逆らわず、そのまますうっと深い眠りにつく。
しかし母が外出して1時間ほど経った頃。カチャッとドアが開く音で、あやめは目を覚ました。
入口に目をやると、部屋着姿の恭が立っている。
「……恭? もう学校終わったのか?」
しかし目覚まし時計を見て、あやめはギョッとした。
「って、まだ9時じゃん。なんでこんな時間にうちにいるんだ?」
「……寝不足だから学校休んだ。どうせ行っても集中できないし」
恭は母に悟られないように制服を着て、いつもと同じ時間に家を出てから、わざわざ戻って来た。
その本当の理由を、あやめは呆れ顔で指摘する。
「とか言って、本当はお姉ちゃんが心配で休んだんだろ? 食あたりくらいで大袈裟なんだよ」
恭は子どもの頃から、あやめがインフルエンザなど重めの病気にかかると、
『心配だから僕も休む!』
と一緒に休みたがった。
無理やり幼稚園や学校に送り出しても、脱走して家に帰って来てしまうので、しまいには周囲が折れた。
ただ今の恭は素直じゃないので、
「違う。本当に眠いから」
と強く否定した。
「じゃあ、部屋で寝てろよ」
「……お前と話してたら眠気飛んだ」
弟はバツが悪そうに言い訳すると、遠慮がちに尋ねる。
「なんかやることある?」
「そんなに扱き使われたいなら、お姉ちゃんの布団でも干せ~」
「そうしたら、お前の寝るとこないだろ」
弟の問いに、姉はへっと笑って返す。
「お前のベッドを奪って、病んだ体で穢してやる」
あえてこんな言い回しをしたのは、恭を怒らせて遠ざけるためだったが、
「じゃあ、俺がベッドに運ぶ」
と言うと、弟はあっという間に、ひょいと姉を抱き上げた。
「おい、冗談だって。病人だからって、そこまでしなくていいよ」
「うるせぇ。病人は大人しくしてろ」
恭はあやめを自分のベッドに運ぶと、姉の寝具を剥がして洗濯した。
昼頃。弟はまた姉の様子を見に来た。
「もう昼だけど、なんか食う?」
「いい。まだ食欲ねぇ」
滅多に体調を崩さない恭は、食欲が無い状態がよく分からない。しかしあやめによれば、食欲が無い時は無理に食べないほうが、胃が休まっていいらしい。
だから恭も食事を取らせるのは諦めて、他にできることを探した。
「……冷却シート貼る?」
「うん……」
恭はあやめの前髪をよけて冷却シートを貼った。
自分のほうが元気を無くしている弟に姉は、
「私ばっか看てないで、お前も寝ろ~」
と勧めた。
自分のせいで寝られなかったのだから、寝不足は嘘じゃないはずだと。
ところが、そう言われた恭は、
「一緒に寝ろとは言ってない」
と、あやめにツッコまれるも、恭は「ここが俺の寝床だし」と強引にベッドに入った。
しかしそれは眠いわけでも、姉に甘えたいわけでもなかった。
「腹に手を当てたら、少しはマシなんだろ」
恭はそう言うと「どうせ寝るなら、こうしてる」と姉の薄い腹に手を当てた。
付きっ切りの看病に、あやめはジト目で述べる。
「母さんより過保護」
「……うるさい。寝ろ」
学校が終わって、しばらくした頃。あやめの体調を心配したほのかが、八神家にお見舞いに来た。
しかしドアを開けた人物に、ほのかは目を丸くした。
「えっ、恭君? 学校は?」
「……俺も具合が悪くて休みました」
あやめが心配で休んだと言うと、変な誤解をされそうなので、恭は咄嗟に嘘を吐いた。
ほのかもまさか恭がそこまであやめを心配するとは思わないので、素直に信じて話を続ける。
「恭君も具合が悪いって集団食中毒? 大変だね」
恭は(なんか大袈裟なことになってる……)と思いつつ、あえて否定せずに話を戻す。
「姉はまだ人と会える体調じゃないので、悪いけど」
「あっ、うん。じゃあ、これ、お見舞いだけもらってくれるかな? 後お大事にって伝えてくれる?」
「はい。ありがとうございます」
今日のほのかは珍しくマトモだったので、恭も普通に応対して別れた。
その後。あやめは恭から、ほのかの訪問を知らされた。
「さっきの来客、ほーちゃんだったのか。食あたりで休むって連絡した後、スマホの電源を切ってたからな。無駄足させちゃって悪かったな」
顔を曇らせる姉に、弟はお見舞いの品が入った袋を見せる。
「常温のスポドリと飲むゼリーくれた。どっちかいる?」
「じゃあ、スポドリもらうわ」
食あたりの薬と睡眠のおかげで、腹痛と吐き気は夜には完全に治まった。ただ食欲はまだ無く、その日はほのかがくれた飲むゼリーだけを夜に飲んだ。
病院に行くほどではないが、まだ微熱が続いていたので、あやめは明日も休むことにした。
「お姉ちゃん、大事を取って明日も休むけど、お前はちゃんと学校に行けよ」
姉の指図に、恭はムッとして言い返す。
「流石にそこまで過保護じゃない」
「昨日の夜からずーっと付きっ切りで、今日も一緒に寝ようとしてんのは、だーれだ?」
あやめの指摘どおり、恭は自分の寝具を持って姉の部屋に来ていた。
病人のベッドを半分奪うのは悪いので、トレーニング用のマットを床に敷いて寝るつもりだが、それでもだいぶ過保護だ。
「お前が目を離したら死にそうなほど、ひ弱なのが悪い」
「せめてか弱いって言って?」
「そんな儚い存在じゃないだろ。ひ弱。脆弱」
「お前もすっかり調子が戻ったようで何より」
恭があやめを心配していたように、あやめも恭が心配だった。
普段は冷たく振る舞っているが、あやめが本当に辛い時は、自分のほうが死にそうなほど弱ってしまうので。
「……お前が具合悪いと調子狂うから、早くよくなれ」
弟の言葉に、姉は明るく笑って見せる。
「おー。すぐに元気になって、また構い倒してやらぁ」
「それはいらない」
あやめはベッドの下の恭を優しい目で見下ろすと、
「お前が昼間シーツを洗ってくれたから、布団が気持ちいいわ。昨日の薬も、ありがと」
と感謝を告げて「おやすみ」と手を伸ばした。
恭は「……おやすみ」とその手を取ると、眠くなるまでしばらく繋いでいた。




